私の考えていること1


矛盾した気持ちをいっぱい抱えて生きています。なにかあるたびに、「俺はどうやって行動するべきなんだ?」という岐路にたたされます。

例えば、好きな人に傷つけられて怒るべきか、我慢すべきか?すごくむかついて、傷つけられて、、、でも、そのひとを好きだから、関係を壊したくないから、嫌われたくないから我慢することもある。逆に、私のプライドを著しく傷つけられたらやっぱりどうしても怒ってしまう。この「プライド=俺の存在価値」であるようです。そんなにそっけない態度とかをとられても、そんなにむかつかないし、悪く言われても、どうってことなく聞き流せるんですけれど、「俺がいなくてもいっしょ」というようなことを感じてしまうと、(直接言わなくても)怒りを感じます。


愛情というものを、今までの24年間で考えた範囲内ではなします。

「ひとりよがり」をいかに排除して、相手のためになるか、相手の立場でものを考えられるか??ということが重要だとおもいます。たとえば、毎日電話するのは、自分が気に入られたいからだとか、彼女をそうでもしておかないと繋ぎ止めておかれないという自信の無さのうらがえしで、実はじぶんのことしか考えてない、、、毎週決められた日に必ずデートをしていたのが、いつしか束縛になっていく、、、それに別れの時に始めて気付く。身につまされる経験談ですけれど、こういったことがあるとおもうんですよ。自分のことしか考えてない。

今は、それをしないようにしている。やっぱり間違ってることも多いのだろうけれど、たまには自分のことばかり考えていることもあるんだけれど、それでも、私は何割かは、すくなくとも半分以上は相手のことを考えてあげれるようになったと思う。


  

大学2年のとき、悩みごと(半分以上は恋の悩み)がおおくて、頭が煮詰まっていました。そこでふと、「旅に出よう」と思い、当時免許の無かった私は、マウンテンバイクを購入。東京の自宅から、三重県伊勢神宮まで行きました。

その旅で出た結論。「自転車は、考えてても進まない。ペダルをこがないと進まない。だからといって、なにも考えずに自転車をこいでも目的地に効率良くつかない。これは、何にでも言えることなんじゃないか?今までの俺は、考えるばかりだった。でも、考えることばかりに価値があるんじゃない。動くことだけに価値があるんじゃない。要は、バランスだな」いまでも、これは生かされていると思います。


苦悩。

すごく好きな人がいた。彼女には、彼がいたが、私は、彼女をどうしても好きだったので、気持ちを告げた。彼女は、その気持ちを知っての上で、俺と遊んでくれた。だけど、彼女は俺といる時、付き合ってる彼の話を楽しげに話す。俺は、それをやめてくれといった。彼のことに対する真剣な悩みなら、何でも聞く。たとえそれが結婚だとかの相談でも、である。でも、のろけ話を聞くのは、彼女のことを好きな俺にとっては、すごくつらいことだった。そして、子供な俺は、つい彼女にすごくいやなことを言ってしまった。そして、それ以来疎遠になってしまっている。彼女は、きっと俺がそういうことを聞くとつらいのをしっててそう言う話をしたんだろう。すごくいい女だとおもう。そうすることによって、俺は確実に苦しんで、それを続ければ、まあまず間違いなく気持ちが離れていくだろうから。

それとも彼女は、そんなことわからなかったのかなあ?


彼女について。

俺は、女の子と付き合う時、「こいつを絶対幸せにしてやりたい。してやろう」と思って付き合います。まあ、口には出しませんけどね。恥ずかしいから。まあ、そのためには、ツライこともなかにはありますよ、やっぱり。彼女がどうしても俺を嫌になった時は、どうしても邪魔になったときは、彼女には俺がいないほうが幸せなら、俺は目の前から消えます。そうすることによって、彼女がしあわせになるんなら仕方ないことです。まあ、はっきりいって、痩せ我慢の面もあるんですけど、俺はそうするようにしています。


父親について。

最近のことなんだけど、親父が人身事故を起こして、3ヶ月免停。幸いぶつけてしまった人は無事だったし、良い人だったので、大事に至らず済んだんだけど、その免停の間、俺が会社の休みを利用して、代わりに運転して仕事を手伝っていた。俺は運転するだけで、親父がお得意さんのところに出ていっていろいろ注文をうけてくる。

子供のころは、よく一緒に仕事に連れていってもらってた(ドライブだね)んだけど、こうして社会人になってから一緒に仕事してみて、「ああ、この人はこうやって一生懸命俺を育ててくれてたんだな」と思い、なんだか感謝の気持ちが沸いてきた。たまにはいいものだな、親父と話してみるのも。家族は大事にしないといけないね。


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