地球ゴルフ倶楽部 パー5
ヘローコース 14番


ゴルフを以って人を観ん


 ある日、見知らぬ女性から私のところに一通の手紙が届いた。流麗な文字で書かれた簡潔な文章によると、彼女は1996年の日本オープン開催コース、大阪・茨木CCのキャディ、下間艶子さんだった。

 大会の数ヶ月前、コースのキャディ委員会から招かれた私は、従業員に対して日本オープンの歴史、ゲームの取り組み方、キャディの法的立場などについて講演申し上げた。そのとき「本物のゴルファー」の条件についても率直に話した記憶がある。いただいた手紙の内容は興味深いものだった。

「日本オープンが始まる直前、どの選手に帯同するか抽選がありました。私は名前も知らない外国人選手と組むことになったのです。ときどき外国に住む私の娘を訪ねて旅をするため、英会話は少しだけ。正直、困ったと思いました」

 練習ラウンドの朝、厳しい顔の地味なプロが現れて、自分はピーター・テラベイネンだと名乗った。クラブとボールは言うに及ばず、小物までスポンサーまみれのプロにあって、彼はすべて自費でまかない、サンバイザーもコースの売店で買い求めた。そうした姿に下間さんは深く感動する。
 2日間の練習ラウンド中、片言の会話によっていくつかの事情が判明した。まず彼は東南アジアの女性と結婚してシンガポールに住み、アメリカ、欧州はもとより、アフリカンツアーにも遠征する一匹オオカミであり、スポンサーに依存せず、賞金だけで生活するプロだということもわかった。

「講演の中で、本物のゴルファーとは自分に厳格、他人にやさしく、失敗にもめげず、自然に対してロマンチスト。とりわけ肝心なのが同じミスを繰り返さないことだと、このように言われましたね。テラベイネン選手は、まさにお話通りの本物のゴルファーでした。私やコース管理の人にまで目配りがやさしく、それでいてゲームでは同じミスを繰り返さず、勇敢にピンを攻め続けました」
 終盤はピンチの連続。ようやく優勝したとき、あまりのことに下間さんは頭の中が真っ白、体の震えが止まらなかった。

「あの日、講演を聞いて本当によかったと、心から感謝申し上げます。とくにキャディはプレーヤーと一心同体、同等の人権を有すると伺ってから、自分の仕事に誇りが持てるようになりました」
 私にとっても素晴らしい手紙だった。すぐに返事を書き、またお手紙をいただき、熟年ペンフレンドの関係が始まった。

・・・茨木CCから聞いた話によると、ピーター・テラベイネンの優勝には後日談があった。通常の場合、優勝したプロは専属キャディに賞金の5パーセント前後を進呈するが、クラブキャディには寸志が手渡される。
 あの日、彼は優勝を予測しなかったのか、現金の持ち合わせが乏しかった。米ドル、シンガポールドル、なぜかイギリスのポンド、そして若干の日本円が丸めた紙くずのように下間さんの前に出された。
「現金の持ち合わせがなくてすみません。どうぞ銀行口座を教えてください。あとから振り込みます」

 このシーン、偶然テレビがとらえて私も目撃した。まさか、あのキャディが下間さんとは夢にも思はなかった。翌日になって、キャディマスターのところに世界各地のお金を持って現れた下間さん、伏し目がちに言った。
「日本オープンの開催はクラブ全体の努力でやったこと。このお金は私一人のものではありません。みなさんで使ってください」
 理事の一人から話しを聞いた瞬間、私は胸が熱くなった。ゴルフの世界には美しい話しがたくさんあって、ときには取材中に思わず涙を流すこともある。下間さんもまたキャディの歴史の中にすがすがしい花を一輪、咲かせてくれた。・・・

・・・ゴルフは自分の性格が赤裸々に露呈されるゲームだが、それも最悪の形でしか表れない。ここに関東地方のキャディ370人から集計した興味深いデータがある。それによると、キャディから最も嫌われる客の「ワースト5」は次の通り。
第1位、古参会員などに多く見られるが、やたらに態度がでかい「威張り屋」
第2位、なんでもキャディのせいにする「責任転嫁屋」
第3位、ゴルフが礼節を規則の第一条に据えた紳士淑女のゲームだとも知らず、平気でコースを汚す「マナー知らず屋」
第4位、スコアとボールのライをごまかす「チョンボ屋」
第5位、約6世紀の伝統あるゲームとも知らず、ゴルフを単に賭けの対象としか考えない「ニギリ屋」

 あたりを見回したところ、いるいる、思い当たる人物がたくさんいる。
 ヘッドカバーと女性のキャディ、この二つこそ世界に冠たる日本の発明である。それはいいとして、電動カートの導入によってキャディの労働条件が過酷になった。たとえば四人の打球を一人で見届けるなど至難の業だが、客はそう思わない。
「ちゃんと見てろ、それでもキャディか!」
 ゴルフでは、プレーに関する一切の責任は本人が負う。これぞ約600年間も守られてきた掟である。ところが近ごろでは、ゴルフの精神も学ばずに打つことばかりの下品な客が増えてきた。・・・

・・・「つまり、ゴルフは人柄そのもの。日常生活でマナーの悪い人物がコースに来たときだけ立派に振る舞うなど話に無理があります。結局、自分の器でしかプレーができないところ、ゴルフは恐ろしいゲームですね」・・・

・・・日本国内でプレーするとき常に思うことだが、これは世界に例のない光景である。自分でカートを引き、バッグをかついで歩く欧米諸国、とりわけスコットランドの人間が見た場合、日本のゴルファーは女性を酷使しながら賭けゴルフにうつつを抜かす人種だと思うだろう。
「キャディさん、このライン、どっちに曲がるの?」
1メートルも真っすぐに打てない人間が尋ねる。
「キャディさん、残りの距離は何ヤード?」
グリーンの近くで尋ねるアホもいる。キャディのいない国では通用しないゴルファーばかり増えて、彼女たちはさらに忙しい。・・・

・・・そもそもキャディの発祥からして数奇な物語に満ちているというのに、当節のにわかゴルファーには学ぶ姿勢もない。1561年、フランスから母国スコットランドに戻ったメアリー女王は、貴族の二男中心に編成された近衛小隊を連れ帰る。彼らは「CADET」(カデ)と呼ばれた。ゴルフ好きだった女王はコースに出る際、「カデ、ゴルフに行くわよ。クラブを持ちなさい」。

 これを耳にしたのが、すべて愛称化せずにはいられないスコットランド人、たちまち「キャディ」の名称が定着した。1771年にはキャディ賛歌の詩も登場する。そして1775年、セントアンドリュースでは理事会を召集してキャディの身分にルール上の地位を与える決議を採択した。すなわち、「キャディはゴルファーの唯一の味方であり、助言と援助を惜しまない。従ってプレーヤーと一心同体、同等の権利を有する」

 これが世に名高い「キャディ憲章」である。ゆえに欧米のプロは優勝コメントの中でキャディの功績をたたえ、「われわれの勝利」と発言する。わが国では残念ながら自分のことばかり、キャデイに対するいたわりの言葉など聞いたこともない。ましてや歴史を考察したとき、間違っても「ねえちゃん、5番持ってこい」とは言えないはずである。

・・・「私はコースが歩けるだけで幸せです。ときにはお客様のゲームに感情移入するのか、1打ごとにまるで自分がプレーしているように錯覚することもあります」
「ゴルフが好きですね」
「はい、私は貧しい家に生まれましたが、両親の愛情だけは世界で一番豊かでした。そのおかげで、どんなことにも感謝の気持ちが持てるようになりました。小さな幸せでも十分なのに、素晴らしいゴルフと巡り合えて本当に幸せです」
・・・

「ゴルフを以って人を観ん」
緑のお遍路さんたち
夏坂 健著
1998年5月25日
日本経済新聞社より

ゆめ、ご油断召さるな。
芝の上のあなたは、裸なのですぞ!


14番ホール(パー5)あなたのスコアは、
上記、キャディから嫌われる客ワースト5に、
・該当するものは何もないと確信をもっていえる。・・・4
・完璧とは言えないが、そうでないよう心がけている・・・5
・1つは認めざるを得ない場面が思い浮かぶ。・・・6
・2つは該当する・・・7
・3つは該当する・・・8
・4つは該当する・・・9
・すべて私のことです・・・10

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・15番ホールに進む。