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文句と御託

そして妄言。


fC4:詩歌論 II 2006年07月16日(日)

>前回までのあらすじ
 読み手に「詩」が伝わらねば、それは詩ではない。

 こういうと反駁が出ます。85%くらい。
「強い気持ちがあれば人種や世代を超えて伝わるものだ。いいものを書けば、おのずと伝わるものだ」
 と。

 じゃあなにかね、そういうおまいさんは、何が「いいもの」なのかわかってるのかね。「いい」詩ってなんだい、となる。ワカラナイ。「強い気持ち」ってなんだよ。もしくは、じゃあその「強い気持ち」が伝わって誰かのためになったのかね。
 ほら、云ってみろ、話してみろ。
 ないわな。
 前回、詩の最高は言語=存在だという前提の話をしました。ここから洩れてしまっては話題の外なんだけれども、じゃあおまえ、人間がなんでもなくて、気持ちだけあればどうにでもなるのか。思い上がるんじゃねえよ、というわけなのですな。

 じゃあ、気持ちがあれば飯は出来るのか。ペ・ヨンジュンは振り返ってくれるのか。銀行が急に5億円呉れるのか。そうじゃないでしょ、我々の多くはパンケーキを魔法で出すことは出来ないし、自分の好きな人生を歩めないし、未来なんてワカラナイ。
 詩というのは恐ろしいモノで、凡夫のくせに人気や、名声や、評判が得られると思ってる。芸術を体得できた気になれる。莫ッ迦ぢゃなかろか。

 われわれは神でもソロモン王でも卑弥呼でもありません。ゆえに、詩も基本的には技術です。職人の芸です。
 むしろ、ぢゃあ、なぜ、詩なのか? ということなのです。好きなら本人に云えばいいし、世の中に伝えたいことがあれば拡声器を持って街頭に立てばいいのです(怒られるかもしれませんが)。それを、詩にするのは、なぜなのか。もしかして「お手軽だから」なのかしら。そうだとしたら、とんでもないことです。

 といったところで、次回に続けます。

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