映画のページ

壁のあと /
Die Unberührbare /
No Place to Go

Oskar Roehler

2000 D 110 Min. 白黒 劇映画

出演者

Hannelore Elsner
(Hanna Flanders - 西ドイツの作家)

Vadim Glowna
(Bruno - ハンナの前夫)

Lars Rudoloh
(Viktor - ハンナの息子)

Michael Gwisdek
(Joachim Rau - 東ベルリンの出版社の経営者)

Jasmin Tabatabi
(Meret - ジャーナリスト)

見た時期:2000年4月

ネタばれあり。探偵物でないので大丈夫でしょう。

タイトルは「アンタッチャブル」という意味です。触れられないという意味ですが、《触れては行けない、タブーだ》という意味か、《触れることができない》という意味かは微妙なところです。実在した女性を扱っており、この作品の監督をしているのはその女性の実の息子です。女性は1992年失意の中で自殺したそうです。映画の中の名前は変えてありました。

女優ハンネローレ・エルスナーを見たのはこれが最初です。ドイツ映画を見る機会は比較的少なく、ほとんど彼女を知らずに現在に至っていますが、ドイツでは名の知れたベテラン女優です。この時はどういう役が得意なのかなど、まったく先入観、前情報なしで見ました。

ブルジョワっぽく着飾り、陳腐な鬘をかぶった年増の女が神経質そうにしているのが冒頭のシーンです。実生活ではギゼラ・エルスナー、映画の中ではハンナ・フランダースとなっている女性です。主演女優の名前が役の元になる女性エルスナーと同じというのはまったくの偶然で、2人の間に親戚関係はありません。

映画は冷戦が終わり、ベルリンの壁がなくなったところから始まります。あちらこちらに電話をかけたり、煙草をせわしく吸ったり、人に会いに行ったりしますが、失望続きだというところがエルスナーの演技によく表われています。フランダースは60年代、70年代にスター的存在だった作家で、西側にいてプロレタリアート受けする作品をいくつか書き、絶賛されていました。なんて書いていますが、探偵小説以外文学とはまったく縁の無い私は知りませんでした。プロレタリアートなんて言っている割に、ディオールの衣装を着てしゃなりしゃなり歩いていたりする矛盾の多い女性だったということが映画の中で描かれています。

結婚していたこともあり、子供もあり(その人がメガホンを取っています)、友人もあり、元恋人などもあり、お金も売れていた時にはあったようですが、冒頭全てを失ったような雰囲気です。話が進んで行くと、無くなったのはお金ぐらいなもので、今でも彼女を尊敬している人がいるし、夫や友人も愛情や思いやりが涸れ果てたわけではないようです。フランダースは非常に孤独に見えるのですが、何と、両親も健在です。孤独なのは彼女が人間関係に溝を作って、決して向こう側に渡らないからです。彼女をあたたかく迎えようにも、彼女が自分に触れさせないような面があります。彼女が人生を立て直せば、今は避けている人でも、受け入れてくれるのでは、また、作家という職業の人は受け入れてくれる人がいなくても自分の意思を通していいのではないか、などという疑問がふっと浮かびます。

冷戦の頃西側にいて、共産主義や社会主義を唱えて受けた人は時々いました。何も全部が有名人になったわけではなく、普通の社会にもそういう人はたくさんいました。ここで見極めなければ行けないことがあります。そういう人たちの一部は共産主義や社会主義を経済のシステムと見て、ホームレスが社会にあふれないようにするにはどうしたらいいかということを考えている人たち、一部は現在の社会で自分の居場所を見つけられず、逃避の1つとして西側からは手の届かない場所に心の故郷を求めた人たちで、両者には実際面でまったく共通点がないという点です。前者からは修正資本主義などが誕生し、資本主義を唱える政党でも社会保障という形で、東側のシステムに似たような制度を導入するなどということが行われました。後者は魅了されるような話を聞かせてもらうことはできても、観念的な物が多く、具体的な実行は伴いません。象牙の塔で行われるすばらしい討論と同じです。どうやらこの女性はそちらに属していたようです。

売れていた頃はプチブル的な西ドイツを痛烈に批判していたようですが、壁が崩れた時に彼女の人生も一緒に崩れたようです。東側にも彼女の本を読んで感激した人がいたのですが、本人には自分の本が人に与えた影響もよく分っていなかったのではないかと思います。行き場所はいくらでもあったのに、彼女はそれをみつけることができず1992年に自殺しました。

エルスナーはその女性を非常に説得力ある演技で演じています。演じたと言わず、これが彼女だったと思いたくなるような演技です。日本人だったら「甘え」という言葉を使うでしょう。フランダースは甘えが通らなくなったところで、命を自ら捨てました。息子に取ってこの女性を描くのは楽ではなかっただろうと思います。有名人の母、しかし現実を見ていない女性、プロレタリアートを唱えながらブルジョワの生活をする矛盾だらけの女性です。自らが体験したはずの矛盾を客観的に描き、憎しみや、恨みなどは見られない演出です。冷たくならず客観的にというのは難しいことだと思いますが、見事にそれもこなしています。彼女の人格の謎解きを中立の立場で、しかし本人に近い所にいた利点を生かして行った結果がこの作品でしょう。ついでではありますが、フランダースの夫を演じた人もすばらしい演技です。

女優エルスナーの参考作品: Mein letzter Film

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