8月10日、広島、平和記念資料館

  イサム・ノグチが欄干をデザインした平和大橋を渡ると、平和記念資料館が、東西に両ウィングを伴って現れます。昭和30年、丹下健三によって示された、復興日本建築の道しるべとなった傑作です。重要文化財。



  この日の広島の真っ青な空のように、かげりが無く、隅々まで理解でき、透明感に満ちた建築でした。ピロティによって重量感が払拭され、抽象的なオブジェが、原爆ドームへの軸線を発生させるための都市的な装置として浮かんでいるという印象です。内部の展示が非常に重たい内容であるのとは全く無関係に、あの展示はどこかの地下空間だったかと思うほど、あくまでも軽やかに、ヒロシマという大地より高い水平線を示しているのです。
   昭和を代表する村野と丹下という両巨匠の考え方の違いが、広島という街をバックに浮かび上がってきます。



  原爆ドームは、丹下マジックによって軸線の先に凍結していまったように見えます。



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