「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2021年06月09日更新
「一月物語」平野啓一郎
担当 和田
平野啓一郎『一月物語』読書会 まとめ 担当.和田能卓
一、予告編からの引用。
〇この作品を選んだ理由。
作品の舞台が、父方の古里・古郷の奈良県十津川村であることによります。
和田本人は口承文藝調査でごく近くまで行ったことがありますが、十津川村は未踏の地で、将来ぜひ訪ねたい父祖の地です。
〇皆様にお尋ねしたいこと。
(1)この作品は面白かったでしょうか。
(2)D参考Tで述べられた創作意図が実現されていると思われますでしょうか。
D参考T 講談社現代新書2172『私とは何か――「個人」から「分人」へ』2012年9月20日第1刷発行 130ページ
私は『一月物語』の中で、「社会」対「個人」という思想の下に、自由民権運動に参加したものの、結局挫折し、「恋愛(ラっヴ)」をする自分というアイデンティティに救いを求め、情熱を賭けようとする主人公を描いた。これは、「恋愛」を「思想」にまで高めて同時代人に鮮烈な驚きを与えた、明治期の浪漫詩人、北村透谷にインスピレーションを得ている。
(3)Bの引用文中に「月を象徴とする神話的な物語」とあるのですが、これを妥当だと考えますでしょうか。
B平野啓一郎公式サイトhttps://k-hirano.com/の『一月物語』紹介文。
『日蝕』の姉妹篇として構想された第2作目。幻想的な自然美の中で生きられた、永遠の時。
明治30年、自由民権運動に挫折し、詩人となった青年真拆は、「神経衰弱」を癒やす旅の途上で、一匹の美しい蝶に誘われ、奈良県十津川村の山中に迷い込む。毒蛇に噛まれ、九死に一生を得た彼は、夢と現との狭間で、運命の女性との邂逅に心奪われる。――
月を象徴とする神話的な物語は、全平野作品中、最も耽美的。バイロン的ロマン主義と縁起との相克を、「情熱」的に生きようとする青年の姿が、典雅な文体で夢幻的に描かれている。
二、「皆様にお尋ねしたいこと」に対する私見。
(1)についてですが、十津川の郷土史取材はさておき、民俗学の範疇にある口頭伝承や心意伝承を豊富に取り入れて構築された、「いとをかし」の意味でたいへん面白い作品だと思いました。
(2)についてですが、自由民権運動に挫折したから恋愛に走ったのとは異なり(あっちがダメならこっちにというのではなく)、自己にとって大切な物事には情熱的にのめり込む人物として描かれた主人公だと捉えました。北村透谷を主人公のモデルにしたことは、まことに当を得たものと思います。透谷の伝記的事実に重ねて読むとき、引き歌のように主人公のイメージに重ね合わせられ、人物像としてリアルさを感じさせられました。
(3)についてですが、時間の流れを月の満ち欠けによって表現し、作品世界の雰囲気作りとして「月を象徴」的に扱っていると思いますが、この作品を「神話」と呼ぶことには違和感を感じました。・・・本作品を「神話」と捉えるのは新潮文庫版にある渡辺保氏の解説によるのだろうと推察しています。
三、この作品を読んで。
平野啓一郎『一月物語』に使用された文体の特徴は、文語調で漢語を多用した点にあります。今回わたくしは基本、漢和辞典と国語辞典の併用によって言葉を確認して読み進めました。蛇足ながら古語辞典のお世話になることはありませんでした。作中に引用された漢詩はインターネットで検索して大要を掴みました。
舞台とした十津川の山中の描写は泉鏡花の『高野聖』と読み比べても遜色なく、深山幽谷を上手く描いていると感じました。十津川村の近く、大塔村辺りの山道の様子を思い出しても、納得がゆくものでした。
主人公を通して読者を夢と現(うつつ)、現と幻(まぼろし)の間を往還させる作品です。取材時に郷土史誌等によって得たであろう知識中から実在した旅籠・上西を登場させ、作品に現実性を持たせることによって幻想性が際立たせられている点、見事だと思いました。この今はない上西に思いをいたすとき、現代に書かれた作品によって遠い時代を偲ばせられました。
全編にわたって出てくる民俗学の範疇にある事柄、なかんずく口頭伝承・心意伝承に関わるものなのですが、読み進めてゆくうちに想起されたのは、死や霊魂に関わる夕影鳥(ほととぎす)・蝶(黒揚羽)、見毒=邪視、形見の櫛、八郎太郎・田沢湖の辰子姫(三湖伝説)、鶴女房、浦島太郎、鴬(うぐいす)の里、異類婚姻譚、三輪山神話、遠野物語、見るなの座敷などでした。これらが一編を通して存在することによって、伝承が生きている深い山里の雰囲気が醸成され、狂気にも似た作品後半の主人公と高子(『伊勢物語』の昔男に擬せられる在原業平の思い人と同じ名)の姿を描き出す、現代民俗文学の証を感じるものです。
この『一月物語』を現代民俗文学だというのは、かつて書いた、以下のような認識に基づくものです。
「一般に、その作家の作品に民俗の影が射している場合、それが無意識的あるいは意識的なものによっているということは言を俟たない。すなわち、無意識的にとはその作家の内部にもともと民俗(=民俗的感性)が存在し、それが作品に反映される場合を言うのであり、意識的にとはその作家が民俗あるいは民俗学を知識として(それこそ)意識的に学習し、それを作品の上に生かす場合を言うのである。」(『福永武彦論』7ページ。1994年10月、教育出版センター)
文学横浜の会2021年6月読書会に向けて。(レジメ) 担当.和田能卓
◎さっそくですが、皆様にお尋ねしたいことがら。
(1)この作品は面白かったでしょうか。
(2)D参考Tで述べられた創作意図が実現されていると思われますでしょうか。
(3)Bの引用文中に「月を象徴とする神話的な物語」とあるのですが、これを妥当だと考えますでしょうか。
@課題本 平野啓一郎『一月物語』。
『一月物語』:初出『新潮』1998年12月号。
単行本:1999年4月、新潮社。
新潮文庫本:2002年9月。
『日蝕』との合冊新潮文庫本2010年1月
2021年4月イタリア語版刊行。
Aこの作品を選んだ理由。
作品の舞台が、父方の古里・古郷の奈良県十津川村であることによります。
和田本人は口承文藝調査でごく近くまで行ったことがありますが、十津川村は未踏の地で、将来ぜひ訪ねたい父祖の地です。
B平野啓一郎公式サイトhttps://k-hirano.com/の『一月物語』紹介文。
『日蝕』の姉妹篇として構想された第2作目。幻想的な自然美の中で生きられた、永遠の時。
明治30年、自由民権運動に挫折し、詩人となった青年真拆は、「神経衰弱」を癒やす旅の途上で、一匹の美しい蝶に誘われ、奈良県十津川村の山中に迷い込む。毒蛇に噛まれ、九死に一生を得た彼は、夢と現との狭間で、運命の女性との邂逅に心奪われる。――
月を象徴とする神話的な物語は、全平野作品中、最も耽美的。バイロン的ロマン主義と縁起との相克を、「情熱」的に生きようとする青年の姿が、典雅な文体で夢幻的に描かれている。
C同サイトによる作者プロフィール(以下に続く受賞歴等、省略)。
平野啓一郎(小説家)
1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。
1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。
以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在した。
美術、音楽にも造詣が深く、日本経済新聞の「アートレビュー」欄を担当(2009年〜2016年)するなど、幅広いジャンルで批評を執筆。2014年には、国立西洋美術館のゲスト・キュレーターとして「非日常からの呼び声 平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」展を開催した。同年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。
また、各ジャンルのアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。
著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』等、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「生命力」の行方〜変わりゆく世界と分人主義』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』等がある。
2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計58万部超のロングセラーとなっている。
2019年9月から2020年7月末まで、北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞にて、長編小説『本心』連載。「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする。ミステリー的な手法を使いながらも、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった、現代人がこれから直面する課題を浮き彫りにし、愛と幸福の真実を問いかける平野文学の到達点。2021年5月26日、単行本刊行予定。
長編英訳一作目となった『ある男』英訳『A MAN』に続き、『マチネの終わりに』英訳『At the End of the Matinee』も2021年4月刊行。
D参考T
講談社現代新書2172『私とは何か――「個人」から「分人」へ』2012年9月20日第1刷発行 130ページ
私は『一月物語』の中で、「社会」対「個人」という思想の下に、自由民権運動に参加したものの、結局挫折し、「恋愛(ラっヴ)」をする自分というアイデンティティに救いを求め、情熱を賭けようとする主人公を描いた。これは、「恋愛」を「思想」にまで高めて同時代人に鮮烈な驚きを与えた、明治期の浪漫詩人、北村透谷にインスピレーションを得ている。
E参考U
奈良県十津川村については司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ中の十津川篇(連載・『週刊朝日』1977年10月14日号〜1978年1月27日号。単行本 1980年9月 朝日新聞社刊。現在、朝日文庫にて刊行)が大いに参考となります。ここでは、これを原作とした『NHKスペシャル 街道をゆく 第2シリーズ 第5回 十津川街道』の解説(NHKオンデマンドによる)が、同書の主題・内容を端的に伝えていると思いますので、引用することにいたします。
奈良県の最南端、紀伊半島のほぼ中央にある十津川村。70もの1000メートル級の山々に抱かれた山里です。作家・司馬遼太郎は、十津川村の特異な歴史に注目しました。この地の人々は「免租」という特権を守るために、保元の乱、大阪の陣、明治維新など、戦乱のたびに中央に兵を繰り出してきました。なぜ、十津川村はこのような歴史をたどったのか。第五回は、山深い秘境に足を踏み入れ、十津川村の歴史をひもときます。
F参考V
『一月物語』イタリア語版について、平野啓一郎公式サイトより。
訳文はサイトに表示された翻訳ボタンをクリックして得たものです。
Racconto di una luna
Collana Contemporanea
Il libro
Scritto in una lingua ricercata e suggestiva, Racconto di una luna e un romanzo onirico e ricco di poesia che trasporta il lettore in un Giappone lontano e incantato. Una delle prime, convincenti prove di un giovane autore che avrebbe vinto il premio Akutagawa.
月の物語
コンテンポラリーネックレス
ザ・ブック
洗練された刺激的な言葉で書かれた「月の物語」は、遠く、魅惑的な日本に読者を運ぶ夢のような詩豊かな小説です。芥川賞を受賞した若い作家の最初の説得力のある証拠の一つ。
以上 和田 記
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