「文学横浜の会」

 読書会

評論等の堅苦しい内容ではありません。
小説好きが集まって、感想等を言い合ったのを担当者がまとめたものです。

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2022年07月04日更新


「桃子」等(『つめたいよるに』収録)江國香織

担当者 阿王

「掲示板」に書き込まれた内容

1.はじめに・・・選んだ理由について

 自分が幹事の回に選ぶ作品を考えたとき、何作品か考えたが、そのなかで、一度も読んだことがなかった江國香織さんの作品をやってみたいと思いました。
短編集「つめたいよるに」で印象的な作品で、絵本にもなっていると知り、興味がわき、この作品を選びました。
※最初は「桃子」のみのテーマで読書会をしたいと思ったのですが、小児性愛や変身物語のことと、短編としてかなり短いので、「つめたいよるに」収録の作品群についても考察をしようと思うようになりました。

2.読書会のテーマ

 読書会で、次のテーマついて皆さんのお話をお伺いしたいと思います。非常に短い短編でありながら、内容の濃い作品と思うので、この作品を読まれた皆さんのお話をお伺いしたいと思います。
(1) なぜ二人は鳥と花に変身したのかを教えてください
(2) 感想 ※「つめたいよるに」の本の作品でぜひ感想を教えてください

3.作品

 本編は、光村図書の児童文学総合誌『飛ぶ教室』に投稿された短編で、江國香織の小説の処女作であるとみなされている。また、「桃子」には作者の父が携わってきた落語や講談といった、古典芸能(話芸)の諸要素が作品の骨格をなしている。
江國香織『桃子』「つめたいよるに」新潮文庫・1996年
江國香織・文/飯野和好・絵『桃子』旬報社・2000年
がある。

4.作者

 江國香織・・・1964年3月21日生まれ。江國滋(しげる)の娘。青山の中高一貫校に通い、高校生の時、角川書店の読書感想文『金閣寺』で入選。目白学園女子短期大学に入学。卒業後、アテネ・フランセに通う。
 1985年、『ユリイカ』に詩「綿菓子」を投稿、「今月の作品」に入選する。光村図書の児童文学総合誌『飛ぶ教室』に投稿した「桃子」が小説としての処女作あるとみなされる。1987年、アメリカ・デラウェア大学に留学した。アメリカ滞在中、毎日新聞社「はないちもんめ」第4回<小さな童話>の大賞に「草之丞の話」が選ばれる。
作品は第一回フェミナ賞(学習研究社主催)を受けた、「409ラドクリフ」、『きらきらひかる』(紫式部文学賞)、『ぼくの小鳥ちゃん』(路傍の石文学賞)、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(山本周五郎賞)、『号泣する準備はできていた』(直木賞)、『がらくた』(島清恋愛文学賞)、ほかに『神様のボート』、『間宮兄弟』、『冷静と情熱のあいだRosso』、『こうばしい日々』(坪田譲治文学賞)、『真昼なのに昏い部屋』(中央公論文芸賞)、『犬とハモニカ』(川端康成文学賞)など。

5.変身物語について

 作品では変身物語が描かれるので、オウィディウスの『変身物語』で似たような変身譚を探した。
 ナルキッソスとエコー
「ナルキッソスは、このように彼女を愚弄した。〜「あの少年も、恋を知りますように!そして、恋する相手を自分のものにはできませんように!」〜泉に映った自分の姿に魅せられて、実体のないあこがれを恋した。〜だが、死体が消えていた。そのかわりに、白い花びらにまわりをとりまかれた、黄色い水仙の花が見つかった。」
 かわせみ
「そして、神々の同情を受けて、ふたりは鳥に変えられた。この同じ変身の運命をこうむったあとも、おたがいの愛は続いた。翼もつ鳥になっても、夫婦(めおと)のちぎりに弛(ゆる)みはなかったのだ。」 

6.「つめたいよるに」の特徴について

新潮文庫「つめたいよるに」の作品構成は、「つめたいよるに」9作品・「温かなお皿」12作品の計21作品の作品群から成る。
(A)作品のページ数

〇つめたいよるに
デューク・・・12頁〜20頁(9ページ)
夏の少し前・・・22頁〜30頁(9ページ)
僕はジャングルに住みたい・・・32頁〜40頁(9ページ)
桃子・・・42頁〜49頁(8ページ)
草之丞の話・・・52頁〜59頁(8ページ)
鬼ばばあ・・・62頁〜78頁(17ページ)
夜の子どもたち・・・80頁〜88頁(9ページ)
いつか、ずっと昔・・・90頁〜99頁(10ページ)
スイート・ラバーズ・・・102頁〜111頁(10ページ)

〇温かなお皿
朱塗りの三段重・・・116頁〜121頁(6ページ)
ラプンツェルたち・・・124頁〜129頁(6ページ)
子供たちの晩餐・・・132頁〜137頁(6ページ)
晴れた空の下で・・・140頁〜145頁(6ページ)
さくらんぼパイ・・・148頁〜153頁(6ページ)
藤島さんの来る日・・・156頁〜160頁(5ページ)
緑色のギンガムクロス・・・162頁〜167頁(6ページ)
南ヶ原団地A号棟・・・170頁〜175頁(6ページ)
ねぎを刻む・・・178頁〜182頁(5ページ)
コスモスの咲く庭・・・184頁〜189頁(6ページ)
冬の日、防衛庁にて・・・192頁〜197頁(6ページ)
とくべつな早朝・・・200頁〜205頁(6ページ)

「つめたいよるに」「温かなお皿」というタイトルの作品はない。
「つめたいよるに」と「温かなお皿」は短編の作品群を筆者がたとえたタイトルであろう。

(B)ひらがな表記の多さ

「つめたいよるに」の作品群はそのタイトルもそうだが、まず、特徴として、ひらがなでの表記が非常に多いことがあげられる。

「私がピアノをひくと」「まだかすかにあたたかかった」「つめたくなってしまった」「みょうに明るい声で」「表にでてドアをしめたとたん」「かばんをかかえた女学生」「私のおりた駅で」「私は気持ちがおちついてきた」「歳末大売り出しのたれまく」「じょうだんじゃないわ」「アイスクリームのあまさ」(以上『デューク』)

「かかえていたさいほう箱が」「つくえの中に」「今日のいのこりだって」「いすにこしかけたまま」「大きくあけはなした窓から」「男の人は、おこったようにそう言った」(以上『夏の少し前』)

筆者が年若い人やどんな人にも読みやすいために意図してひらがな表記を多くしている、もしくは、短編の主人公が年若い人物が多いため、主人公の目線に合わせてひらがな表記を多くしているのではないだろうか。


(C)各作品のテーマ
各作品のテーマを短くまとめてみた。

〇つめたいよるに
デューク・・・飼っていた犬への思慕・ファンタジー
夏の少し前・・・少女の空想・もしくはパラレルワールド、ミステリー
僕はジャングルに住みたい・・・小学生から中学生になる時の人との別れのせつなさ
桃子・・・異常性愛・児童への愛情・ホラー
草之丞の話・・・父親である幽霊の草之丞について息子から見たユーモラスなホラー
鬼ばばあ・・・養老院のおばあさんと少年の心の交流
夜の子どもたち・・・大人たちの普段隠している幼児性を描いたホラー
いつか、ずっと昔・・・輪廻転生を描いたホラー
スイート・ラバーズ・・・※すみません・このテーマが理解できませんでした

〇温かなお皿
朱塗りの三段重・・・飼い犬への度が過ぎた愛情を描いたユーモア
ラプンツェルたち・・・女子会の様子
子供たちの晩餐・・・子どもたちの禁じられたことを破る時の快感
晴れた空の下で・・・年をとることのわびしさ
さくらんぼパイ・・・別れた夫婦の良い関係性
藤島さんの来る日・・・飼い主の不倫を猫の目から冷ややかに描く
緑色のギンガムクロス・・・異父姉妹の恋愛模様
南ヶ原団地A号棟・・・三者三様の食の悩み
ねぎを刻む・・・一人暮らしの女性のさみしさ
コスモスの咲く庭・・・日曜「料理」をする父親のおかしみ
冬の日、防衛庁にて・・・正妻の余裕にかなわない愛人の負けた様子
とくべつな早朝・・・バイト先から本当に好きな女の子に連絡した男の子の恋の成就

(D)「温かなお皿」の食事メニュー
「つめたいよるに」はホラーのような短編が多いのに対して、「温かなお皿」では、食事の様子がそれぞれ描かれる。

朱塗りの三段重・・・何種類のドッグフードとバナナ、ささ身の酒蒸しとプリン(犬用)
ラプンツェルたち・・・ハンバーガー・スパゲティなど
子供たちの晩餐・・・カップラーメン、派手なオレンジ色のソーセージ、ふわふわのミルクせんべいと梅ジャム、水に溶かす粉末ジュースなど

晴れた空の下で・・・黄色い玉子焼きと手毬麩のおつゆ
さくらんぼパイ・・・さくらんぼパイ
藤島さんの来る日・・・じゃがいもを茹でている
緑色のギンガムクロス・・・レモネード、サンドイッチ
南ヶ原団地A号棟・・・アイスクリーム、カレー、シチュー、エンジェルチョコレートマシュマロムースなど
ねぎを刻む・・・ねぎ
コスモスの咲く庭・・・熱々の焼きそば
冬の日、防衛庁にて・・・ミラノ風カツレツ、コンソメスープと魚のソテー
とくべつな早朝・・・アイスクリーム

(E)また、1996年の短編ということもあり、今だと懐かしい表現が多数登場するのもこの「つめたいよるに」「温かなお皿」作品群の特徴である。
 下記注釈★はウィキペディアによる。

顔はジェームス・ディーンに似ていた(『デューク』より)
  ★ジェームズ・ディーン(James Dean、1931年2月8日 - 1955年9月30日)は、アメリカ合衆国の俳優。愛称はジミー(Jimmy)。
自身の孤独と苦悩に満ちた生い立ちを、迫真の演技で表現し名声を得たが、デビュー半年後に自動車事故によって24歳の若さでこの世を去った伝説的俳優である。非常に短い活動期間ながら、彼の存在は映画俳優や、ロックンロール、ロッカー、ティーンエイジャーのライフスタイル、カウンター・カルチャーにも影響を与えた。

野村さんへ。
俺たちに明日はない。暮林恭介(『僕はジャングルに住みたい』より)
  ★『俺たちに明日はない』(おれたちにあすはない、原題:Bonnie and Clyde)は、1967年製作のアメリカ映画。世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画。アメリカン・ニューシネマの先駆的作品の1つであり、画期的な映画と見なされている。映画における多くのタブーを破ったことで、カウンターカルチャーを支持する人々には「ラリーの叫び」と見なされた。この成功により他の映画製作者は、自分の映画でセックスと暴力を表現することにオープンになった。映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい死のシーンの1つ」として象徴化された。本作はアカデミー助演女優賞(エステル・パーソンズ)と最優秀撮影賞を受賞した。


少し前にはビックリマンチョコのシールあつめもはやったけれど(『夜の子どもたち』より)
  ★ビックリマンは、1977年(昭和52年)から日本で発売されている株式会社ロッテのチョコレート菓子。「ビックリ」することをコンセプトとしたシールをおまけとして封入した商品である。当初のおまけシールのシリーズは誰かを驚かせることを狙ったデザインでそれなりの人気を博していたが、1985年(昭和60年)に出した第13弾を最後に終了した。換わって新たに始まったシリーズは、驚くような珍しいシールが入っていることを売りにしたもので、トレーディングカードの要素が生まれたことも相まって人気が沸騰した。特に「悪魔VS天使」シリーズは1980年代後半から1990年代初頭にかけて大ブームを巻き起こし、アニメなど様々な関連商品をも生み出した。『別冊宝島』には1985年のサブカルチャーおよび流行の一つとして紹介されている。

愛用のソニア・リキエルのポーチから(『ラプンツェルたち』より)
  ★ソニア・リキエル(Sonia Rykiel, 1930年5月25日 - 2016年8月25日[1])は、フランスのファッションデザイナー。日本では1980年代、セゾングループのエルビスが輸入販売を手掛けていた。その後オンワードグローバルファッション (OGF) が総代理店となっていたが、ミッソーニと共に2017-2018年秋冬コレクションで終了。

シンニード・オコナーなんか持ってるんだ(『ラプンツェルたち』より)
  ★シネイド・オコナー(Sinead Marie Bernadette O'Connor、1966年12月8日 - )は、アイルランド出身のミュージシャン

リビングでシュワルツェネガーのビデオを観ている。(『藤島さんの来る日』より)
  ★アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー(Arnold Alois Schwarzenegger、発音 [??v??rtsn???r]、ドイツ語発音: [?a??n?ld? ?al??s ??va??t?sn?????]、1947年7月30日 - )は、オーストリア系アメリカ人の俳優、実業家、元ボディビルダー、元政治家であり、2003年から2011年まで第38代カリフォルニア州知事を務めた。

私はアドレス帖をひっくり返し、(『ねぎを刻む』より)

クリスマスイブにさ、〜カップルなんて赤坂かどっかでイタリア料理でも食ってりゃいいんだよ。(『とくべつな早朝』より)
  ★赤坂プリンスホテル
  開業は1955年10月1日で、最終的には旧館・別館・新館・五色(コンベンションセンター)・弁慶橋清水(料亭)・赤坂プリンスレジデンスの6棟から構成されていた。「赤プリ」の愛称で知られ、特に1983年に開業した40階建ての新館は、隣接するホテルニューオータニのタワー棟と並んで赤坂見附にそびえ、バブル時代はトレンディスポットとしても人気を得ていた。芸能人やスポーツ選手の結婚式の披露宴会場に使用された。バブル時代にはクリスマスを高級レストランや高級ホテル、リゾートで過ごすことが流行しており、赤坂プリンスホテルのクリスマスの宿泊予約も9月末には埋まり、クリスマス明けにチェックアウトした客がその場で翌年分を予約するほどの人気であったという。

7.参考文献

福田和也『江國香織を読む〜ふてぶてしくも豪奢な美と愛〜』廣済堂出版・2014年
江國香織「つめたいよるに」新潮文庫・1996年
江國香織・文/飯野和好・絵『桃子』旬報社・2000年
オウィディウス/中村善也訳『変身物語』(上)(下)・岩波文庫・1984年
ウィキペディア

8.皆さまからの感想


皆様からは多数のご感想を寄せていただきました。

★掲示板に寄せられた感想・意見
【肯定的な感想・意見】
・結局のところ現世でこれだけ歳が離れたカップルが祝福され恋愛成就できるはずもなく、現世で叶えられなかった思いはこのような「鳥と花」という組み合わせにして成就させるしか方法はないでよという落としどころではないでしょうか。
・怖い童話、世の中では、見える世界と見えない世界がある。見えない二人だけの心の世界、それが青い花と、小鳥でしょう。優れた怖い童話です。
・映画「禁じられた遊び」を思い起させられました。桃子は天隆の元へ戻りたくて自由に飛べる鳥になり、天隆は修行僧としての自分から逃れてはいけないと考えながらも、桃子への思いは募るばかりで、その思いが美しい花となったのではないでしょうか。
・若い男女が夢見るような表情で抱きあったまま静かに青い夜空を飛ぶー。そんなシャガールの絵を思い浮かべた。幻想的で美しい作品だ。
・幼女と言ってもいい7歳の桃子と、青年の天隆。どんなにひかれあったとしても、社会常識で許される恋ではない。ましてや天隆は修行僧だ。許されないからこそ思いは募る。その思いは人間の殻を割ってあふれだし、2人を変身させた。桃子が鳥になったのは孤独だったため自分の意思でどこでもいけ、どこでもとどまれる自由な存在になりたかったのではないか。一方、天隆は自分が桃子の居場所になるため、生きながら即身仏のような姿になった。青い花と白い小鳥の赤いくちばしとのコントラストも鮮やかだ。
・しかし実写版の映画にしたらグロテスクな作品になってしまうだろう。
・一途な恋に憧れている年頃の独身女性が書いた、大人のファンタジー物語なのではと思った。
・掌の小説(川端康成)を連想させるような作品集。源氏物語の光源氏が紫の上を略奪した頃。作者は恋愛の純粋結晶を象徴的に描こうとしたのかもしれません。この変身譚は一種の心中物語といえる。
・桃子に惹かれた天隆は冷静を失い、狂っていく様子が非常に怖かった。
・引き取りに来た叔母夫婦の目前で小鳥になって飛びたったのは、天隆と一緒にありたいという願いからだろう。『牡丹燈籠』の生気吸いを思い出さずにいられなかった。

【否定的な感想・意見】
・童話作家とのことですが「桃子」の他、「草之丞の話」等私はどれも児童文学とは思えず、子どもに薦めたくはありません。しかし児童文学、童話というくくりを外して読めば、面白いと思います。たくさん、次も読みたいとは思わない。
・現代的で女性的。現実性がうすく場面設定が唐突であるところは、物語におけるシュールレアリスムではないか。発想に面白いところはあるけれど、それ以上ではない物語。
・芥川を思わせる。しかし都会的でスタイリッシュさが強調された話には、「文学」がおいてきぼりを食らうようで、共感しにくいところもあった。
・光村図書の飛ぶ教室に入選した「桃子」だが本作を児童文学として子供に読ませてよい物語なのか、困惑させられた。子供向けの作品ではない印象を受けた。

【斬新な感想・意見】
・桃子が世話係に任命された天隆と、セミやミミズやアリを残酷に殺生するシーンから感じたのだが、桃子はもともと前世で鳥だったのではないか。鳥が餌をあさるような感覚を体現したのではないか。その自然さに、つい天隆も一緒になって行動してしまったと考えた。
・天隆の花はヒマラヤ5000メートルに咲く幻の青いケシを連想した。

また、当日も皆さまから多数の感想・意見をお伺いいたしました。

【当日の感想・意見】
・桃子と天隆、恋愛物語としては無理がある。桃子は孤独で天隆宇に頼ったのは安心感からで、不安のかたちが小鳥に変身し花に変身したのではないか。
・起承転結の転で終わって結が未熟、荒唐無稽な作品。全体の構成からして変。イメージについていけない。人生的に匂わせたものがない。説得力がない。
・恋は魔法にかかるもので恋することは取りつかれること。桃子は殺生の遊びをして天隆を滅ぼしている、やせ衰えさせている残酷さを感じる
・アイディアは面白いけれど説得力に欠ける
・さらっとしている作品
・ただ筆者がこの「桃子」から作品賞をとり伸びていった軌跡を見るという上では良いがつまらないので、読む気にならない
・自分の近くにいる人がありがちな話で、教科書で読むような内容と違う
・エッセイなどは独特で好きな感性で女性として共感できる
・頭山の落語を連想させる
・マノン・レスコー、ロリータなど少女に翻弄される男の物語で、性欲はかなり低い年齢からある。掌編小説。芥川とは違う作品。

また、『つめたいよるに』のなかでは「デューク」の完成度が高いと評価が皆様から高かったです。

9.まとめと自分の意見

今回できるだけ短編を選んだため、その頁数のためか物語のワンシーンのような作品が多かったのがこの「桃子」(『つめたいよるに』)でした。
皆さまからの感想・意見が私の想像とは違って意外な展開になり、驚きました。
「桃子」の12歳差の恋愛は、紫の上を光源氏が見初めて連れ去るときの年齢差に近いです。
思うに「桃子」は蠱惑的なファム・ファタールの文学ではないかと思います。
7歳と19歳という12歳差の恋愛は、倫理的な問題があるかもしれませんが文学としてはアリだと私(阿王)はおもいます。
また、江國香織の作品は、芥川太宰川端のような美しく完全な文学ではないかもしれません。ですが、当日の寄せられた感想・意見に「ただ筆者がこの「桃子」から作品賞をとり伸びていった軌跡を見るという上では良い」とありましたが、この「桃子」が処女作であるならば、このわずか8ページの文章でここまで書けるかというと私だったら書けないと思いました。作品賞は作家の卵の伸びしろを見て授賞すると思っているので、文壇にとって、同じ時代から若い作家が出なければならないと思い、同じ時代の現代作家の作品を読んでいたただいても良いのかな、というのが私(阿王)の意見です。
また、私自身は三島川端菊池寛が日本文学では好きです。この「桃子」を読んでいたら、江戸川乱歩の「女王蜂」「黒蜥蜴」を思い出しました。
今回のテーマですが、
(1) なぜ二人は鳥と花に変身したのかを教えてください
(2) 感想 ※「つめたいよるに」の本の作品でぜひ感想を教えてください
(2)は割愛させていだきますが、(1)のなぜ桃子が鳥に、天隆が花になったのかを私は考えたのですが、桃子は鳥になり、いろいろなものから解放され羽ばたいたのです。
白い赤いくちばしの小鳥になったのは、まだなにも穢れを知らない白い純白に、赤いくちばしは赤いくちびるが変化した姿なのではないでしょうか。赤いくちばしは少女の持つほんのすこしの色気なのです。そして天隆の頭から生えた青い花は天隆の煩悩である桃子への狂わしいばかりの恋情なのです。その天隆の桃子への恋情の大輪の花を桃子であった小鳥は住みかにして、好きで好きで狂わんばかり「目ばかり大きくなって」しまった天隆の愛情の大輪の花に住みながら、桃子は天隆の愛情をたっぷり受けて、安心できる住処に寄生したのです。私自身はイメージ
は冬虫夏草をイメージしてこの話を読みました。

以上 阿王 記

 ・出席者(リアル)順不同、敬称略
  阿王、荒井、遠藤、金田、河野、篠田、林、山下憲(上条)、藤原、寺村(港)、野田(十河)、*斉木

 注;斉木さんは見学に来られた方です。
 ・「掲示板」からの参加(敬称略)07/01現在
  遠藤、清水、中谷、森山、石野(佐藤ル)、寺村、藤原、藤本、荒井、十河(野田)、和田、山口(鶴見)、金田、杉田(佐藤直)、成合

◆9月の読書会。
   日 時:9月3日(土)17時半〜
   場 所:神奈川県民センター内、会議室
   テーマ:「お伽草子」太宰治 岩波文庫 他
   担当者;森山さん

(文学横浜の会)


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