窓の明かり


作  金田清志

 【その3】


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 美知恵が私の勤め先に電話を掛けてきたのは、再会してから一週間も経たない日だった。私服で出掛けていたとは言え、定期券にいつも名刺を入れていた関係で名刺を渡したのだ。まさか会社に電話をしてくるなんて思ってもいなかった。

「お仕事中、ご迷惑かしら」

 と電話に出た私に美知恵は言った。いいですよと言うと、

「ちょっとご相談したい事があるんですけど、いいかしら…」

「いいですよ。でも、どういう事なんだろ」

「ご免なさいね、お仕事中」

「構いません。もっとも話によっては力になれないかも知れないけど…」

「あのぉ、主人の事で…、何処かでお会い出来ないかしら」

「ご主人? どういう事なの」

 私は美知恵の予期しなかった言葉に一瞬戸惑った。

「そう言う事は電話では言いにくいか。判りました。いつがいいです、夜でもいいですか。それとも休みの日の昼間にしましょうか」

「いいんですか。申し訳ありません」

「気にしなくていいです。どうせ仕事以外する事がないんだから」

 美知恵が指定したのは夜の方だった。私の仕事が終わった後、六時過ぎに会う約束をした。専業主婦がそんな時間に家を空けていいのだろうか。子供もいるのにいいのだろうかと思った。それより夫の事で相談とは一体どういう事だろう。想像すれば色々思いつくが、十何年振りかで出会った私に相談とはなんだろう。そんなに切羽詰った事なのだろうか。

 早めに仕事を切り上げて、私は会社を出た。何時もなら共稼ぎの常で、電話して何処かで落ち合って食事をする以外は会社に残って遅くなる。意識してそうしている積もりはないが、倫子より遅く帰る事にしている。

 待ち合わせの喫茶店に行くと美知恵はもう来ていた。

「ご免なさい、ご迷惑を掛けて」

 座るとそう言った。気にしなくていいです、と応えて美知恵を見ると先日と違った印象だった。

「子供が二人もいるようには見えない」と私は言った。

「上のはもう高校生よ」

「姉妹と思われない」

「まぁ、そんな」と美知恵は笑った。

 美知恵を見た私の印象は、不自然に若いなぁと言う感じだった。見た目にはとても若い女のような身なりなのだが、どこかしっくりとしないのだ。それは私が美知恵の年令を知っているからなのかも知れない。

「余り遅くなるといけないでしょう」

 と私は言って話を促した。主人も帰って来るだろうし、それに何より主婦としての仕事があるだろうと思ったのだ。

「私の事は気になさらないで下さい。それよりこんなところを奥さんに見られたら誤解されるわね」

「うちのは大丈夫」

「まあ、信頼があるのね」

「君のところはないの」

「うちの人は勝手にやってるわよ」

 と美知恵は突き放すような言い方で言った。訊いてはいけない事を訊いてしまったような気まずい思いがした。夫の事で相談があると言ったが、それと関係があるのだろうか。

「中山さんはまだ奥さんを愛していらっしゃる?」

「まだとはどういう意味よ。決まってるじゃないか」

 私はおどけた言い方で言った。

「冗談でも愛してないなんて言ったら、後が大変。機嫌を取るのに幾らお金が掛かるか…」

「奥さんを愛してらっしゃるのね」

 そう言われて私は照れくさそうに笑った。結婚してまだ半年も経っていない。お互いに歳を取っての結婚だから、結婚生活がそんなにいい事ばかりではないと言う事は判っていた。知人の中には結婚して一年も経たないで離婚した者もいる。結婚したからと言って他人だった男女がすぐそれまで以上の関係になれる訳がない。一緒に生活することによってお互いにそれまで知らなかった欠点も見えてくる。そう言う事は判っていた積もりで一緒になった。少なくとも私はそう思っていたし、倫子も同じような事を言った事がある。

「相談って、それと関係があるの?」

 と私は遠慮がちに訊いた。美知恵は私を見つめて、どうしてなのか私を見詰めている。

「何か、顔に付いている」と美知恵に訊いた。

「私、どうかしているわね」

「どうしたの。何か訊きたい事があるんじゃないの」

「男の人って結婚すると変わるものなの」

「どうかなぁ。そんなに変わらないと思うけど…。生活環境が変化するから少しは変わるだろうけど、それはお互いじゃないかな」

「そういう事じゃなくて、結婚した相手によ」

「そんな事はない」

「中山さんは奥さんを愛してらっしゃるからよ」

「そんな事を言うと君が佐藤に愛されていないように聞こえる」

「うちの人は私の事なんか思ってないわ」

「そんな事ない。こんなに若くてきれいな人を…。男ってね、女房の前じゃ愛してるなんて言わないよ。私だって、照れくさい」

「そういう、言う言わないじゃないわ。愛情よ、そういうのが全くないの」

「そんな事ないと思うよ」

 どうして私にそんな事を言うのだろうか。美知恵の愚痴に違いないのだが、それを言う為に私を呼び出したのだろうか。私より親しい人が近くにいないのだろうが、女同士ではこういう話はしにくいのかも知れない。美知恵は夫の事を話し出した。

 美知恵の話す夫は家の仕事はせず、休みの日は自分の趣味にばかり明け暮れて家には殆どいないと言う。何をしているのか帰ってくるのもいつも遅く、それでも食事の用意をしていないと機嫌が悪くなる。自分勝手で、思い通りにならないとすぐ怒りだす。要するに自分に対する愛情がなくなってしまったのだ。男とはそんなものなのか、とまあそんな内容だった。

 私は適当に相槌をうちながら聴いていた。聴いていて判ることは、話の内容そのものより、美知恵の中にストレスがたまっていて、いわばガス抜きのように私に話しているのだと思った。そう理解して、さてどう応じたらいいのか迷った。美知恵の言う事に同調すべきか、「成程、でもね」と諫めるべきか、私自身結婚してまだ日が浅く、どう応えていいのか判断に迷った。

「男の人って、結婚すると自分勝手になるのかしら」

「そう言われると、そうじゃないと思う。そういう人もいるって言う事かな」

「中山さんもそうなの」

「私は…、女房に言わせたらそうだと言うかな。でもそういうのってお互いじゃないの」

「私、二十歳で結婚したでしょ。それですぐ子供が生まれて、買物をする以外あまり外に出なかったわ。同じ子供を持ったお母さんたちとも育児の事で色々とお話したけど、すぐ次の子供ができて、その頃はお金にも余裕がなくて…」

「子供を育てるの大変だよね」

 と私は言った。自分ではまだ子育ての経験はないが、大変なんだろうなぁと思っている。

「主人が手伝ってくれるかくれないかで全然違うわよ」

「そうか。そうだよな」

 一時間もそこに居ただろうか。男同士なら気安くお酒でも飲みに誘うのだが、女性でしかも主婦だと誘うのも躊躇する。愚痴を言いたいのが私を呼び出した理由だと思ってからはただ聴くようにしていたが、これと言った事をいってやれない自分にもどかしさを感じてもいた。

 美知恵の話だけが夫婦の総てではないだろうし、佐藤に言わせれば別の事を言うかも知れない。私自身美知恵夫婦と比べて結婚してからの期間は短く、アドバイス出来るような立場ではない。最もそんな事を訊きたいとは思っていないだろうが。

(続く)

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[「文学横浜」29号に掲載中]

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