「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2021年10月04日更新
「三四郎」夏目漱石
担当 金田
今回、と言うか毎回だが、何をテーマにするか大いに迷う。
「三四郎」は若い時に読んだのだが、内容はすっかり忘れている。
「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」とかは一度ならず読んでいて、なんとなく覚えているのに…。
それで「三四郎」を再読しようと思い、決めた。
決めたはいいが、9月になって購入し、「三四郎」が思ったより長編で、「しまった!」と思った。53号の締め切りまじかで、皆には「負担になるかな」と後悔したが、もう遅い。
でも、それ程読みにくくもないので、勘弁してほしい。
<「三四郎」夏目漱石 読書会を終えて>
長編小説だったせいか、53号への原稿締切月と重なったためか、参加者は幾分少なかった。
掲示板への書き込みにも、若い頃に読んで再読した方も多くいて、改めて夏目漱石の大きさを知らされる。
「三四郎」は新聞小説でもあり、長編小説でもあり、読み方によって或いは読み手の思考によって様々な読み方がある。
リアルでの発言や書き込みにも、若い時に読んで感じなかった、或いは判らなかった事が今回再読して解った、
と言う感想も幾つかあった。
それが名作と言われる所以かも知れない。男女の機微に亙る事柄は若い頃には実感の伴わない世界でしかない。
ぼく自身で言えば、再読して三四郎が上京する際に知り合った女との同宿の件だけは思い出したが、
その他の内容については全く覚えていないのだから…。
再読しようとの動機だった作者の当時の社会に対する批判は「(日本は)亡びるね」とか
「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた300年の活動を40年で繰返している。」とかで、
作者が当時の社会状況をどう感じていたかを知った。
当時の学生(三四郎)が20円の仕送りをうけ、地方では30円で「4人家族が半年暮らせる」と
三四郎の母親からの手紙にしたためられている事に、当時から格差はあったのかな、と感じた。
最も、現在と当時の貨幣に対する考えは同じではないと思うが、どんな時代にも格差があったのは確かだが、
今のような社会問題にはなってはいないと小説では思える。
社会問題になるのは自然災害による凶作で死者が出たり、不況により社会不安に陥った時だろう。
だが、「三四郎」が書かれた時代はそうした時代ではない。
地方にあっては現代ほど現金がなくても生きていけた社会、つまりある程度の自給自足体制が残っていたに違いないし、
都会では既に現金なくして生きていけない社会になっていたに違いない。
ともあれ「三四郎」には作者の同時代に対する思いはあるものの、
この小説はある意味、青春小説だと思う。
「掲示板」に書き込まれた内容)
以上 金田 記
・出席者(リアル、敬称略)
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