〔3〕
暗闇の中、私たちは抱き合うような格好で、
ソファーに座りつづけていた。もうすでに、
彼女の涙は止まっていた。T−シャツに感じた、
生暖かい湿り気が、いつのまにかに、乾いている。
それでも、しっかりと抱き合いつづけた。
彼女は自身を落ち着かせるため。
私は、彼女が落ち着くのを見守るため。
まるで、そこだけ時間が止まってしまったかのように、
二人ともまったく動く気配を見せなかった。
彼女が抱きついてからどれくらい経ったのか。
先に動いたのは、彼女のほうだった。
頭を胸から離す。背中を痛いくらいに掴んでいた
手も私の体から離された。暗くなっているので、
確認ができないが、彼女の顔は、何かを吹っ切った、
そんなスッキリしている表情をしているように感じた。
「兵藤さん、私、もう大丈夫です…」
「そう、よかった。電気をつけるけど、いい?」
泣いた後の顔を見られるのを嫌かもしれないと尋ねる。
「はい」
その返事を聞くと、私はわずかな明かりを手がかりに、
リビングの電気をつけた後、そのまま玄関に行き、
外の明かりをつける。そして、風呂場により、
ハンドタオルを濡らし、ソファーに座る彼女に差し出す。
「はい、心がスッキリしたのなら、顔もスッキリさせよ」
彼女はタオルを受け取ると、それに
顔を埋めるような姿勢をとった。
もしかしたら、まだ、涙しているのかもしれない。
「どうしたの?」
彼女は、タオルを少しずらしながら、顔を上げる。
「…私、自分が許せないんです」
いきなり彼女は話し始めた。
タオルをたたみ、テーブルの上に置く。
今度は焦点が合っている。正気だ。
「私、今日、好きな人に振られたんです」
(やっぱり振られたのか…)そう思いながら、たずねる。
「その話、私が聞いていいの?私、お節介焼きだから、
必ずいろいろ聞き出すわよ。その覚悟はある?」
話す覚悟があるのなら、とことん聞いてあげるつもりだった。
それが、一番良い心の整頓方法だと思うから。
「兵藤さんに、聞いてもらいたいんです。
これだけしていただける人だから。…聞いてもらえますか?」
「もちろん。でも、ご両親、心配しない?」
もう、それを考えるのも遅いぐらいの時間だ。
壁にかかる時計を見たら、21時をすぎている。
「今夜、外泊することになっていましたから、大丈夫です」
どうやら、スポーツバックの中身は、部活の着替えではなく、
泊まるための荷物だったらしい。
「わかった。なら、先に夕飯をすませましょうか」
話が続くのなら、腹ごしらえは必要だ。
「あなたの名前は?」
本当なら、聞かずに別れるつもりでいたが、
こうなるというのなら、知っておきたい。
「登喜子です。三木登喜子…」
「じゃぁ、登喜子ちゃん、夕飯の支度を手伝ってくれる?」
簡単な夕食をつくり、二人で済ませる。
彼女は特に何を話すわけでもなく、私も聞かなかった。
再びリビングのソファーに座る二人。
テーブルの上には、コーヒーと、クッキーが置かれている。
「遅くなって申し訳ないけれど、先に私の自己紹介をさせて」
「お願いします」
「兵藤陽子。それが私の名前。ここから車で30分ほどの所にある
総合スーパーで働いてる。地元の大学を卒業して、今年で入社して5年。
これで大体の年齢はわかってね」
そういって彼女に微笑みかける。あまり年齢を気にする方ではないけれど、
一回り近く年が違うのだ。多少はあやふやにしておきたい。
「ここには私の実家。大学生の頃から一人で住んでる。
一軒家に一人の理由は、両親がいま海外に住んでいて、一人っ子だから。
仕事柄、休みが不定期で、友人が遊びにくることもほとんどないから、
登喜子ちゃんがいてくれると嬉しいかも。やっぱり、慣れているとはいえ、
一人暮らしは寂しいから」
一度、コーヒーのカップに手を伸ばす。まだ飲める温度ではなさそうだ。
「ついでに猫舌で、熱いものは冷めるまで待って飲む」
そういって、彼女のほうを向き照れ笑いをする。
「人が私のことを言う所では、竹を割ったような性格または、何も気にしない性格。
世話好きだって。あと他に何か聞きたいことは?」
「…付き合っている人、いないんですか?」
聞くのが悪いと思ったのか、声が小さい。
「ん、いないよ」
正直に答えてあげる。
「兵藤さん、こんなにいい人なのに?」
「いい人だからもてるとは限らない。
…それに、恋人を作る気には、なれないから」
そういって、顔を横にそむける。
「すみません、余計なことを聞いて…」
頭を大きく下げて謝る登喜子。
下げた頭を手のひらで軽くポンポンとたたく。
「なにを謝っているの?別にいいのよ。聞きたいことを聞いてと言ったんだから。
さて、次は登喜子ちゃんの番ね」
「はい」
そういって彼女は話しを始めた。
なぜ彼女が泣いていたのかを。
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