窓の明かり


作  金田清志

 【その6】


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 正直に言って実際に山本と会ってから、私は倫子と山本との事が気になっていた。ただ一方的に山本の方が倫子に恋をしていた、と判っていても、すっきりしない。二人の関係を疑ってしまう。何せ私が倫子と付き合うより前から二人は知り合っていたのだ。それに年令からくるものもあると思う。例えば私が山本と同じ年か年下なら、さ程気にならなかったかも知れない。まるで私が勝利者でもあるかのように笑って、優越感にひたっていただろう。しかし相手が私より年下と聴けば、なんとなく気になる。もう結婚して入籍手続きもとっくに済ませているから、そんな事にはならないだろうが、倫子が山本に傾きはしないかと気になる。役所に届けを出す時はこんな形式的なこと、と思ったが今はそれが私と倫子を結ぶ強い絆のように感じた。

 私が言い出しかねていたのを察してか、倫子の方から言い出した。

「山本君、解ってくれたようね。やっぱりあなたと会えば、もうあんなこと出来ないわ。別に悪い人じゃないから、解ってくれたと思うわ」

「こういう事はいい人も悪い人もない。また何か言ってくるようだとしたら本当におかしい。本物のストーカーになったらやっかいだね」

「そうね、私一人だったら恐いわ。でもそんな人じゃないわよ」

 そんなに知っているのと言おうとして止めた。結婚したからと言って、まだ何年も経っている訳ではないのだ。知り合ってからまだ数年。私より山本の方が倫子のことを知っているかも知れない。

 その翌日二時頃、会社に山本から電話が掛かってきた。

「山本と言います。先日はどうも」

 どうも、と言うところをいかにも若者らしい抑揚で言った。一度しか会ったことのない相手だが、すぐ誰か判った。判ると同時に敵愾心のようなものが沸いてくる。どうして私に電話してきたのかと変な予感もした。倫子は山本のことを普通の男だと言っていたが、変な男だとしたらそれこそやっかいなことになる。それに恋に狂って普通でなくなった男を何人も知っている。私はおそる恐る言った。

「先日、うちの家内とお会いした方ですか」

 初めて他人に対して倫子のことを家内と言った。その方がより私と一体感があるように思えたのだ。山本はそうですと言い、私と会えないかと言った。

「どうして?」と私。

 どうして山本と会わなければいけないのだ。私には会う理由がない。

「西田さんの件で、どうしても一度あなたと二人だけで会いたいんです。お願いです。お願いします」

 会いたくはないが、断ると断る方に何か理由があるように思われかねない。それに山本が倫子の事をいつまでも西田さんと旧姓で呼ぶのに、無意識にそう言ってしまうのかも知れないが、腹立たしくなる。結婚した時に倫子は姓が変る事には抵抗があるようで、勤め先では旧姓のまま、つまり通称で通している。だから旧姓で言われてもなんでもないが、山本が言うと、なんとなく腹立たしくなる。

「どういう話なの」と私は訊いた。私は年上であり、倫子の夫なのだと意識して言った。

「電話では話せません…。お願いします」と言い「そんなに時間は取らせません」

 そうまで言われると会わざるをえない。本当を言えば山本という男に興味があり、色々訊いてみたい事もあるのだが、話の内容によってはやっかいな存在になる。ひょっとすると私は会わない方がいいのかも知れない。結婚する以前の妻の事なら、倫子から聴いた話で十分ではないか。そう思うのだが断れない。私は山本と会う約束をした。

 倫子に山本と逢う事を言うべきかどうか迷った。迷って何故迷うのかと考えて、私はいけない事をするのではないか、山本と倫子の事を疑っているのではないかとふと思った。山本と逢うと倫子に言ったら、どう思うだろう。隠していて後から知られたら、それこそどう思うだろう。山本が倫子に言う可能性は十分にある。

 勤め先の倫子に電話をしていきさつを話すと、意外にさらっとした感じで、

「それじゃお食事はどうします」

 と訊いた。それは考えていなかったので、

「どうしよう。よかったら君もくる? そうすれば一緒に食事もできる」

「そうね。でもあなたと二人で会いたいと言ってるんでしょ。遠慮するわ。あなたには面倒かけてご免なさい、と言う他ないわ。こんな人だとは思わなかったわ。食事はあなたがくるまで家で待ってる」

「いいよ、遅くなるかも知れないから」

「有難う。解ったわ」

 一応倫子には伝えたが、山本の真意は依然として解らなかった。倫子との関係を不審に思わない訳ではないが、私と出会う以前の交友関係など気にしていたら、新しい恋愛など出来なくなる。仮に山本の立場になったとしたら、事実私にもそういう事はあった。自分だったらどうする、どうした。女に対しては色々な感情もあったが、相手の男になど会いたくない。私なら男の顔など見たくもない。

 約束した場所は先日三人で会った同じ喫茶店だった。気の進まない相手だったせいもあるが、職場を離れるタイミングを誤って遅れて会社を出た。

 喫茶店には十五分程遅れて着いた。

「西田さんは?」

 と会うなり山本は言った。

「私と二人で話したいんでしょ」

「伝えてないんですか、僕と会うって」

「言ったけど…」

「なんて言ってました」

「別に」

 私は山本が何をどう言って来るのか気になっていたが、それは素振りに出さないようにした。山本はきまり悪そうに座っていてこちらから訊いた訳でもないのに、倫子と知り合った経緯を話し出した。だいたいは倫子から聴いた話と同じだった。

「君は倫子より年下だと聴いているけど?」

「ええ」

「これから沢山、好きになる女と出会うだろうな」

 予想に反して、山本が意外に真面目そうで物静かな青年に見えたので、私はほっとしていた。恋の虜になった向こう見ずな青年のイメージを持っていたのだ。私にどんな用があるのかと気にしながら、何を言い出すのか身構えてもいた。倫子に関係があることに違いない。もしも、と変な連想をする自分に疲れてもいた。どんな話になろうと倫子を信頼している、と心に何度も言い聞かせた。何より倫子の山本に対する反応に私は心強くなっていた。倫子にはなんの疑念もない。

「私に話したい事ってなんなの」

 山本が一向に話し出そうとしないので私は訊いた。

「あなたの愛していた女性が、急に結婚すると言い出して、結婚したら、あなたはどうしますか」

「それって…」

 私は言葉に詰まった。

「そんな経験ありませんか?」

 ある。しかし何故かそう言えなかった。

「好きだった女が結婚しちゃう、そういう事あると思うな…」

「愛していた女性がです」

「それは、その時は諦めるんじゃない」

「でも、諦め切れない人だっているでしょ」

「諦めなければしょうがないじゃない」

「そんなにすぐ割り切れます」

「そんなに簡単じゃないと思うけど…」

 私は歯切れ悪く言った。思い直して、

「私に話したい事ってなんですか」

「済みません」

「別に誤らなくても…、私に何か」

「あなたと言う人を知りたかったんです。西田さんにプロポーズしました。知り合って五年ぐらいかな。聞けばあなたとは知り合って三年も経たないのにこういう事になっている。彼女が択んだ結果なんでしょうが、はいそうですか、と言う訳にはいかないんです。彼女が幸福になればそれでいいじゃないか、と頭では納得しても心の中はそうはいかない。ひょっとしたら彼女は間違っているのではないか、騙されているのではないか、そうせざるを得ない何かがあったのではないか、とそんな思いが脳裏に浮ぶとじっとしていられなくなるんです」

「少しは安心して貰えた?君は…、女性を本当に愛した事、初めてじゃない」

「ええ」

「そうでしょう。君みたいに若い人はこれからきっと何回か経験しますよ。無論経験しなくてもいいけど、大丈夫、時間が全て解決してくれるから。友達に訊いてみたらいい。みんな一度や二度そんな経験してるよ」

「メール友達に訊いても、何処まで本当か判らない」

「電子メールね。そういう友達じゃなく、会って話す友達がいるでしょ」

「ほとんどメールで遣り取りしてますから、会う必要がないんです」

「問題だなぁ。話と言うのはやっぱり相手の顔や目を見て話さないと。電子メールって言うのは情報の、つまり言葉だけの交換で、本当の心を表現するって言うのは難しい。…それで、君の心のもやもやは少しは取れたかな。ひょつとして私は君よりいい人間ではないかも知れないけど、君に負けないぐらい倫子を愛している。もう倫子を困らせるような事はしないでほしい。これは私からのお願いで、君に会ったら言いたかった」

「あなたにそんな事いわれたくないな」

「私が言わなかったら誰が言うの。倫子にはいい迷惑なんだな」

彼女がそう言ったんですか」

「はっきりそう言わなくても、側にいれば判るよ。いちいち言葉にしなくとも」

「人を愛する事って、時にはそんな事もあると思う。本当に迷惑なのかどうか、それはその人自身にも判らないんじゃない。まして他人には…」

「倫子については私は他人じゃない。それは判ってほしい」

「結婚したからだと言いたいんですね。だけど…、やっぱり他人だと思うなぁ」

「兎に角迷惑だから、それだけは判ってほしい」

 水掛け論になりそうな議論に私はいささかうんざりだった。山本の心は判るにしても、行動に出るというのはやはり常軌を逸しており、非常識だと思う。そう思う反面それだけ愛しているのかと思い、ビョーキなのだと思う。

「判っていてもどーしても止められない事ってあるでしょ」

 そんな時にはソープランドにでも行けばいい、と言おうとして止めた。先輩にそんな事を言われた知人を何人か見ている。それが最良の薬ではない事も知っている。

「友達がいないのは残念だけど、時間が解決してくれるよ。君には初めての経験だろうけど」

「そうですか」

 と山本は言った。何処まで判ってくれたか判らないが、どうも失礼しました、と言って山本は席を立った。おかしな奴だなと思いながら、私は山本が出ていくのを見ていた。

(続く)

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[「文学横浜」29号に掲載中]

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