■ BEAR'S BOOGIE
|
2015年10月12日(月)
|
BEAR'S BOOGIE / LOVE FURNITURE LOUNGE BEARS
Gone, Gone, Gone, Everything is gone.
うまく動画が貼れるかしら。
関係者向け記事。
二高の視聴覚教室が取り壊されるということで最終記念公演を観てきた。O部理事はアタシが現役の時は主事だったしI上校長はアタシが高校二年の時の担任ですた。地学の先生なのに地学の成績がくっそ悪くて困った顔で三者面談されたのをよく覚えています。だってスペクトルとかP波とかS波とか興味が沸かないんだもの。物理はもっと嫌いだったしな。
いろんな人のスピーチを聞いてて補足すると、宇田川先生が新校舎(今高校メインの校舎な)を使えなかった最後の世代。で、アタシがブレザーを着られなかった最後の世代。いやぁ学ランでよかった。絶対似合わなかったよブレザー。
個人的な視聴覚教室の思い出というのは、中学から外部入学をするのに推薦試験の会場だったのと、演劇部的には1999年の「メロンパン」で音響をやってる。当時のパンフレットが相当量遺ってて、今回のデータベースを作るにあたってはそうとう役に立ちました。ただ、2001年〜2003年あたりの情報だけが陥没しておる。ここらあたりの情報を知っている人にも声をかけたんだけど梨の礫であった。
「トーマス」はまた大会から進化したものが観られたのがよかった。「これ以上動かしようのない完璧さ」というものは存在しなくて、演る会場、観に来る客なんかで「ベスト」は変わってくる。これを中学生で体感できるのが演劇の強みのひとつでありましょうよ。
また三月までにどんどん進化していくのだろうとは思うけれども、お互いに傷を舐め合うような関係にゃなってほしくないなぁとは思った。お互いの引け目を見つめながらなんかしようとする先が同調圧力なので。それだったら、みんな好きな方向に邁進する中で、たまにお互いの背中を見たほうが自由に生きられる。
「烟」は夏に稽古を観た時からすると、ちゃんと舞台として成立していたのが感慨深かった。これは単純に、「ひと夏努力した分だけ実力がついてきた」ということで、このことを目のあたりにするだけで妙に感動するのであった。 脚本自体がチュートリアルみたいなもので「ちゃんと言葉が客に伝わる」というのがハードルではあるんだけれども、そこがクリアできなかったら舞台が成り立たないから、今回はこれでいいんだと思います。 来年の夏はこの6人で何をしでかしてくれるか、という楽しみがあります。
「ジュ・テーム」を観たは稽古も含め4回目。結構台本を完成させる直前まで配役を迷っていたようなんだけれども(裏話)、結果として「鎖帷子」以上にひとりひとりの役がみんなはまり役になったと思っています。こればっかりはなるようになった結果なんですが、なんか賞をもらうとか、ちょっと人より抜きん出るとか言うのはこういう役がハマるかハマらないか、みたいな天の配剤の部分もあると思うのです。
そらぁ脚本家も神でないから完全に役者にフィットする役柄が作り出せるわけじゃないし。でも、今回は相当上手く行ったと思う。多少下手なプロの俳優でも役柄にハマるとそれだけで食っていける、みたいなことはあるものね。 あと、具体的には明かさないほうがいいと思いますが、この人のこういう部分が観たい、というものはほとんど観られました。超うれしい。
なるべくこのまんまの形で都大会に持っていって欲しいものです。賞云々でなくてね、目の前の観客を大事にすれば、おのずと結果はついてくるもんだと思うし、現に部員も必死でそうしてきたことでしょう。
いやぁまぁ、この視聴覚室もまた過去になってしまうのだなぁ。森羅万象、終わってしまったらみんな過去です。で、その辺りの「振り返らない」という空気があるのが今のゲキブのいいとこだと思いますよ。 さらば視聴覚教室。いい供養ができました。
Gone, Gone, Gone, Everything is gone.ちゅことでひとつ。
|
|