〔10〕

「登喜子、あなたに話しておかなければいけないことがあるの」
「どうしたんですか陽子さん?そんなに真剣な顔をして?」
「本当なら、初めに伝えておくべきだったのかもしれない。
でも、どうしても言えなくて、今日まで伸ばしてしまった…」
「後じゃいけないんですか?」
そういうと、登喜子は私の体に擦り寄ってくると、
肩を抱き寄せ、耳タブを軽くかんできた。

「…ダメよ、登喜子。あなたにはこの話を聞く義務があるの」
「話を聞く義務?」
「そうよ…私がとった自分勝手な責任の話を…」
「陽子さんの責任?」
まだ登喜子は私を抱きしめていた。
すり抜けるように彼女から離れると、
ダイニングの椅子に座るよう、登喜子を促す。

向かい合うように座る二人。
登喜子は明らかに不満げな表情を浮かべている。
「登喜子、私があなたをはじめて抱いた時、私はあなたを救いたいだけじゃなかったの。
自分自身も救いたかった。いえ、救いたくなったといったほうが正解ね」
「あの時、陽子さん、『私の心も体も』救ってくれると言ってくれました。
そして、実際、救ってくれました。それでいいのでは?」

「話は最後まで聞いて。いい、登喜子。あなたを救いたかったのは事実。
結果的に、あなたを救えたのもまた事実かもしれない。
でも、その救い方には問題があったと思っているわ。
…私たちは、肉体関係をもつべきじゃなかった。」
そういって、登喜子の顔を見据える私。
会えば関係をもつようになっているのに、
今さら自分でも何をと思っている。
でも、だからこそ話さなくてはいけない。

「私が、最初に求められた時に、私のほうが自制すべきだったのよ。
そして、あなたの心だけを救うべきだった。結果として、そうしなかったから、
こうして、あなたは毎日のように私に会いに来て、関係をもっている」
(それのどこがいけないの?)
そんな言葉を登喜子の表情から読み取ることができた。

「あなたが毎日のようにうちにくるのは私という存在が必要だから?
それとも、あなたに快感を与えてくれる人がいるから?」
「それは…両方です」
「嘘ね。あなたは私を必要とはしていないはずよ」
「嘘じゃありません!」
「なら、誤解をしているのよ」
「誤解でもありません!」
「…話を続けるから、その間に考えてみて」
そう言っておいて、核心に話を進める。

「登喜子、あなた彼氏を寝取った親友のことを今どう思ってる?」
「突然、どうしたんですか?いままでそんなこと、聞いてこなかったじゃないですか」
「聞くのが怖かったのよ」
「なんで陽子さんが怖がる必要があるんですか?」
「いいから、どう思ってる?」
「…許せないですよ。もちろん、自分にも責任があるって思ってますけど、
彼女は私と彼のことを知っていたのだから、何も言わずにそんな関係になったこと、
なっても、未だに私に何も言ってこないこと…全てが許せない」
思い出した一月と経っていない出来事。
初めて登喜子が怒の表情を表しているのを見る。怒りで体が震えている。

「私は彼女なのよ」
「え!?」
俯いていた登喜子の顔が、私の言葉に反応して上を向く。
「高校3年の頃の話よ。私は、とんでもないことをしてしまったの」
思い出すたびに心がえぐられる出来事に胸が痛む。
でも、話さなければ、登喜子には。

「高校生活も残り2日というときに、私は親友の彼氏に呼び出されたの。
『話がある』っていわれて。そして誰もいない用具室に私は行った。
その頃、親友と、彼氏との仲が上手くいっていなかったから、その相談かと
単純に思っていたわ。そして、彼は後から用具室にやってきた。
『俺、お前のことが好きなんだ』といわれたの。もちろん、何バカをいっているのと、
親友のことを思って、拒否したわ。でも、結局…そのまま関係をもったわ」

「陽子さん…が?」
「無理矢理だったからといえば、許されるとは思っていないわ。
だって私は、心のどこかで、彼とそうなってもいいと思ってたから。
だから拒否出来なかったのかもしれない」
「……」
「卒業式の日、親友はすぐにずっと泣いていたとわかる顔で現れた。
卒業式の後、私は彼女に話をしなればと思って、
人気のないところを探して、嫌がる彼女と二人きりになったの」

「私は何も話せなかった。何かを話さなければいけないと心が急いていたはずなのに、
彼女を前にして、私は自分が罪人であると認めざるをえなかったの。
そんな私を見て、彼女は言ったわ。『私、陽子のこと大好き。今でも親友だって思ってる。
でも、彼とのことを全て受け入れることが出来ないの。二人のこと大好きだけど、
これからも一緒にいたいのに…私、どうしていいかわからない!』」
一度、言葉を止める。目を閉じる。まぶたの裏に、あの日の、あのときの場面が今でも焼き付いている。

「そんな彼女が私から逃げるように去る前に言った言葉が、『私を助けて…』だったのよ」
「親友と、あの日の私をダブらせた…」
「そうよ。私はあの瞬間、あなたを三木登喜子とは見ていなかった。
高校生の時に別れた親友を思っていたのよ」

「でも…でも、陽子さんは、私を愛してくれたじゃないですか?
あれも嘘だったんですか?あの、情熱も、私に向けられたものではなかったと?」
「そうよ。あれは、私の、親友への償い…。私は、あなたを欺いたひどい人間。
どう?これでもまだ私を信用する?あなたの親友と同じように、彼氏を寝取った人間を?」
「嘘です!!陽子さんが、そんなことをする人なはずがない。
私と別れたいのなら、もっとましな嘘をついてください!!」
彼女は、椅子から勢いよく立ち上がり、私の前に、仁王立ちになって、私をにらみつける。
私は、その瞳を、まともに受け返す。ここで、登喜子に負けるわけにはいかないから。

「そう。それを嘘というのね。なら、真実を教えてあげる。
その親友とのことがあってから、私は、彼氏を作らなかった。罪滅ぼしの意味もあって。
でも、彼女は作ったわ。何人もの女性と、体の関係を持っているのよ、私は。
あなたは、そのうちの一人。確かに、親友とダブらせたことはあるけれど、
私にとっては、快楽を得るためのパートナーに過ぎないのよ。わかった、お嬢ちゃん?」
(ごめん、ごめんね登喜子…)

そういって、彼女の体を抱こうと椅子から立ち上がり、近づこうとすると、
登喜子は、一歩、二歩と、後ずさりをする。顔には、怯えと、恐怖と、不信感を募らせた表情に変わっている。
昨日まで、激しく愛し合っていた人物が、いきなり、裏切り者へと変貌を遂げたのだ。17歳の彼女には、
衝撃が大きすぎたか。だが、今、別れなければ、もっと取り返しのつかないことになる。
彼女は、私にたよりすぎている。それこそ、私なしの生活は考えられないくらい。

ただそれは、彼女が私を必要としているのはあくまでも肉体の面だけの話。
初めての肉体的快楽を私から得た彼女は、
私から得る快楽が全てだと誤認してしまっている。
彼女は、すでに、彼氏を失った精神的ショックからは立ち直っている。
精神的には、私を必要としていないはず。
もう私とは、一緒にいてはいけない。
たとえ、お互いの意志がそれを望んでいるとしても。
私は、誰も愛せない、愛してはいけない。
登喜子であっても例外ではない…。

「登喜子、もしあなたが、私の全てを受け入れて、
私の愛人になるというのなら、あなたを囲ってあげるわ。
でも、それを拒否するのなら、今日、今を持って、私の前から去って。
二度と現れないで。私の意を汲めない相手なんて必要ないから」
と、とどめの言葉を吐く。
登喜子の表情が怒りの表情に変貌を遂げる。
(それでいい。あなたは私の下にいてはいけない。将来のことを考えるのなら…)

「それとも、愛人になる?いままでは、あなたが欲しくてあなただけに奉仕してあげたけど、
私は、あなた以外にも、付き合っている子がいるから、たまにはあなたの体を愛してあげるわよ。
今までと同じように。でもそんなこと、あなたにはできないでしょ?」
心の中とは裏腹に、顔は、もっとも忌むべき人間の顔をしていたと思う。
だが、それぐらいしないと、彼女は私の下を、なんの未練もなく去れないだろう。
登喜子の体に触れられるまでに近づく。彼女は、窓に背をつけ、行き場を無くしていた。

「そう、去らないの。…愛しあげるわよ、登喜子」
そういって、私は目を閉じ、登喜子に口づけをしようとした。
その時だけは、本心から。彼女を感じたいと思って…。

「イヤ〜ッ!!!」
次の瞬間、彼女は、私の体を潜り抜け、そのままリビングのドアを乱暴にあけ、外に飛び出していった。
その場にそのまま立ち尽くす私の耳に、玄関のドアが開かれ、しまる音が聞こえた。
(私は、誰も愛すべきじゃないの。わかって、登喜子…)

私は、自分の犯した罪を、誰も愛さないことで償おうと決めていた。
男性も、女性も関係なく、私は、誰をも愛する権利などないのだ。
…もしかしたら、自分は間違っているのかもしれないとの考えが頭をよぎる。
頭を体ごと、横に大きく振る。(ダメ、絶対それは許されない)
やはり別れるべきなのだ。彼女はまだ若い。本当の恋愛を知らない。

私はよろよろとソファーに移動すると、
「ドカッ」と、体を落とすように座った。
前屈みになり、頭を両腕で抱え込むような体勢になっていた。

(登喜子、悪いのは全部、私…)
間違っているのは、あの日に彼女を受け入れてしまった自分にある。
彼女の心も体も救ってくれといわれ、ついその気になり、心も体も弄んだ悪い女…。
私には登喜子を愛する資格などなかったのだ。ないのに愛してしまった…。
彼女を結果として傷つけたが、まだ浅いはず。時がそれを癒してくれるだろう。

…そのままの姿でどのくらいいただろうか。
頬を冷たいものが伝っているのが感じられる。

「陽子さん、なんで悩んでいるんですか?」
私はびっくりして声のするほうに顔を向けた。
みると、閉じていたはずのドアが、いつのまにかに開いている。
そしてそこには、いるはずのない人物が立っていた。
まるで母親が子供を見守るような感じで私のほうを見つめていた。

「登喜子、あなた!」
(やられた!さっこのドアの音…)
「なんで、私のことで悩んでくれているんですか?」
「何を都合のいいことを考えているの?愛人を一人作り損ねたと、ふてていただけよ」
涙を見せないようにと、顔を登喜子とは反対のほうへ向ける。
「うそ!」

登喜子は私に駆け寄ると、私とテーブルとの間に、その身をおく。
顔を見せまいと、俯きがちにいた私の顔を、両手で上にあげ自分の方へと向ける。
目の前に登喜子の顔がある。

「じゃあ、この涙は?私を逃した悔し涙ですか?」
「そうよ…」
「私、なります。陽子さんの愛人でも何でも」
「登喜子!」

私は、思わず、彼女を打とうとして、右手を振り上げてしまった。
振り上げてしまってから、はっとし、手が固まる。
登喜子は、ゆっくりと左手でその右手を掴むと、その手をいとしそうな感じで、
自分の顔に近づけ、頬に当てた。目を閉じ、落ち着いた表情を私に見せている。
「打っていいですよ。陽子さんになら、私、かまいません」

「なんで、登喜子…」
私は、登喜子の行動が理解できなかった。
そもそもなぜ、逃げなかったのか。

「陽子さん、私、気づいていたんです。私を通して、誰か他の人を見ているって」
「なっ!?」
「初めて会ったあの日、目がさめたんです。陽子さんの苦しそうな声を聞いて。
『悦子ごめん、許して…』って言ってました」
悦子。それは私が高校生の時に裏切ってしまった親友の名前。
「はじめは何もわかりませんでした。でも、疲れて寝ている陽子さんが、何度もうなされるのを聞いて…。
私、わかったんです。陽子さんの過去に、何かがあったってことは」

頬に持っていっていた右手を下に下ろす登喜子。
「その時から決めていたんです。自分が陽子さんを過去から解放してあげようって。
本当に陽子さんのことが好きだから…好きな人が苦しむの、自分が苦しむのよりつらいから…」
腕を伸ばし、私の首の後ろに手を回す。登喜子の頬が、私の頬に優しく触れる。
「陽子さんだけに私を救ってもらって、そのままさよならなんて、私にはできません」

「私は、あなたを救えたの?私は、悦子も、自分も救えなかった。
…だから、本当は、もう誰も愛さないって決めていたの。そうしたかった。でも…」
「陽子さん、私はあなたに全てを愛してもらったんです。確かに、はじめは私以外の誰かを
私を通してみていたのかもしれない。でも、だんだん、私という人間を…。だからですよね。
こうして今日という日を迎えたのは。私、この日がくることをわかっていたから、心の準備をしていたんです」

「忘れていた。登喜子の観察力の良さを。わかっていたのね…」
触れていた頬を体を持ち上げるようにして離す。そのまま、ソファーの背にもたれかかり、
大きくため息をつく。止めもなく、涙が頬を伝っていく。
そんな私を見ながら、登喜子は立ち上がり、そしておもむろに右手を軽く上げる。

「私、三木登喜子は、今から兵藤陽子の愛人になることを誓います」

ソファーに座る私を見守りながら、ゆっくりと、ひとつひとつの言葉をかみしめるかのように宣言していった。
「何を言っているの?その意味をわかって言っているの?」
目の前に立つ登喜子を、半分はあきれて、半分は信じられないという表情で見ていた。
「全部はわからないです…。でも、これだけは確かです。私を救えたのが陽子さんだったように、
陽子さんを救えるのも自分なんだって…」
少し照れているような笑みを顔に浮かべつつ、その瞳には、はっきりと決意の色が浮かんでいた。
私も、その笑顔につられるように、笑みを浮かべた。

出会いは偶然だった。
関係は必然だった。
そしてこうなることが当然だったのかもしれない。

その日、私は最高の夏の思い出を作ることができた。
ヒグラシの鳴き声が聞こえる8月の終わり。
私の心と体はまだ真夏のように熱くなっている。



あとがき

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