やぐら太鼓


作  七浦とし子

 【その5】


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 新しい一座が高砂にやって来る日は、地元のファンが役者たちを出迎えに高砂の前に集まってくる。千太郎一座の来る日も、高砂の入口には早くから熱心なファンが集まってきた。

 貞吉はするべき仕事を手早く片付けて、劇場の裏手に引っ込んできた。一座が到着すると、舞台道具や衣装を積み込んだトラックが裏手の入口にやってくる。時計を確かめながら周囲のがらくたを片付けて時間をつぶし、落ち着かないままにタバコに火をつけては、表の入口の気配に耳をすませた。

 やがて表が騒がしくなった。一座が到着したらしく、歓声があがり拍手も聞こえる。

 貞吉はタバコをもみ消して立ち上がった。待つ間もなく劇場の横手からトラックが回ってきて、裏口に横付けになる。

 五年前、同じ荷物を積み込んで千太郎一座を送り出した夜、貞吉は何も知らずに民子をも送り出したことになる。間抜けた事をしたものだと苦い思いで運び出す荷物にも、見覚えのあるものが多い。角の欠けた大道具を、貞吉がベニヤ板で修繕した跡、小道具の塗料がはげて、ペンキの色を同じにするのに苦労をして塗り直したものもある。

 貞吉はくいと腕まくりをした。女々しい恨み言など言っているひまはないと、威勢よく荷物を運び出した。

 裏口まで持って行くと、若い役者たちが荷物を取りにくる。運んだ衣装箱の紐をかがんでといていると、ぺたぺたと足音たててやって来る役者のおしゃべりが聞こえた。

「あんなに高砂へは行きたくないって言ってたけど、結局ついて来たじゃないの」

「その元亭主って、まだここにいるの?」

 目の前にもっそりと背をかがめた使用人には、他愛のないやじ馬心もはたらかないのだろう。

「座長ったら、何かあったら俺が話しをつける、なんて見栄をきっちゃって」

「そのくせ今夜あたりは、夢子太夫といずこへやら…」

 芝居がかった言い回しに、くつくつと忍び笑いがあがった。

 夢子太夫というのは、ポスターで座長と並んでいた役者で、若いのになかなかの芸達者だと前評判の高いのを、貞吉も聞いている。芝居の道行きを気取って人の女房をかっ攫った座長が、今度は新しい若い役者に首ったけか…。いやな気はしたが、それ以上にうごく感情はなかった。所詮、うす暗い楽屋裏ではたらく男よりも、はなやかな舞台に生きる男を選んだ民子のこと、数えればもう五十になるはずのその年齢が、頭をかすめただけだった。

 細い素足が荷物を抱えて立ち去るのを待って、貞吉は紐をといた衣装箱をどさりと入り口におろした。額の汗をぬぐって、次ぎの荷物を取りに引き返した。

 藤千太郎一座の初日は、五年ぶりの人気役者の舞台に客足は多い。ご贔屓客や地元の商店主からは、花輪も届けられる。貞吉は慣れた手際で入口のポスターの脇に花輪を並べ、千太郎や夢子太夫の名のはいったのぼりもしっかりと立てた。

 外回りの用がすむと、早めの時間にやぐらにのぼった。足もとに赤や緑ののぼりがはためき、柳の枝の垂れる運河の向こうに、今ではもう貞吉にとって郷里となった街が見渡せる。

 女房に捨てられる男なんて、どこにでもいる。亭主を捨てる女だって、どこにでもいる。だが、このやぐらにのぼるのは俺ひとりだ。このやぐらで俺が太鼓を叩かなければ、どんな人気役者の舞台も幕はあがらない。

 むくりと肩の筋肉をゆすって、貞吉は大きくばちをふり上げた。ドドンと一発、打ち下ろしたばちは手応えも小気味よくはずんだ。                   完

(終り)

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[「文学横浜」30号に掲載]

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