「文学横浜の会」
読書会
評論等の堅苦しい内容ではありません。2023年 2月 6日更新
「推し燃ゆ」宇佐見りん
担当者 原
「掲示板」に書き込まれた内容
読書会にあたってのレジメ
〜“文学”はどこへいくのか〜 原 りんり
“文学”の概念について語る能力はない。
宇佐見りんのこの小説はネットの書き込みでは、すごくしんどい気分になるという読後感が多かった。
一般的な読後感としては、よくある話で特別面白い作品でもすごい作品でもないだろう。
綿矢りさの「蹴りたい背中」のときは、正直そこまでの作品かなあと思っていたので、
ただ、一部の評価で文章が上手いとか、百年後には古典になっているかもというのを目にして興味をもち、
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この作品のおおよその時系列を整理するとこうなる。
主人公のあかりちゃんは、あまり勉強はできない普通の女子高生で、
“推し”が燃えたという文章で始まるこの作品は、長年本当に愛して止まない一方的だが幸せな安定した日常に、
あかりちゃんはご多分にもれず体育などは見学する保健室大好き派で、病院での受診を求められて、
当然授業中もイアホンでスマホに没頭し、案の定“推し”がマスコミでさらし者にされていて気が気ではない。
家族は海外に単身赴任で余り子育てに関心のない父親と、どちらかというと教育ママ的な母親と勉強のできそうな姉の四人で、
因みにあかりちゃんという主人公と作者自身は文体上同一視されそうだが、
『「あんた見てると馬鹿らしくなる。否定された気になる。あたしは、寝る間も惜しんで勉強してる。ママだって、
現実生活に追われて“頑張っている”のと、
“推し”はファンの投票結果で1位から5位に転落してしまう。これがあかりの大きな転機になる。
『疲れた?』『どうして疲れたの?』『勉強がつらいの?』『どうしてできないと思う?』(頭の悪い教師が、
3月に中退、母の不眠、祖母の訃報。あかりの携帯には、家族や友達の写真はほとんど入っていない。
ここからは“推し”一色の生活が始まる。まともな生活能力が失われ、“推し”のインスタライブを見ながらの食事、
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私がこの作品を評価というか注目する点は、以下の三点です。
@ 表現の独自性や新しさ
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〈 @ 表現の独自性について〉
例えばチョコレートのたくさん入っている袋をほぼ無意識に食べていて、
その他には、以下のようなものがある。
一点の痛覚からぱっと放散するように肉体が感覚を取り戻してゆき、粗い映像に色と光がほとばしって世界が鮮明になる。(11)
蝉が耳にでも入ったように騒がしかった。夥しい数の卵を産み付け、重い頭のなかで羽化したように鳴き始める。(24)
車酔いをしていた。額の内側、右の眼と左の眼の奥に感じる吐き気は、根深く、抉り出せそうになかった。(28)
保健室にいる時や早退した時に受ける、あの時間が半端にちぎれて宙ぶらりんになったような感覚(75)
単純化された感情を押し出しているうちに単純な人間になれそうな気がする。(82)
闇は生あたたかくて、腐ったにおいがした。(116)
夜明けは光で視認するのではなく、夜に浸していたはずの体が奇妙に浮くような感覚で認識する(117)
ふるえて崩れそうになる脚をふんばった。お盆の時に茄子や胡瓜を支える爪楊枝が浮かんだ。(119)
二足歩行は向いてなかったみたいだし当分はこれで生きようと思った。(125)
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〈A “生きる”ことについて
あかりちゃんはあまり勉強のできる子ではない。と言って名がつくような深刻な精神障害や精神病を患っているわけでもない。
特筆すべきなのは、あかりちゃんの本当に“恐れていること”にある。それは本当に無気力になり、
【 推しは命にかかわるからね。(6)
推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。(9)
その目を見るとき、・・・自分自身の奥底から正とも負ともつかない莫大なエネルギ ーが噴き上がるのを感じ、
全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた 】
例えばピアノやバレーや野球やサッカーに、時に子どもたちは夢中になる。それなりに時間も金もかかるし、
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〈B 取り囲む時代状況について考える
SNS(ソーシャルネットサービス)の世界では、実に多くのアイドルが活躍している。
続きは当日レジュメにて
2月例会 まとめ
従来の課題書とはかなり毛色の違った作品を選んでしまったので、皆さんからの不評を覚悟していたのですが、概ね反応は良かったように感じました。
やはり表現力への評価が高く、特にたたみかけるような文章の力や隠喩のうまさなどの指摘がありました。あとは、今を生きる子どもたちの生きにくさへの共感、人間は生きが
いがないと生きていかれない動物だという指摘、これは現実逃避の物語だ、などいろいろな読み方があって、有意義な時間でした。
江藤淳的な読み方(数字的、メタファー的、真幸くんの人間宣言)を紹介された方もいて、意見は様々に多様に展開されました。
以上 原 記
・読書会出席者(リアル)順不同、敬称略
・「掲示板」からの参加(敬称略)2/4現在
◆3月の読書会
(文学横浜の会)
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