私の考えていること3


いじめについて。

わたしはぶっちゃけたはなし、小学校のころいじめられっこだった。体が弱かったのと、小心者だったのがその理由だろう。

でも、いまこうして大人になってから考えられるのは、いじめられた経験も今の俺には確実に役に立っているということだ。いじめにあったせいで、妙にさめた見方が出来るようになった。自分の逆境には、自分の中に問題があるんだろうな、と思えるようになった。人を頼らないせいで他に原因を求める甘さが消えたのかもしれない。ほかにもいっぱい良かったことはあったけれど、それはおいおい話していきます。

世の中俺みたいないじめられっこばかりだったらもっと面白くなるのになあ。


俺に影響を与えた人、2人目。

大学の時、原宿のある古着屋で1年くらいバイトをしていてお世話になった店の社長。彼が俺に影響を与えた2人目の人である。

この人は、なにがあってもどんな状況でも、ひたすら前向きな人だった。俺はいつからかこの人に憧れるようになっていた。(見習えない点も多々あったが、、、笑)どんなに店の売上が落ち込もうが、いつでも明るい、凄く元気な挨拶を忘れない。約束は絶対に破らない。誠実な男だった。

私がバイトをやめるとき、この社長が俺に言ってくれた言葉が忘れられない。「俺はどんなことがあっても、前に向かって倒れて死んでやる。絶対にあお向けに倒れねえ。敵に向かって食いついて食いついて死んでやる。そういうつもりで今まで生きてきた。これだけは自信を持って言えるんだ。」そして、俺に「キミは俺とおんなじ物を持っている、がんばれよ!」と言ってくれた。俺はこの人に影響を受け、どんなことがあっても前向きに元気に生きていこうと思っている。おれも、この人に少しは近づいているのだろうか?方向性は違うのかもしれないけれど、確実に俺を成長させてくれた人で、俺は今でも感謝している。


俺は何の為に生きるのか?

これは、昔から何度も考えてるんだけれど、その時によって答えが違うし、そもそも答えなんてあるものじゃない。でも、考える。なんでかな?そうやって自分を確認しているのかな?それはよくわからない。

当然、毎回答えが違うのだからここで「俺はこれの為に生きるんだ!」と明確に言いきれないけれど、どうも出てくる言葉は「しあわせ」ということになっていく。その時の自分の状態によって、「他のひとの幸せのため」「家族の幸せのため」「自分の幸せのため」なんて出てくるけれど、どれもこれも最終的には「幸せ」に向かっている。ここであえて言うとすれば、「俺がなにかして、人が幸せになったら、してあげれたらおれも幸せを感じる。そういうことをする為に生きているんじゃないかと思う。」ということだ。でも、これを書いているこの最中にも別の考え方になっているかもしれないし、、、一生謎かもしれません。


仕事について。

そろそろ、これを書いている時点で社会人になってから1年3ヶ月ほど経つ。今のうちにいまの気持ちを書いておこうと思う。

「くやしい」「情けない」「甘えていた」「針のむしろ」「でも頑張らねば」

はっきりいって、全然仕事が出来ない。出来ない自分に腹が立つ。いままでいかにアマちゃんだったのかが身にしみる。できたら逃げ出したいことがいっぱいある。怒られてばかりだ。凹んでることも多いがまあそれを見せずになんとかやっている。まあ、泣いたことはないが泣きたいと思ったことぐらいはある。

でも、それでも逃げ出さずに前を向いてなんとかやっていかねば、と思っている。逃げていてはなにも得られないというのはすでに学生時代からさんざん思い知らされていたことだ。石にかじりついてでも仕事をモノにしてやろうと思う。仕事が出来ないまま終わるなんてまっぴらだ。まあ、俺は情けない男だけれど、このバカみたいな前向きさがあるから頑張ろうと思えるんだ。

さて、10年後の俺はどこでなにをしているやら、、、??


俺に影響を与えた人。3人目。

3人目は、俺が少林寺をやっていたときに出会った、ある先生である。この人は、相当な実力を持って、普通ならなかなか会うことも出来ないような人なのだが、近所の道場(少林寺では道院という)の支部長をやっていて、いろいろ教えてもらえた。

でも、技も凄いんだけれど、一番びっくりさせられたのはその人の人柄である。始めたばかりのド素人の俺に敬語で話しかけてきて、挨拶も向こうからしてくる。体育会の厳しい上下関係に育ってきた私には、かなりのカルチャーショックであった。そして思うようになった。「本当にスゴイ人っていうのはこういう人のことを言うんだろう。自分に自信があれば、自分を大きく見せる必要もないんだ。」というふうに。

はっきりいって、それまでの私はかなりガツガツした人間だった。力で人を引っ張っていくのがカッコイイと勘違いもはなはだしいことも正直考えていた。でも、その人を見て、考え方が変わったのだ。この人と会ってなかったら俺は、狭い人間になっていたような気がしてならない。


順番。

以前、友人と数人で飲みに行ったことがある。そのとき、友人の一人が自分の好きな女を1番から5番まで順番をつけていた。でも、俺はその時思った。『それって、本当にその人達のこと好きじゃあないんじゃないのか?』そして口に出した「すげーなあ。俺は一番好きな人がいて、その人が別格ということはあるかもしれないけれど、他はみんな同じ。そこまで正確に順番なんか付けられないなあ。」

さらにもう一人の友人も言った。「人に順番つけられるヤツってスゴイと思う。そんなに順番付けれるほどお前はすごいのかって思っちゃう。」まあ、そこまでは思わないにしろ、俺自身がだれかのなかで、そういうふうに順番付けられていたら、やだなあ。


電車のなかの話

昔、ある男が「きょう、おばあちゃんに席譲ったんだ。えらいでしょう?」と話していた。また別の時に、別のある男が俺がシルバーシートに座ろうとしたら「シルバーシートだから席譲らなくちゃいけないから他に座りましょう」と言っていた。

俺は、なっとく行かなかった。どこに座っていようが、お年よりとか体の不自由な人が来たら席を譲るのが当然であり、自慢することでもなんでもない。それを自慢するのもおかしいし、だからって空いているシルバーシートに座らないのもおかしい。(まあ、だれに譲るかははっきり言ってかなり独断で決めているけど)こんなことを考えるなんて、俺は、頭が堅いのかなあ?前者にはなにも言わなかったけれど、後者は良く知る後輩だったのでひとこと言ってしまった。こんなことが以前ありましたよ。


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