「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「Bruges(ブルージュ)は中世の街」


@Time Trip したのはテロ事件の起きた日

ABrussels … 中世と現代の共存する街

BBrussels … 中世と現代の共存する街 … 芸術の丘

CBrussels … 中世と現代の共存する街 … タウンバス

2003年3月15日


DBrugge… 深夜のショール探し

 Brussels(ブリュッセル)からBrugge(ブルージュ)へは特急電車city-rail(シティレール…都市電車)で約50分。これは日本でいえば在来線の特急のようなもの。途中の小さな駅への停車を間引いて走る。窓の外に延々と広がる牧草地帯 そして のんびりと草を食む牛たち。そんな中に、教会の十字架がポツンポツンと銀色に光ってみえる。

写真 草を食む牛たち 97Kバイト

 ヨーロッパは日本と違って改札のない駅が多い。BrusselsもBruggeもそう。雇用人員削減のための、経済不況に対するひとつの対策なのだろうかと思う。

 ノンチェックで駅を出ると、駅の前に視界を遮るものはなく、遠くまで見渡せる。特急電車の駅だなどとは到底思えない。まるで一日数本しか電車が止まらない、日本の小さな無人駅と感じが似ている。

 その淋しい駅前に、タクシーが数台止っていた。シティレールの停車駅であるからなのだろう。取り敢えずそれでホテルに向かう。

 タクシーは黄昏刻の町を駅前ロータリーに沿って走り出した。Brugge は中世そのものの町ときいていたのだが、それらしい建造物などどこにも見当たらない。日本の田舎の田園風景と同じ。期待を裏切られた気がしてどっぷりと座席に沈みこんだ。

 川沿いの道をしばらく進み、だだっ広い駐車場を右に曲がる。その辺りから、やっと小さな中世風の建物がポツポツと見えてきた。それらを目で追っているうちに、忽然と現れたのが空を遮るようにそびえる建物。塔のようでもある。それを回りこんでタクシーは止まった。そこがこれから3日間過ごすTurip Grand Hotel Oude Burg - Brugesだった。その時はまだ知るよしもなかったが、圧迫感のない町の一画に、たったひとつ空に向かって異様なほど大きくそびえるその建物こそ、Bruggeの象徴「鐘楼」と知ったのは明くる日になってからだった。

写真 鐘楼 131Kバイト

 ホテルの部屋は二階。窓を明けると目の前に、向かいのレンガ造りの建物がよくみえる。

さっき回りこんだ塔のような建物の1画らしい。その窓越しに中世風の装束をした人々がなにやら動いている。まさかあんな装束で日常生活をしている訳でもないだろうに…と道路に目を落とすと、道を歩いている人々は我々と変わらない身なり。なんとなくホッとした。では向かいの窓から見える人々は…と疑問を残したまま荷物を解きにかかる。

 後で分かったことなのだが、鐘楼の1画にあるこういった部屋は、町の公的施設として、様々なイヴェントの会場、もしくは、その準備をするために用いられているらしい。窓越しにみえた中世人らしき人々の蠢きは、金曜毎に、ネオ・ゴシック教会で開かれる中世ディナーショーのためのリハーサルであったらしい。わたしがホテルに着いたのは、まさに金曜日。この夜は、鐘楼のカリヨンベルも、深夜の11時まで、15分毎に、美しい音色を町中に朗々と響かせていた。

写真 中世人が窓に蠢く 169Kバイト

写真 中世人が窓に蠢くA 189Kバイト

 Belgium は緯度でいえば日本よりもかなり北になる。そのせいか、9月のBruggeは午後6時を過ぎているというのに外はまだ真昼のように明るい。目先の効くうちに夫の仕事の会議会場への道順を下見しておこうと、荷解きも早々にして通りに出る。広場までは徒歩2分。

 どでかい建物とホテルの間の路地を抜けてマルクト広場に出る。まず目に飛び込んできたのが広場の中央にある銅像。1887年の建造で、1302年、この町で発生した市民蜂起の英雄 ヤン・ブレーデル(Jan Breydel)とピーテル・ド・コーニング(Pieter De Coninck)の像だという。芝生と花壇に囲まれた台座の上で、「自由のBrugge」の旗を支え持っているが、その像は、台座ごと緑青を吹いている。百年も経っているというのだからさもあろうと見上げると、二人の像が独特の迫力を持って立っていた。戦いの相手はフランス、富の配分に対する市民の不満が原因の蜂起。その戦いで、二人は指導的役割を果たしたのだという。

写真 英雄の像 122Kバイト

 ホテルのフロントで訊いたところによると、Bruggeという町は このマルクト広場を中心に楕円形をなしているということだった。どこへ行くにもこの広場と塔が拠点となるらしい。フロントで手に入れたcity-mapを片手に、この広場から歩き始めた。

 会議会場はメムリンク美術館、マルクト広場から南に向かって5分ほど歩いたところだった。広場の界隈は飲食店が多く、まだ賑わっていたが、この辺りはもう町外れといった感じで、まだそれほど暗くもないのに、通りに面している家はみな扉を閉め、窓に下りたカーテン越しに、家の中で寛ぐ影がみえる。道を歩いている人はまばら。まだ午後の7時だというのに信じられないほどの静けさだ。住民の生活は、ひとむかし前のまま、日時計通りなのかもしれない。話には聞いてきたけれど、この町は本当に小さな町のようだ。

 会場まで来たついでに、すぐそばにあるらしい「たぬき」という日本食のお店に行って、寿司でも食べようということになり、おおよその見当をつけて歩き出した。飲食店なら、まだ開いているだろうと思った。位置はcity-railの中でガイドブックを眺め、しっかり頭に叩き込んでいたはずだった。

 少し夕闇が迫り、雨がしとしと降り出していた。メムリンクから東に向かって二つ目の角を曲がってすぐにあるはずの「たぬき」というお店がどこにも見当たらない。小さな町なのだもの、歩いているうちにきっとみつかる…なんて考えたのが間違いの元だった。行けども行けども探すお店は見つからない。あァあ、またBrusselsの二の舞かと思いながら30分以上も行ったり来たりしてしまった。さほど強くない雨とはいえ、9月のBrugesの夜は、コートを着ていても傘のない身にはとても冷たい。手袋をしていない指先はかじかんで感覚がなくなっている。

仕方なく「たぬき」を探すのは諦めて広場へ戻ることにした。とにかく今どこにいるのか分からなくなっているのだから、と、広場にあるあの高い塔を探す。曲がり角毎に目を凝らせば、すぐに目に入ってくるその塔を目印に歩く。すっかり暗くなって、人影のない雨の道。片側に高い塀のある裏通りらしい道には、一定の間隔で大きな箱が置いてある。Never Ending Storyという映画の第1話、最後の場面に出てきた悪がきが逃げこんだごみ箱に似ている。きっとこれもそうなんだ、などと思いながら、ひとりでに足は速くなる。

写真 鐘楼は目印 123Kバイト

 10分ほどで塔のある広場に戻れた。「たぬき」が見つからない上に、雨に濡れて体がすっかり冷えてしまったせいか、あまり空腹感もなかったけれど、とにかくなにか温かいものをお腹に入れなければと広場に面したレストランに入る。時間は9時少し前。取り敢えずwine で体を温め、hot cafe au lait 2人分 と seafood soup, salad spaghetti を 1人分ずつ order した。

「きっと 食べきれないな」と夫。
「サラダとスパゲッティ1人分よ。大丈夫よ」とわたし。

ところが、やはり旅慣れた夫の方が正解だった。サービスされたのは、なんと3~4人分もあるかと思えるほど大盛りのサラダとスパゲッティ、とても食べきれるものではない。結局、それぞれ、3分の1ほどを食べただけで降参。なんとももったいない。それと知っていたら、初めから、どっちかひとつ注文したのに…なんて、つい夫をにらみつけ、主婦感覚を丸出しにしてしまった。

 体が温もり、お腹も一杯になり、ホッと一息、さァホテルに帰って休もうか、と席を立った時、ショールがないのに気が付いた。「たぬき」を探して道をさ迷っていた時、あまりの寒さに、手袋代わりに手首に巻きつけたお気に入りのシルクのショールだった。おろおろするわたしに夫はあっさり言う。

「仕方がないよ。また買えばいい」

もう、これだから男って嫌なのよね。そう簡単に言って欲しくないんだよな。まあ、大切なものをなくしたことに気付かなかった鈍感さは責められても仕方がない。でも、また買えば…はないでしょうよ。お気に入りの代わりなんて、そう簡単には見つかりっこない。夫の一言でプッツンのわたしは、腹立たしさを必死に押さえて夫に言った。

「道に迷ったり、雨に濡れたり、疲れたでしょ。先にホテルに戻ってて。わたし、探しに行く。見つからなかったら諦めるから…」

困惑した様子の夫を尻目に、席を蹴る。10時を過ぎていた。絶対にショールを見つけると意気込んでレストランを出る。石畳に雨が当り銀色に光っている広場からの道に目を凝らしながら、ゆっくり歩く。雨の冷たさも、人影がない淋しい道なのも気にならなかった。ただ、ショールが見つかりますように、と、そのことだけを思いながら、地面をみつめて歩いた。

「どう探すの」
突然、後ろから声がした。支払いを済ませ、ホテルに戻るはずの夫の声だった。
「うん。歩いた道を、逆に歩いてみる」

そう言って黙々と歩く後ろから黙って夫がついてくる。夫の声を聞いたせいか、急に辺りの淋しさが気になり体がぶるッと震えた。そしえその後、なにも言わずに後ろをついてきてくれる夫の温かさがじーんと体中に広がった。 もしかしたら、わたしは駄々っ子…! スンと鼻を鳴らし、それでも振り向きもせず、黙々と歩きつづけた。

 あれッ なにか光ってる。石畳の光り方とは違うみたい。わたしが駆け出すのと、夫が後ろからなにか叫ぶのと一緒だった。裏通りの石畳の端っこ、側溝の際に、雨にぐっしょり濡れてショールが落ちていた。シルクという素材のせいか、雨に打たれた生地が石とは違う光を放っていた。もし綿やウールだったら、きっとこんな夜更けにみつけることは出来なかっただろう。

 ホテルへ帰る道、ショールを再び手にして寒さを忘れ、幸せそうなわたしを見て、夫はジャンパーの衿を立て、ただ苦笑いをしているだけだった。

 ホテルに着いたのは10時半過ぎ。夫はすぐにTVのニュースにかじりつき、わたしは、戻ってきたショールを洗うためbath roomに直行。

 これがBruggeの第1夜。「たぬき」というお店を探して、たぬきに抓まれたように小さな町を堂々巡りしてしまったおはなし。

(Lie)


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