アイスランドの歴史(2)

 930年、シングヴェトリルにおいて、最初のアルシングが開催された。アルシングは全島的な利害調整機関が必要となったために設けられた機関である。いわば全島集会と呼ぶべきものである。アルシングは司法機能と立法機能を有していた。しかし行政機能は持つことはなく、公的な指導者を選任することもなかった。
 このアルシングで票決権を持ったのは、ゴジと呼ばれる首領だけで、ゴジの数は965年に全島を東西南北の四つの地方に分割した際に36人と定められた。各地方に9名ずつである。しかし後に北部地方は3名増員することになる。

 このように島内秩序形成を図る一方で、アイスランド外部に出て行くものもいた。984年のグリーンランド発見もその一つの例である。到達したのは赤毛のエリクと呼ばれる男である。彼は島内で殺人を犯したため3年間島を追放されることになり、どうせ追放されるなら、この機会に一つ探検をしてみようと思ったのが、その切っ掛けである。この結果首尾よく新たな大地を発見でき、そこをグリーンランドと名づける。
 したがって、赤毛のエリクがグリーンランドの名付け親ということになる。彼の地はアイスランドに輪をかけて厳しい気候であり、あまりグリーンではない。にも関わらず彼が、同地をグリーンランドと名づけたのはの入植者を募る際、耳に心地よい名の方がよかろうという判断があったからである。果たしてエリクの目論見はあたり、最終的に十四艘の船がグリーンランドに到着し、入植が開始される。

 また、1000年に頃、エリクの息子レイヴが、新たな土地に到達する。彼に場合は、探検による成果ではなく、ノルウェーからグリーンランドへ帰る途中、遭難し、見たことも大地に着いたのである。その土地には葡萄があったので彼はそこを「葡萄の国」という意味のヴィンランドと名づけた。おそらくは今のアメリカ大陸であろうとされている。ヴィンランドへの入植は先住民の抵抗が激しく成功しなかったらしい。
 1000年という年はアイスランドでキリスト教が正式に受け入れられった年でもある。この年のアルシングでアイスランド住民全員が洗礼を受けることが決定されたのである。この改宗はアイスランド内部で宗教対立が激化するのを防ぐため実施されたものであり、キリスト教が素晴らしいと思ったというわけではない。

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