「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

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2022年01月10日更新


「夜叉ヶ池」泉鏡花

担当者 篠田

 文豪にもかかわらず泉鏡花はなぜか今まで文横読書会で扱われたことがなかった。
いつか誰かが担当するものと思っていたのだが、結局筆者がその役回りを務めさせて頂くこととなった。

レジュメとは言っても泉鏡花の略歴及び『夜叉ヶ池』の粗筋についてはウィキペディア等を見て頂けばすぐに分かることなので、ここでは省略させて頂きたい(リアル読書会では転載予定)。

また会員の皆さんが感想を語り合う前に私見はあれこれ述べられない。

そうなると残るは、泉鏡花『夜叉ヶ池』を選んだ大よその経緯を述べることと、予め論議になりそうなテーマ的なことを投げ掛けることであろうかと思う。

(1)選んだ経緯  〜汲めども尽きぬ泉鏡花〜

十代の頃に読んだ『高野聖』に始まり、数えたらこれまで大きく六つもの泉鏡花のマイブームの波があった。そしてどの波でも裏切られるということがなかった。
それどころか興味は深まる一方で、筆者にとって汲めども尽きぬ泉の如き存在が泉鏡花であり、そのことが選んだ理由と言える。

この六つの波についてと何故『夜叉ヶ池』なのかについての説明は、長くなるのでリアル読書会及びまとめ段階で述べさせて頂くことにしたい。

それぞれの波が起きる度に、未知だった鏡花ワールドを徐々に開拓していくことに繋がった。因みに、大文豪の多くに当て嵌まることだが、鏡花も多くの作品が舞台化、映画化されている。

また以前、金沢市にある泉鏡花記念館にも参じた。
さらに、鏡花の師、尾崎紅葉を始めとする関連作家や、鏡花から影響を受けた名だたる作家、漫画家、役者等々へも関心が湧き、文字通り波及効果も大きかった。

以上、これまでに断続的に鏡花の世界を堪能してきたことで、読書会テーマに選ぶことに繋がったのが経緯である。

(2)テーマ的なこと  〜『夜叉ヶ池』のような小説の来し方、現在、行く末〜

『夜叉ヶ池』は、読者によって相当好き嫌いがはっきりと分かれるであろう。
詰まるところ、読んでそのままを受け入れるか、逆に全編に渡る不合理な側面に耐え切れないかのどちらかではないだろうか。
物語のディテールに疑問を言い出したら切りがない訳で、その点においては担当者の立場として特に投げ掛けるようなテーマ的なことはない。物語を通じてどう感じたかで十分と考えている。

その一方で、『夜叉ヶ池』を通して、マクロ的視座において鏡花を論ずる余地は十分あろうかと思っている。
鏡花を論ずる際は、もちろん様々な著作がある中でだが、少なくとも幻想的な小説の方向性と、いわゆる新派物の小説の方向性の二大切り口がある。『夜叉ヶ池』は『高野聖』や『天守物語』などと並んで前者に属している。

鏡花の幻想的方向性の小説の特徴は、際立って観念的、耽美的、幽玄的であることがキーワードとして浮かび上がってくる。

問題は読者が好悪を含め、一体この小説をどう受け止めるかであろう。リゴリズム的な立場からすれば不合理な側面が多くて突っ込みどころが満載だからである。

そこでいきなりだが、次のテーマ(論題)的なことを提示したい。

(テーマ1) 読者各々が『夜叉ヶ池』を読んでどう感じたか。基本的にはこれで十分である。

(テーマ2) 関心の強まった方は、『夜叉ヶ池』のような泉鏡花の観念的小説が、どういう来し方だったのか、現在はどう捉えられているのか、そして行く末はどうなっていくのか、について触れて頂ければと思う。 但し、そこまで踏み込むか否かは各自ご自由に。

以上、宜しくお願い致します。

「掲示板」に書き込まれた内容

以上 篠田 記

 ・出席者(リアル、敬後藤、称略)
  遠藤、太田、金田、篠田、森山、中谷、山下憲、原*、荒井*

  注;原さん、荒井さんは見学に来られた方です。

 ・「掲示板」からの参加(敬称略) 9日現在
  中谷、浅丘、金田、遠藤、山口、石野、阿王、清水、林、佐藤直、和田、成合、太田

◆2月の読書会(リアル)
  日 時;2月 5日(土)17時半〜
  場 所;かながわ労働プラザ
  テーマ;「移動祝祭日」ヘミングウェイ 新潮文庫

     リアルへの参加は有志です。
     参加できない方も含めて「掲示板」にも書き込んで下さい。

  担当者;杉田(佐藤直)さん

(文学横浜の会)


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