窓の明かり


作  金田清志

 【その4】


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 妻の倫子にそういう手紙が来ていると知ったのは結婚して一月ぐらい経った頃だった。「中山方、西田倫子様」と書かれたその手紙には差出人の名前はなかった。夕刊と一緒に郵便受から取り出した私は倫子に渡した。結婚してからも倫子の旧姓で届く郵便物はそれ以外にもあったので、特に気になる物ではなかった。中山方と書かれているのが奇異な感じはしたが。習慣でどちらかが夕刊と一緒に郵便物も取ってくる。だいたいは早く帰る倫子が取ってくるが忘れることもよくもある。

 それから二週間程経って、また同じ手紙が入っていた。

「君は俺の同居人だな」

 何気なくそう言って倫子に渡した。倫子は困ったような顔付きで受け取った。

「何処から来たの」と訊いた。

 倫子の表情を見て私はその手紙が気になった。一度なら兎も角、二度もそういう手紙を見ては私としても気になる。

「困っちゃうわ」と倫子が言った。

「どうして、」

「この人、私の知っている人なのよ…」

「結婚したって知らせたんだろ」

「ええ」

 私は手紙の相手が気になった。結婚していると知っているのに、旧姓でよこすとはどう言う意味なのか。知人と言うが単なる知人なのだろうか。私も結婚する前は何人かの女性と付き合ったし、恋もした。倫子にもそういう事はあっただろう。別に過去に何があっても倫子を信頼しているが、手紙は気になる。

「男? それとも女?」

 私は気になっていた事を訊いた。

「男の人。お付き合いした覚えはないんだけど、こんな人だとは思わなかったわ」

「なんて言ってるの」

 訊いてはいけなかったかも知れない。いくら夫婦になったとは言え、倫子のプライバシーに関することだ。でも私は気になった。

「見ます?別に構わないわ。私には迷惑なだけなんだから」

 倫子は私に封筒を差し出した。受け取っていいものか一瞬迷ったが、受け取った。そうした倫子に私は何故かほったした。読まなくてもよかったが、見ないとかえって倫子の行為を無にしてしまうのではと思って手紙を出した。ワープロで書かれていた。毎回同じ内容で、きっとコピーした物だと倫子が言った。

『拝啓、お元気ですか。何度も書いてますが、突然あなたが結婚されたと聞いて、私は今もって信じられません。どうしてあなたが結婚したのか、私以外の結婚相手がいるなんて、今もって信じられません。どうぞもう一度私と逢って下さい…』

 そこまで読んで私は思わず「なんじゃ、これ」とわざとおどけて言った。

「この男おかしいんじゃない」

「私もそう思うの。気持が悪いわ」

「この男にプロポーズされた事あるの?」

 倫子が言うには突然、そんなような内容の電子メ−ルが来た事があると言う。付き合ってもいないのに、いきなりそんなメ−ルをもらっても気持が悪いから無視していたら、今度は手紙が来るようになったのだと。倫子は会社の同僚に誘われてある会社のハイキングに行って、その時に知り合ったと言う。その時に名刺をあげたら、その後電子メ−ルがくるようになり、それには応えていた。誘われて一度だけ一緒に食事をした事があるが、その後も度々会社に電子メ−ルが来るようになって、煩わしいから無視していたと言う。

「そういう奴っているんだよ。一種のスト−カーだな」

「恐いわ」

「そいつの年令は幾つ」

「若いのよ、私より五つぐらい」

 若い奴か、と私は思った。そういう事をするのは年令に関係ない。倫子に片思いをして、矢も盾もたまらず行動に移しているのだろうが、男がそうなるからには倫子にも少しは原因があったのではないか。倫子に対する信頼にはいささかの影響もないが、気になる事ではあった。手紙ぐらいで諦めてくれればいいが、恐らく倫子もそうだろうが私には不愉快な事だ。

 その男は時折会社にも電話してくると言う。自宅の電話は教えてないから心配ないとは言うが、そういう奴はきっとどこかで調べるだろう。自宅に電話してきたら俺がでてやると私は意気込んだ。俺が出れば二度と倫子に付き纏うようなことはさせない。もしそいつがストーカーなら、もう二度とそんな事はしないようにさせる。ここに電話がきたら俺がでてやるよと言うと「私一人だったと思うと、ぞっとするわ」と倫子が言った。

 もしストーカーじゃなかったら、つまり純粋に馬鹿になっている奴、倫子に恋をしている奴だったらどうしよう。考えられない事もない。そうなるとやっかいな事だが、なんと諦めの悪い奴だ。女に嫌われるのは当然だと思う。私は倫子に言った。

「こういう事を続けているのも馬鹿気ているから、一度会ってはっきり言った方がいいと思うな。そうすれば納得するんじゃないか。その時は俺も一緒に行くよ」

「そうかしら。気持悪いわ。あなたが一緒に行ってくれるのなら心強いけど…」

「そうした方がいい。こんなこと馬鹿気てる。早く気づかせてやった方がいい」

「それもそうね」

「君より若い男ならなおさらだ。すぐ忘れてもっと若い女を好きになる」

「ちょっとその言い方には抵抗があるけど、まあいいか」

 私は少々複雑な気持だった。倫子は仮にも私の女房である。ストーカーまがいの事をされたら腹立たしくもなる。どんな男か見たい気持と、関わりたくない気持もある。倫子を信じないという訳ではないが、もし倫子の言う事と違っていたらと気になるのだ。仮にその男と何かあったとしたら、こんなことをする程だから余程惚れているのだろう、と思って私は打ち消した。そんな空想はよそう。たとえ倫子の過去に何があったとしても今の倫子を信じよう。私の過去にしたってそんなに自慢できるものではないのだから。

 倫子から会社に電話が掛かってきたのは二日後だった。仕事で遅くならないなら何処かで待ち合わせようと言う電話だった。食事をするか買物をして帰宅する。これまでにも何度かあった。

「じゃあ大丈夫ね」と言った後「今日は例の人もくるわ」と言った。そこだけ押し殺した声で言った。

「え? 誰」

「ほら、あの手紙の…」

「ああ、どうして?」

「今日、会社に電話があったのよ。主人を紹介するわと言ってやったの。だから絶対に会わなければ駄目よ」

「判った。だけどそいつ…、まともな奴なんだろうな」

 私はなんとなく無気味な感じがした。

「前はそうだったわ」

「今は?」

「判らないわよ、会ってないんだもん」

「しょうがねぇな」

「じゃあ、絶対に遅れないでね」

 そう言って倫子は電話を切った。

 興味はあるけれど、鬱陶しい。と言うのが私の心境だった。だいたいそんな奴はおかしいに決まっている。自分の惚れた女が結婚して諦めきれないのは仕方ないとして、その結婚した女に今もって未練たらしくするとは何事か。その惚れた女が倫子だとは大いに不愉快だ。でも倫子だからこそ何がなんでも会わなければならない。そいつに俺が倫子の夫だと言ってやる。

 待ち合わせた喫茶店に時間通りに行くと、倫子は来ていた。見知らぬ男も座っている。倫子は私を見て手を上げた。私は倫子の隣に座った。

「紹介するわね、この人が私の夫なの」

「始めまして」

 男は私が座った時からじっと私を見ていた。美男子ではないが、いかつい顔でもない。ごく普通の男だった。

「山本君、判ってくれた」と倫子。

 山本と言われた男は私から目をそらせた。

「君は倫子より五つ年下なんだってね」

 と私は言った。暗に私の方が年上なんだと言った。

「そうです」と男。

「若いなぁ」

「別に、そんなのどうだっていいじゃないですか」

「そうだね…」

 私はしどろもどろに言った。弱々しそうな男に見えたので、つい軽い気持になっていたのだ。

「山本君、お願いだからもうあんな事はしないでほしいの」

「僕の気持も判ってよ」

「困ったわねぇ」

「君の気持って、どういう事」と私。

「あなたには関係ない」と男。

「どうして関係ないの」

「僕と西田さんの事だから」

「西田じゃない、中山倫子」

「そんなの僕には大事なことじゃない」

「いくら君がそう思おうと事実なんだよ。事実は変える事はできない」

「そんな事実なんて…、兎に角あなたには関係ないんです。個人と個人の問題です」

 ねちねちとした厭な奴だ。こんな男に倫子が惚れる訳がないと確信できる。倫子を見ると困ったような顔をしている。こんな時には高圧的に言って追い払ってしまえばいいのかも知れないが、私がいない時に倫子がどんな目に合うか判らない。

「君は私の女房に何を言いたいの」

「僕は西田さんを愛していて、プロポーズしたのに、僕を避けるようになって、どうして一言も応えてくれないのか知りたい」

「そんなこと、言ってやればいいじゃない」と倫子に言った。

 倫子はばかばかしいと言ったような表情をした。確かにばかばかしい。そんなの言わなくても普通なら判る。幾ら返事がないからと言って、結婚した女に私のプロポーズの返事はどうなんですかと訊く馬鹿はいない。

「山本君、どうして判らないの、私困るわ」

「西田さんが困るのはつらいけど、僕の気持も解ってほしい」

「どう解ったらいいの。困るのよそんなことを言われても」

 私はイライラしてきた。男女の事で口出ししてはいけないのかも知れないが、隣に座っている以上黙っている訳にはいかない。だいたい亭主のいる前でそんな話をするなんてとんでもない。無論亭主が隣にいなくてもとんでもない。私にはただ煩わしいだけだが、世が世なら決闘でもして決着をつけなければならない。

「山本君!」私は倫子にまねて言った。「君はまだ若いんだから、いつまでもそんな事をいってもしょうがないだろ。常識的に考えても君の言っている事はおかしいよ。そう思わないか」

「あなたは関係ない!」

「関係ある。俺の女房なんだぜ」

「だから私が話しているのは西田さんで、おたくはどうしてそこにいるの」

 私はむっとした。こいつひょっとしたら本物の馬鹿かも知れない。馬鹿を相手に常識的なことを言っても理解されないだろう。

「山本君、そんなこと言わないで。今日はこれから食事をしようと思っていたの。一緒に食事しましょう」と心配そうに倫子が言った。

「お前、一体何を言いたいんだ。俺の女房に何が言いたいんだ。話によっては俺が代りに応えてやる。本人だと言いにくい事もあるから」

「そんなの卑怯だよ」

「そんな事あるか。だいたいお前の言っている事は非常識なんだ」

「あなた何回ぐらいプロポーズした事あります」

 そう言われて私は不意を突かれたようにぐらっときた。少なくとも一回はしている。倫子の分を含めれば二回。軽い気持のも含めれば三・四回か。

「なんだ急に、関係ねぇだろ」

「プロポーズしてうまく行かなかった事あります」

 私は倫子を意識して言った。

「一回だけ。そりゃあ好きだった人はいたけど…」

 倫子が私を見ているような気がした。ここで嘘を言わなくてもいいのに、本当の事は言えなかった。私はだんだん腹立たしくなってきた。

「お前、ちょっとおかしいぞ。ちょっとじゃない、全然おかしい。人のプロポーズとお前と関係ねぇじゃねか。もっと男らしくしろよ」

「プロポーズして失敗した事ないんですか…。本当に愛した人は西田さんだけだったんですか。そりゃあよかったですねぇ」

 と山本が言った。私には皮肉を言っているように聞こえる。山本が真面目な表情で言っているので無気味だった。

「君は一体何を言いたいんだ」

 私は山本を睨みつけた。

「あなたには私の気持は解ってもらえないと思うけど、一度愛した女をどう心の中で整理したらいいのか…。もっとも私が一方的に好きだっただけですが…」

「困ったねぇ」

 私は呆れたと言った表情で倫子を見た。倫子と山本がどんな関係だったにせよ、山本が滑稽に思え、おかしな奴に思える。こう言う男に絡まれるのも結局は倫子にも原因があるように思う。山本にはっきりと毅然とした態度が取れないからではないか。そんな思いを込めて倫子に言った。

「どうする、はっきり言ったら」

「山本君、解って、お願い。私を困らせないで」

 山本は不満そうな顔付きだったが何も言わなかった。

「すまないけど、もう席をはずしてくれない」と私は言った。

 山本は何か言いたそうな表情だったがゆっくりと席を立った。

「じゃあまた」

 と言って離れて行った。私は山本が出ていくのを見届けて、席を替えて倫子と向かい合った。

「なんだあいつ、しょうがねぇな。コーヒー代も忘れてるよ」

 私は倫子にも少々不満だった。もっと罵倒するように言ってやればいいのだ。でも人前では言いにくいだろうな。上品だからそんなこと言えないだろうな。

「困った人ね、でももう解ってくれたと思うわ」

「どんな付き合いだったのよ」

 と私は気になっていた事を訊いた。

 倫子の言った事は一度訊いた内容だった。デートした回数は二回と、一回増えていたがそれ程逢っていた訳ではない。勿論その間にハイキング・グル−プの飲み会などでは出逢った。確かにプロポーズらしき言葉は聞いたけど、年下でもあり何処まで本気なのか、本気だとしても倫子には全くその気持はなかったから忘れていたと言う。そうだろうな、と私は思った。

(続く)

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[「文学横浜」29号に掲載中]

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