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文句と御託

そして妄言。


fC3:詩歌論 I 2006年07月07日(金)

 詩について書く。

 ってゆーと広いんだよなぁ。レポート書く連中よ、卒論書く連中よ、漠然と捉えたものを漠然と書いても漠然としか受け取られないんだベイベ。いいんだよ、シェイクスピアの本の一行だけの研究で教授になった人もいるんだから。入り口が狭くても中が濃きゃあいいの。何かに似てるね。なにとはいわないけどまんこ。

 じゃあ、できるだけ、しまるしぼる。

 アタクシの了見ですが、最大最高の詩と言うのは、イマジネーションが実現することだと思う。パン! ったらパンが目の前に現れて、飛行機、ッたら飛行機が目の前にどーんと出てくる。光あれったら電気がついちゃうなんて、詩の力でしかない。アタシなんぞ、ぢゃあどっかで光源を準備した存在(照明さん!)が居るとすると、神はアイデンティティを失う、という話を書いた覚えがありますが、ないか。ないよね。

 じゃあ「詩」ってなにか。これについては先人の定義でよかんべえ。「文学」「哲学」とおなじで、「詩学」も、ない、のです。つまり、全ては実践の中に存在する。「文学的」衝撃や「哲学的」考察「詩学的」言質はあるけれども、「詩学」それ自体の観念は存在しないという立場。これにのっとります。
 とすると、いわゆる詩(≒詩的な文章)に詩を感じなければそれは詩ではないことになる。よろしいだろうか。詩とは何か、われわれただの人間が詩を取り扱うとき、できるのはせいぜい感情や花鳥風月、感覚の再現くらいなものでありまして、逆にそれは読手側に伝わらなければ、「詩」ではないということなのです。

 次は、「詩」を発信する側の話を。

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