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文句と御託

そして妄言。


fC2:愛国心 2006年05月27日(土)

* <愛国心>「内心の評価いけない」…文科相、一部の通知表で
 だって。
 愛国心結構ぢゃないですか。どんどんおやんなさい。
 内心の評価、いいぢゃないですか。どんどんおやんなさい。
 できるものなら。

 だれが評価するのよ愛国心。先生? 担任の先生? 冗談でしょう。小学校の先生だって大学出立てのぺえぺえからベテランまでいる。そいつらにとっての「愛国心の評価」ってなによ。出来るの?「評価することが不可ない」んぢゃなくて「教員にゃ出来ない」んである。
 人間ですから。只の人間ですから。

 そもそも、「愛国心」教育基本法にもあるけど、どうなのよ。国を愛する「愛する」ってなんですか。あんたは何かを愛してますか。当然アタシは愛しています。仕事を、自分を、他人を、かわいい姉ちゃんを、動物を、道具を。
 そもそも、この場合の「愛する」ちゅのは、西洋からのニュアンスに、西周だっけか。あの人が「愛」って当てただけの話。近代知における「愛国心」これ、結局は耶蘇っちゅうバックボーンがあって成り立つ「愛国心」。いいぢゃないですか。包括的にいってしまえば、愛ってのは、相手に自分から何かしてやろうって気持ちですよ。好きな女だから気持ちよくしてやる、日本が大事だから貢献しようとする、道具が大事だからしっかり手入れをしてやる。祖国に貢献するののナニが悪いんだ、という話であります。

 結局何が悪いのか、ったら二つある。
「愛する」という単語がよくないんです。Wikipedia見てご覧。流石のWikipediaも説明に汲々としてる。「愛する」というだけでこれだけ喧喧諤諤するのに、それを公的文章にあててしまうのが頭が悪い。頭がいいとしたら、その曖昧さを活用しようとしていると考えるしかないんだわな。
 まぁ、色々使える。
 とすれば、具体例を示すしかない。

 愛国心とは、自分の生まれ育った社会、ひいては日本国に対して、個々の鋭意努力によって貢献することを云う。

 これでいいんぢゃねえかなぁ。「愛国心」という日本語に無責任なのは、エリートどもの驕りだと思うわけだ。

 で、もう一つは、小学生に抽象的なこと云ってもわかんないんだよ、ということです。
 評価基準に入れた作者とやらは教育心理学とかやってないのかね。精神発達、脳の発達において、抽象概念を確実に出来るのは12〜13歳といわれております。つまり、代数を
□+3=5
 にするか
x+3=5
 にするかの違いです。空欄という具体例で見せられるか、xに置き換えるか、という点での理解に大きな差があるわけです。
 同様、抽象概念が理解できない子供に対して、抽象概念で評価しよう、というのはすでに
 自分が何を持って評価されているかわからない
 という点で、ある意味虐待といえないだろうかね。

 そもそも、どうやって評価してるんだろうね。
 君が代を大声で歌うとか、
 小泉潤一郎の政策を諳じるとか、
 図工で日の丸作るとか、

 わかりません。想像もつかない。

 この件に関しては正鵠を得ているものがあるので、引用して〆とします。

 住んでいる人間が本当にその土地が好きならば、軍隊など無くとも身体を張って守ると思うけどね。チガイマッカァ?

 殿山泰司さんの名言ですが、引用元喪失なので正式版がみつかったら正式にアップします。

 それで駄目なら、御仕舞いだ。
 決着は60年前に、ついてる。

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