絵コンテ


作  上村浬慧

 【その2】


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落ち椿

 おばあさまの家の裏手には大きな竹林があった。春になると、林を囲む椿の大木が天に向かって紅の見事な大輪の花を咲かせる。形を保ったままの落ち椿は憧子にとって格好のおもちゃであった。中でも落ち椿のレイ作りは憧子の大好きな遊びのひとつであった。

「伸くん、出来た? 憧子はこんなに繋げたわよ。」

引きずるほどに繋げられた椿のレイは、憧子の首から、よもぎの若芽やおいぬのふぐりが一面に広がる地面にまで届いている。重い光沢を放って光る緑の葉におおわれた大木の根元に、紅椿のレイをつけた憧子が立っている。琥珀色の花糸とその先端にある黄色の葯が紅の花弁の中で鮮やかな宝石に変わり、憧子の胸元を飾っている。振り向いた伸夫の頬が赤くなった。照れくさそうにホウーっと息を吐いて目をそらした伸夫の肩越しに、はるか遠く近所の子どもたちが二人のようすを見つめている。子どもたちは何をするでもなく立ちつくしてこちらを見ている。それに気付いた伸夫は急に胸を反らし、大げさに憧子のレイに触った。

「姫さまのようだに。良く似合うでねえの。」

「ふふ…! そう…! じゃあ、伸くんは王子さまか、ナイトね。」

「ナイトってなんだべ? 王子さまだったら分かるがの…」

「ナイトっていうのはね、お姫さまを守る騎士なの。お侍さまみたいなものよ。」

分かったのか分からないのか、あいまいに頷いた伸夫が子どもたちの方を振り返った。手にした竹の枝を高く掲げ子どもたちを威嚇する。

「伸くん、どこを見てるの? ああ、村の子たちね。あの子たち

 もいっしょに遊びましょうよ。」

「だめだに。憧子ちゃんは村の子らとなんか遊んだらなんねえ。俺が叱られる。」

「どうして? おばあさまはそんなことはおっしゃらないわ。」

「いや、だめだ! 俺の母さんが怒る。憧子ちゃんは町屋敷の嬢やだで…」

*

 町屋敷の嬢や! 憧子は、どこへ行っても町屋敷の嬢やとして遊びを制限されていた。大佐さまの嬢や、町屋敷の嬢やとして限られた世界の中でしか遊べなかった。憧子の父や母、祖母は、決して人を分け隔てせず、憧子の遊びともだちを選んだりはしなかったのだが、取り巻く大人たちは憧子を特別扱いすることで憧子の父に敬意を表したのである。戦後とはいえ軍国日本がまだ続いていた。そうした大人たちの計らいは憧子から平凡な普通の子としての育ち方を奪った。幼い憧子に対する周囲の扱いに心を痛めた祖母や母は、憧子が、そんな環境の中でも決して奢ることなく、あるいはひがむことなく、ただ素直に育つようにと心を砕いた。ものの見方やひとり遊びの面白さについて、繰り返し話して聞かせた。

 祖母や母の傍で遊ぶ憧子は淋しいと思ったことはなかった。遠くから子どもたちの遊ぶのを眺め、仲間には入れなくとも一緒に遊んでいる気持ちになることを覚えた。離れた所から彼らを見ることによって、群れに流されずに生きる姿勢を学んだ。限られた遊びを通してでも、世界は果てしなくふくらみ広がっていくことも知った。誇り高く育てという父俊一郎の願いは、憧子の中に確かに芽吹いていた。

*

 落ち椿のレイを王女のガウンのように引きずりながら、憧子は、ナイト伸夫と連れ立って、百年に一度咲くという乳白色の竹の花を探しに竹林へと入って行った。

(続く)

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[「文学横浜」29号に掲載中]

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