2000年のDaily Talk

2001年4月〜6月のDaily Talk

2001年03月30日/拾ったMac4

作動不良のモニターに代わって新たにアップル純正13インチモニターを買って来た、それもスタンド付きの後期型。
今回は買ってきたまま触らずにとりあえず接続、パワーキーを押すと「ポーン」とお馴染みの起動音、さぁ、問題はここから...アイコンパレードも順調に進み、白黒ではあるが起動完了。

コントロールパネルで階調を256色にすると、カラー表示も問題無し。ほっと一息。解体寸前だったMacはなんとか救われた、でも使い道な〜っし。
ちなみに、OSは漢字トーク6.1、これじゃメールも送れそうに無いですもんネ。


やっと起動したMacintosh LC、もう二度とモニターはバラさないでおこう。

どなたか漢字トーク6.1のOS・FD持っておられないでしょうか?やっぱりクリーンインストールで自分なりのマックにしてやりたいんで。


2001年03月28日/拾ったMac3
拾ったMac用に落札した13インチ純正モニターが届いた。早速動作確認をしてみると、やった!起動したぞーっ。
でもやっぱりモニターも焼けが酷いのでフェラーリ・レッドに塗装することにした。
翌日再度起動させると今度は本体は異常が無いようなのに、な〜んも写らへん、塗装するのにモニターを完全にバラしてしまったのがいけなかったのか?
昨日までは写っとたのに・・・。

とゆうことでもう一台モニターを探さないと、やっぱただより安い物は無いのかねぇぇぇぇ。キーボード&ビンテージ角マウスまで揃えたのに(;;)。


Mac三兄弟遂に、WINマシンはリース切れに、手許にはMac三兄弟があるだけ、どっかにWINマシン落ちてへんやろか・・・。

左からPM G3 266MT、Performa6310改G3 300、Macintosh LC(モニター不良)


2001年03月22日/拾ったMac2
拾ったMac用に13インチ純正モニターをYahooで落札、1800円也。
今週末には届くとのこと、やっと拾ったMacも日の目を見るのか?それともただのクズなのか?

もう一つ先週YahooでEPの4EFレーシングエンジン(?)を21500円で落札した、今時ノーマル中古でも4〜5万はするのでひょっとしたらエライお買得かも。ただ商品引渡しは御殿場のガレージとゆうのが条件、高速代の方が高く付きそう、まっ、いいかっ。


2001年03月9日/拾ったMac
拾ったMacを分解、ほこりを払ってクリーニングしてやった。
外パネルは日焼けが醜かったのでガレージにたまたま有ったフェラーリ・レッドのラッカーで塗装をした。(カワイちゃんのPCみたい)

Macintosh_LC_red見た目は綺麗になっても作動不良のまま、とりあえずはFDDを交換してみようと思う、ちなみにソフマップに行けば中古が980円ぐらい。
HDDはSCSIの52MBが載っていた、SCSIじゃなけりゃ手持ちの1.2GBが使えたのに、これはちょっと高そうなので次回に見送り、それよりも13インチのアップル(旧)純正モニーターを探すのが先決かも。


2001年03月7日/Macを拾った
昨日、通勤途中のマンションの廃棄物置場にMac Lcが捨ててあった、そのまま出社したがなにやら気になってもう一度そのマンションへ、そこへ廃品回収のパッカー車が到着、Macから「私を助けて」ってな声が聞こえた様な気がしたんで作業員押し退けてMac Lcを小脇に抱えて会社へ戻った。

このMac Lcは本体だけだったので手持ちのキーボード・マウス&モニターを用意し早速起動させてみた、ブーンと起動音がなって電源部分は異常無し、モニターを見ると・・・う〜ん砂嵐状態のまま、「私を助けて」っておまえ、もう死んどるやん!

やっぱ14インチじゃ表示出来ないのか?もっと解像度の低いモニターを用意しないとダメやろか・・・。

Macスペックインフォで仕様を調べてみると、なんとメモリーはロジック+ラム合わせても4M、内蔵HD40MB、このスペックじゃ助ける意味ないかもね。


2001年02月22日/TIアタック

昨日今年になって初めて自分の車でTIを走ってきました。
急に行こうと決めたので前日の深夜あわててタイヤを使い古しの038Rに交換、朝5時半に出発しようとしていたら何かもやもやが・・・、よくよく考えてみたらその日の朝10時に急ぎの印刷物のデータを仕上げて流さないといけない事にふと気付いた。

「やっばー」とそのままとりあえず出社し、レイアウトを仕上げ、写真はめこみをしようと思ったら撮影用の商品サンプルがまだ届いていない(だって朝6時やもん)8時半になってようやく東京からの航空便が到着、即デジカメで撮って、バックを切り抜き(これに1時間)、シャドウを付けて、文字のアウトラインを掛けてMOに記録、「ハー終わった」ってもう10時やで・・・。

それでも12時すぎにはTIサーキットに到着、助手席を外してレーシングスーツに着替えたらコースイン5分前、この時点で既にクタクタ&腹減った。
この日はHKSさんの貸しきり走行会、よって回りはターボ車ばかり、参加36台でコースも混雑が予想される(毎度毎度のこと)。

案の定、直線はムチャクチャ早いがコーナーは???な車が大半、なんとかクリヤーをと思うが最後まで絡みっぱなし、唯一1周のみフルアタックに成功、と言っても一回引っ掛かったんですが。
出たタイムが1分58秒062、やったー自己ベスト更新!

でもでもホンチャンN1のタイムには遠くおよばず、お手手の違いに愕然、帰って車載ビデオをチェックしたら思った通りハンドルのきり過ぎ、こんなに切ってたんじゃ非力な私の車じゃ前に進まんわなーと納得&ガックシ。

もっと早く向きを変えて切れ角を少なくして立上がらないと・・・、解っててもそう簡単にはねぇー、なんせもうこの歳やし体が反応せいへん。(;;)

TRIAL-R33&BOM'S EPシェイクダウンに来ていた ガレージ・トライアル(高松)のR33GTーR(ブルーライト高松号)とBOM'EP82。

ブルーライト高松号はシェイクダウンにも拘わらず40秒フラットを記録、将来楽しみな1台。


2001年02月18日/無限ホイール
パワステを取払ったおかげで補機類はオルタネーターだけになり、吹け上がりも心無しか軽くなった様な感じです、反面さすがにステアリングは重く、通勤仕様としては若干しんどくなりました。そこで、重ステ対策としてタイヤのナロー化に踏み切りました、サーキットでは勿論185/55R14を使用予定ですが、街乗りでは楽をするために、175/60R14にすることにし、タイヤ選びをしました、出来るだけラウンドショルダーでそこそこグリップしそうなものを物色、最終的に絶版間近のヨコハマ製032R(コンパウンドS)に決めました。

>ホイールも6J幅のオフセット38の無限MRー5に交換、乗ってみるとかなりステアリングは軽くなり車庫入れも苦にならなくなりました。

サーキットでもコーナーさえごまかしが効けばストレートスピードは175サイズの方が高いと思われ、タイムの落ち込みもそんなになさそうです、初心者走行会ではこの仕様でも楽勝・・・?


2001年02月15日/そろそろ
年末から続いた車以外のイベントがようやく一段落、EP号の仕様変更も済んでいるので一度テストに出かけようと思っています。

もう一つ楽しみなのは今まで「そんなもん付けてどうすんの?」って思っていた車載カメラを積んだことです、年末からトップDr.の車載映像を立て続けに見せてもらって、「ふーんこうやってまげてるんか?」とか「2速で引っ張れるんや」とか大変参考になったし、後の反省材料、走った事への証しとして、今まで考えても見なかったビデオカメラ搭載に至った訳です。

今までF1やGr.Aのビデオは何度と無く見ていましたが、やっぱり身近な車のを見ないと参考にならないですから。

ビデオカメラ、マウント等ちょっとした出費だったけどそれ以上の楽しみがありそうですもんね。


2001年02月06日/テレビに写った
年末にエントリーしたオプション2トロフィー最終戦の様子が、TV大阪・スーパーオプションで放映されました。

リアルタイムでは見れなかったのですが、ビデオをダビングして下さった方がおられて先日貰って来ました。ほんの一瞬ですが当方のEP号も写っています、コーナリング中の物は1カットで、自分では一生懸命走ってるつもりなんですが画像で見ると、遅い、遅い。

まぁー、テレビ出演?なんてめったに無い事ですので、子供に「スゴイやろー」って自慢してやりました。

次回は表彰台の姿を写してもらえるように頑張ろう!


2001年01月31日/最近のダイハツ車は・・・

某車雑誌に池田(ダイハツ本社)でファインチューンを施されたYRVが飯田章選手のドライブでTIでテストとゆう記事が載っていました、ベース車はAT、タイヤは195/45/16サイズのスポーツラジアル。
出たタイムが2分2〜3秒台、飯田選手はレーシングスーツも着ずにトレーナー姿なのでフルアタックでは無いのかもしれません。
しかしこの2分2秒台とゆうタイムをどう捕らえれば良いのか?

1.3ターボ、140Hpの出力、足回りワークスチューン・・・。

でもでもAT+スポーツラジアルじゃここら辺が限界? 記事の中での開発者の談話からも悪いタイムじゃなさそう、とすれば、素人がNA・EPで2分を切るってことは結構スゴイこと?

55秒台で走ってしまうNA・EPN1は怪物?
ダイハツは昔からモータースポーツに結構前向き、現TOM'Sの館会長はフェローMAXで耐久出ておられたこともあったし、ラリー専用に排気量ダウンのストーリアまで作ってるしね、最近ではHKSがYRV DRAG Ver.発表してるし、これなんてダイハツからの仕掛けが無ければHKSだって好き好んでYRVに手を染めるって事無いと思う・・・。
さらに○○○○チューンの○○○○○だってもうすぐデビューするし・・・

当分、ダイハツから目が離せないです。


2001年01月27日/作業完了
きょうは朝から西脇のベクトルさんへ車を引取りに行ってきました。
自宅から電車を乗り継いで3時間以上、結構遠い。

年明け早々車を届け、作業していただいていました。
作業内容は、バネレート変更、スーパーローポジションシート・ベースフレーム特注作成、サーモスタット交換、パワステ・ポンプ切除、排気管フロントパイプ特注作成、etc.etc.。

バネレートの変更が吉と出るかそれとも・・・?

未だにEg&CPUはノーマルのままながら、サンデーレース的には、これでやる事はほとんどやり尽くした?って感じです。

なんとかEPターボにも一矢報いる事が出来そうな内容になったはず・・・。

「待ってろ!EPターボ!」
(北野武 語録参照・オリジナルは
「待ってろ!中嶋!」解る人だけ解ってネ。)(笑)


2001年01月24日/コンバース倒産
出勤の途中スポーツ新聞を読んでいると、米コンバース社事実上倒産の文字。
バスケットボール・シューズメーカーの大手で日本でも知られているメーカーですが最近は、ナイキに押されぎみだったんで遂にとゆう感じです。

コンバースのスニーカーを初めて知ったのは高校3年生の時、27前になります。当時靴屋さんや、スポーツ店でも販売されておらず、唯一手に入れる事が出来たのは、シアーズのカタログ通版だけでした。

現在ではカタログ通版は一般的になりましたが、当時、国内にはまだ普及してい無かったように思います、そんな中アメリカ文化の臭いのプンプンした分厚いシアーズのカタログは高校生の憧れでした。月星の運動靴が2000円も出せば買える時代、コンバース・オールスターは1万2千円もしていました。

なけなしのおこずかいでやっとてにいれた☆のマークのスニーカー・・・。
時代の流れには夢や憧れなんかひとたまりも無いのでしょうか。

ちなみに、本日私が履いてきたのは当時コンバースと双璧だったPro Kedsのスニーカー、こっちはコンバースよりもまだ高くて当時1万6千円だったと記憶しています。


2001年01月18日/チャンプは48歳
昨年のFJ-TI&鈴鹿クラブマンチャンピオンは佐藤俊久選手でした。
ヤングボーイばかりのFJで年令48歳の佐藤選手がタイトルをゲットされたとゆう事は凄い事です。

今から25年前、佐藤選手がダートラをしておられた頃に何度かお目にかかった事がありました。こっちはまだ学生でKP47の町乗り仕様に乗っていましたが、ダートが好きでイベントがあるたびに観戦に行っていました。

当時、阪奈道路沿いにスズキのモトクロス場があり、そこを使ってダートラが行われていました、解体寸前の車が多い地元勢の中、愛知から遠征の佐藤選手のTE27は光り輝いていました。

車に負けずそのドライビングセンスは抜群で、狭いモトクロス・コースでもフルチューンのTE27を自由自在に振り回しておられた事を思い出します。
その佐藤選手が45歳にしてFJデビュー、当方も今年45歳、FJは無理でも
ワン・メイクのスポット参戦ならなんとかなるかもって思う今日この頃。


2001年01月11日/走り初めは・・・
21世紀の幕開けを飾る新春走り初めはTIサーキットでした。
まぁ色んな事がありましたが楽しませてもらいました。

当方のEP号は6日にミワ・ハッキネンさんの所に入場させ、現在バネレート変更、エキゾースト修復、パワステ切除、ローテンプサーモ装着、アライメントの見直し、etc.etc.の作業をしてもらってます。

今年は2月まで調整に勤め、3月からはKRSさんの所のバトル・ロイヤルシリーズを追掛けてみようと思います。
このシリーズ戦はクラス分けが細かく、NA・EPワンメイク的なクラスが有りますので(実際はシティーも数台、これが強敵)シビックと一緒に走らされるよりかは幾分楽しめると思います。


2001年01月02日/危うく・・・
今日危うく車上荒らしに会う所でした。

朝から日本橋のソフ・マップに行ったんですが、早く着いたので無人駐車場に白ラグさんを入れシートを倒して休憩していたら、満車の駐車場にバックで入って来る不振なセルシオが1台。すると男が1人降りてきて隣のシーマを覗いています、一旦セルシオに戻りドライバーを手にもう一度周りを物色、事に及んだら行動に移そうと思って見ているとシーマを諦めて今度は当方の白ラグさんへ近付いて来ます、私しゃ鬼の様な顔をして敵がやって来るのを待っていました。

ドアに手を掛けた瞬間、目とめが会って敵はびっくり、慌ててセルシオに乗り込み逃げていきました。白昼道々訳の解らないヤツがいるもんです。

みなさんも気を付けて下さいネ!


2001年01月01日/明日があるさ・・・
明けましておめでとうございます。
輝かしく明けた21世紀に負けないよう、今年も1年精一杯生きて行こう、
今日を大切にしよう。

生きてるだけでまる儲け、明日もあさっても新しい朝がやって来るのだから。



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