12月28日、天草から新八代駅へ
新八代駅モニュメント

 三角からは快速バス「あまくさ号」で松島を目指します。このバスは、熊本空港から熊本の中心街を通って熊本駅、三角経由で、天草の中心地本渡までを結んでいます。本数が多く、要所々々に停留所もあって、旅行者にもありがたい存在です。もちろん、熊本から陸路で本渡まで行けるのは、天草五橋あってのことです。島伝いと言っても、中央構造線に沿ったこのあたりの島は険しく切り立っていて、道を切り開いて橋をかけるのには高度な土木技術が必要だったろうと思います。五橋の完成は昭和41年で、僕の小学校のころの教科書かなにかで習った記憶があります。あのころ、音戸大橋(昭和36年)・若戸大橋(昭和37年)と、日本の橋梁の技術が、輝かしく教科書でも謳われていました。そんななかで天草五橋というのは、風光明媚な島々を、様々な素材(鉄・コンクリート)の違った形式の橋が繋いでいく夢のハイウェイという印象で子供心に焼きついていたものです。

 実際に走ってみて、第一橋の天門橋は、橋長500メートル、スパン300メートル、桁下42メートルで、空中を飛んでいるような印象でした。それでも高速で走るバスはすぐに通過してしまいます。現代の大きな橋(例えば明石海峡大橋は、橋長3900メートル、スパン1990メートル)を見慣れてきてしまっているからかもしれませんが、スケール的に驚かされるものではなくなっていました。バスの中は、観光客といえば僕らぐらいのもので、天草五橋の観光案内のアナウンスも無し。周りは皆寝入っていて、車窓にカメラを向けているのは僕だけでした。そして第二橋から次々に第五橋まであっというまに通過してしまった感じです。少年のころの夢の架け橋が小さくなってしまったようで、ほんのり寂しい気持ちが沸いてきました。
 バスを降りて、海中水族館「シードーナッツ」へ。ここは、長径50メートルのドーナツ型の海中展望船が繋留されていて、それがまるごと水族館になっているユニークな船です。実際の天草の海の中、魚たちを見ることができました。下のパノラマで、右に海に浮かんでいるのが「シードーナッツ」、左の橋は、五橋のうち最長の第四橋(前島橋)です。

天草


さらにバスで松島へ。ここから八代までフェリーで渡ります。下の写真は、そのフェリーが松島港に入ってくるところです。全長37.47メートル、総トン数132tの前後対称船で、「シーガル」という名がつけられていました。

フェリー「シーガル」

日がすっかり落ちた17時40分、松島港発。振り返ると、天草の島々の上に、夕焼けがひろがっていました。しばらくすると、八代海の向こう、九州本土の明かりが水平線より近くに感じられるようになり、18時30分八代港着。小一時間、寒風吹き荒ぶ甲板に出たまま、海と空のあいだに流れる風景に浸っていました。
 港にタクシーが待ってくれていて、新八代駅を目指します。運転手さんに頼んだ訳ではないのですが、車は八代のメインストリートを通ってくれました。ここは建築的にたいそう豪華な街路空間なのです。江戸末期の御茶屋で、内田百閧ェ「阿呆列車」のなかでたびたび訪れる「松浜軒」。伊東豊雄の「未来の森ミュージアム」。芦原義信先生の「厚生会館」。そして八代城と、軒を連ねているのです。かつてゆっくり見て歩いたところだし、新幹線も指定をとってあるので、タクシーの車窓から見るにとどめました。
 さて、新八代駅は新幹線と在来線の乗り換えに何度も使っていますが、外に出たことはありませんでした。今回初めて、駅前の乾久美子のモニュメント2004年竣工)を間近に見ることができました。それが、トップの写真です。直角三角形平面で、高さ7メートルほどの家型のオブジェで、厚さ7センチのGRCに7通りの大きさの正方形の穴が4300個ほど開いているというもの。機能は特に無いのですが、人間が入れて、内部空間を持つので、建築の部類にはいるでしょう。屋根にも穴が開いていて雨は入ってきますから、基準法的には建築物とはいえないかもしれません。でも、そんなことはどうでもいいほど、懐かしくも現代的でもあり、チャーミングな建築が体験できました。彼女が雑誌で「新幹線の駅と、周りの田園の民家の間に属するものをつくりたい」という意味の話をしていたのは、成功していると思いました。最近、学生の作品でも、穴をランダムにあけるのがひとつの流行になっているのは気になるところですが・・・

 ささやかな「寄り道」は、19時15分、新幹線が発車すると同時に終わりました。「つばめ」は、260キロのスピードを感じさせない安定した走りで、20時02分、鹿児島中央駅着。浦和から28時間かけた旅でした。


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