三角からは快速バス「あまくさ号」で松島を目指します。このバスは、熊本空港から熊本の中心街を通って熊本駅、三角経由で、天草の中心地本渡までを結んでいます。本数が多く、要所々々に停留所もあって、旅行者にもありがたい存在です。もちろん、熊本から陸路で本渡まで行けるのは、天草五橋あってのことです。島伝いと言っても、中央構造線に沿ったこのあたりの島は険しく切り立っていて、道を切り開いて橋をかけるのには高度な土木技術が必要だったろうと思います。五橋の完成は昭和41年で、僕の小学校のころの教科書かなにかで習った記憶があります。あのころ、音戸大橋(昭和36年)・若戸大橋(昭和37年)と、日本の橋梁の技術が、輝かしく教科書でも謳われていました。そんななかで天草五橋というのは、風光明媚な島々を、様々な素材(鉄・コンクリート)の違った形式の橋が繋いでいく夢のハイウェイという印象で子供心に焼きついていたものです。 実際に走ってみて、第一橋の天門橋は、橋長500メートル、スパン300メートル、桁下42メートルで、空中を飛んでいるような印象でした。それでも高速で走るバスはすぐに通過してしまいます。現代の大きな橋(例えば明石海峡大橋は、橋長3900メートル、スパン1990メートル)を見慣れてきてしまっているからかもしれませんが、スケール的に驚かされるものではなくなっていました。バスの中は、観光客といえば僕らぐらいのもので、天草五橋の観光案内のアナウンスも無し。周りは皆寝入っていて、車窓にカメラを向けているのは僕だけでした。そして第二橋から次々に第五橋まであっというまに通過してしまった感じです。少年のころの夢の架け橋が小さくなってしまったようで、ほんのり寂しい気持ちが沸いてきました。 |
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さらにバスで松島へ。ここから八代までフェリーで渡ります。下の写真は、そのフェリーが松島港に入ってくるところです。全長37.47メートル、総トン数132tの前後対称船で、「シーガル」という名がつけられていました。 |
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日がすっかり落ちた17時40分、松島港発。振り返ると、天草の島々の上に、夕焼けがひろがっていました。しばらくすると、八代海の向こう、九州本土の明かりが水平線より近くに感じられるようになり、18時30分八代港着。小一時間、寒風吹き荒ぶ甲板に出たまま、海と空のあいだに流れる風景に浸っていました。 |
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