「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

これまでの読書会

2021年01月12日


「捉まるまで」大岡昇平

担当 上条満(山下)

(1)大岡昇平『捉まるまで』を選んだ理由

 まず、私には体験をどう書くか、ということに関心があったため、強烈な戦場体験が直接的に書かれているこの作品に注目した。

また、戦場の極限状態を描いた大岡昇平『捉まるまで』を選ぶことによって 、特に、日常では口にしないよう極限的な話題について語り合うことができることと、 この作品を読んだときにぼんやりと抱いた考えを言語化できると思ったからである。

大岡昇平の作品としては、同じく戦場の極限状態を描いた中編小説『野火』の方がより私小説の方法化を意識して書かれており、 小説の構造や取り上げられているテーマには工夫が加えられてあるため、語るべきことが多いのであるが、 『野火』は短篇小説ではないことと、『捉まるまで』の方がより作者のモチーフが原型の形で現れており、 作者の体験への拘りが直截な形で表現されていると思われるため、『捉まるまで』を取り上げることにした。

(2)体験をどう書くか?

 なぜ、大岡昇平は私小説の形で、「捉まるまで」の体験を記したのか?  この作品には、作者自身による自分の心理の分析、自分の心の動きを凝視する、 または、死を目前にした戦場における自分の内面の動きを再体験・再検証したい、という強烈な意識が貫かれている。 このためには、私小説の形式が相応しいと考えられたのだろう。

私小説の場合、作者と主人公はほぼ同一であるという前提があることから、 読者は、いくら死を目前にした戦場の苛烈な状況が展開されていても、 主人公は生還したからこそ小説が成り立っていることがわかっているため、安心して読み進めることができる、 という組み立てになっている。

私小説には主人公が作者にほぼ等しいことによって、読者を安心させる仕掛けがある。 『捉まるまで』の作者も意識的にこれを利用したのかも知れない。

あるいは無意識的に、自分の経験したことを書く以上、日本の伝統的な私小説の手法で書くのが自然だと感じていたのかも知れない。おそらくは私小説は手記や随筆を偽装することができるからかも知れない。

(3)短篇小説を書く上で、この作品のどこを参考にすべきか?

 1)体験を私小説の形態で書いていること。その体験が強烈であればあるほど、 手記あるいは私小説の形態が相応しいのかも知れないと考えさせられた。特に私小説は手記を偽装することができるから、 それだけ書き手の自由度が高まる。

 2)小説の構成を起承転結で見た場合、転の部分が米兵を撃たなかったことについての自分の心理の分析になっており、 この心理分析の叙述だけで、文庫本のページ数で10頁を越える分量を費やしており、この部分への作者の力のいれ方がよくわかる。

自分の体験に拘る姿勢、特に米兵を撃とうとして撃たなかったことについて、 自分の心理状態に関する分析・検証へのしつこいまでの拘りが小説の核になっている。 こういう核になる部分が、短篇小説には必要だということである。

 3)ただし、読者がもっとも関心があるのは、この小説の場合、 「いかに生き残って戦場から帰還することができたのか?」と言う点にある。 これは作者のもっとも伝えたかったこととは少しズレが生じている。

このため、作者は、起承転結の転の部分で、米兵を撃たなかったことについての自分の心理の分析と検証についてクドいほど描写し、 読者のもっとも関心のある点については結の部分として、最後に持ってきているのである。 書き手は、往々にして自分がもっとも伝えたい部分こそが、読者ももっとも読みたいと思っている部分のはずだと勘違いすることがある。

冷静で優れた書き手は、そのような勘違いは犯さない。つまり、転で自分の伝えたいことを書き、結で読者の関心の高いことを書く、 というのが優れた短篇小説の書き方なのだろうと思ったところである。

<まとめ>

 レジメの「短篇小説を書く上で、この作品のどこが参考になるか?」の一部について賛同する意見もあったが、 それ以外には短篇小説の書手の立場からの作品の構造や形態に関する感想はなかった。

「主人公が米兵を撃とうとして撃たなかったのは、一瞬のはずなのに9頁もの長さで表現されているのは不自然」 という感想や「戦場の様子が自分が想像しているものとは違っていて違和感を感じた」という意見もあった。

なかには「面白く読んだ」という感想もあったが、そのほかは作品の内容について概ね批判的な感想であったと言える。 これは、団塊の世代である担当者にとっては正直なところ、少しショックであった。

大戦後76年目に入って、戦争に対する感覚が相当変化してしまっていることを改めて思い知らされた。 戦後文学も反戦運動もすでに歴史の中に埋没しつつあるのを感じた。

以上 上条満(山下) 記

「掲示板」に書き込まれた内容

 ・リアル出席者(敬称略)
 遠藤、河野、金田、佐藤直、山下憲、*山本さん
 注)山本さんは見学に来られた方です。

 ・「掲示板」での参加(順不同)
  金子さん、浅田さん、和田さん、藤本さん、藤村さん、
  中根さん、林さん、石野さん、藤村さん、成合さん、川島さん



◆次回の予定;
  日 時;2月 6日(土)
  場 所;「掲示板」による

  テーマ;「聖夜」佐藤多佳子
      文春文庫

  担当者;清水さん

(文学横浜の会)


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2007 文学横浜