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K-19 /
K-19: The Widowmaker /
K-19 Showdown in der Tiefe

Kathryn Bigelow

2002 USA 138 Min. 劇映画

出演者

Harrison Ford
(Alexei Vostrikov - 艦長)

Liam Neeson
(Mikhail Polenin - 前艦長)

Peter Sarsgaard
(Vadim Radtchenko)

Christian Camargo
(Pavel Loktev)

Sam Spruell
(Dimitri Nevsky)

見た時期:2002年7月

要注意: ネタばれあり!

真夏に雪の降る映画を見てしまいました。原題には The Widowmaker 「後家作り」という気色悪い副題がついています。不吉なオープニング。映画を見ると納得できるネーミングです。ドイツ語では「深海のショーダウン」と変えてありました。

★ 実話でもプロパガンダ

東西冷戦の真っ最中、60年代の初期に実際に起こったソビエト原子力潜水艦の事故の話。登場人物はほとんどソ連海軍の将校と兵士という設定。監督、美術、技術、俳優など皆が力を入れて作った映画なので、見られて良かったと思います。しかし最後まで来ると腹も立ちます。井上さんも2009 ロストメモリーズ(少し下にスクロールして下さい)で触れているように、1つの国が力を入れて作った作品でも、立場の違う国の人が見ると、これで良いんだろうかと思うようなシーンが出て来ます。

乱暴な言い方ですが、全体の4分の3ほどはプロパガンダ映画の様相。戦争、軍隊、国家などが主題の映画を作ると政治的に中立というわけには行かず、どうしてもあちらかこちらの方向に傾いてしまいます。反戦映画で人殺しに反対するとしても、その監督の方向に引っ張られます。その監督の政策反対プロパガンダに乗せられるか、政策に賛成する監督のプロパガンダに乗せられるかの違いがあるだけです。結局いろいろな方向のプロパガンダ映画を見て、その中で自分でバランスを取るしかないのでしょう。

まずベルリン・バウバウス美術館に展示したらいいかというような古い内装の潜水艦が出て来ます。進水式をする直前の時点では最新なのですが、時代が60年代ということもあり、その出で立ちは資本主義世界が豊かで、共産主義は貧しい事を示すプロパガンダ映画か、と一瞬かんぐってしまいます。が、待てよ、冷戦はもう10年以上前に終わったはず、今更昔の敵の貧しさを強調しなくても・・・と思うような前半です。どうやらこれは本当に当時の模様を再現しただけの事で、それ以上の意図は無いようです。聞いたところによるとかなり詳しく検証して作ったとか。それに当時のソビエトは豊かさを追求している国ではなく、国民に平等に物資を分配する事を目指していた時代です。その辺の時代背景はかなり考慮して見ないとアンフェアな印象になってしまいます。地理的に近い場所に住んでいると、友達などもでき、ロシアも身近になっていますが、大西洋を超えたあちら側はまだ冷戦中の印象が強いのか・・・と考えさせられるシーンです。

ここでネタがばれます。先に映画を見たい方は目次へ。映画のリストへ。

★ 悲劇の物語

映画は潜水艦の出港から救助までの過程を描いています。当時政治的極限状態を示すような事件は確かにいくつかあり、挑発もぎりぎりのところまで行っていたようです。報道されていない事もいくつかあったのでしょう。K-19 の事件はソビエト国内でも発表されていません。軍の扱いは普通の「事故」でした。ビゲローの作品を見ると世界の滅亡寸前まで行く「事故」です。

出港時に重なる不手際、部下にあまり思いやりの無い新艦長、なんだか無駄に見えるような訓練の連続。災厄の兆しがすでに見えています。監督が直接本人や家族に取材しているので、かなりの部分は事実に即しているようです。アメリカ人の監督が旧ソビエト軍の軍人や家族に取材できるような世の中になったという事には感動を覚えます。

前半でもう充分というぐらいトラブルを見せられますが、それではまだ足りないとばかりに、後半原子炉に故障が生じます。コントロールが利かなくなり、温度は1000度近くになって行きます。このままだと乗組員の生命がどうのという次元の問題ではなく、世界がどうなるかという次元の話になります。「広島はこれに比べると小さい」と言われてしまうぐらいの被害になります。(事実なのだったら仕方ありませんが、アメリカ人の監督に「広島は小さい」と言われると広島と長崎の人から笑顔は出て来ないでしょう。日本版でもこのシーンを出すのか興味あるところです。)修理をしなければなりませんが、何と放射能から多少でも身を守る装備を積んでいません!そして、修理は手仕事!

若い水兵が志願して2人ずつ組になって原子炉に行きます。穴をふさぐのが目的ですが、1人10分以上現場にいると命が危ないので、交代で2人ずつ行きます。このあたりから東だ、西だというような政治問題で腹を立てる次元ではなくなります。放射能を10分間浴びるとどういう事になるかは、この映画の描写でもまだ手ぬるいでしょう。でも・・・これを見ただけで恐ろしい事だというのは想像がつきます。装備が無いので雨合羽を着て作業に当たります。こんな物で身を守れるわけはありません。日本人は良く知っている事ですが、怖いのは外傷だけで済まないことです。

最後7人の若者が自分を犠牲にして世界を救うという結果になります。映画では7人と出ましたが、放射能関係の資料には8人とあり、5000 レムから 6000 レム浴びたとなっています。素人なのでこの数字が具体的に何を意味しているの分かりませんが、直接の死亡原因だという事は分かります。映画最後の説明によると、この7人は戻って間もなく放射能による急性障害で死亡。恐らく作業場の近くにいた人、患者の近くにいた人も後遺症を受けているでしょう。この映画ではこの7人を英雄としてたたえています。

ビゲローの映画が 2002年にこの人たちを英雄としてたたえなければならなかったのは、この人たちが防いだのが世界滅亡だった事、この事件は事故扱いを受け、ソビエト時代には特別視されなかった事に起因します。実際は広島、チェフノブリイと比較しても誇張ではなかったようです。しかしここで私は腹が立ちました。米ソの対立が無ければ若者にこういう犠牲を強いる必要は無かった、という点。これはどの戦争映画を見ても同じです。こういう形で国が争う必要があるかという事はどの戦争、紛争でも言えますが、今回もまたそれです。死ぬ必要のない人が死んだという話を聞くとどうもむかっ腹を立ててしまいます。ビゲローはこの自己犠牲を美談として描いており、それにも腹が立ちます。「この若者たちを英雄に仕立て上げて済む問題ではないじゃないか」という事。女性監督として骨の太い作品を作る人なので、あまり文句は言いたくないですが。

俳優はみな映画のコンセプトに従ってがんばって演技しています。スターウォーズの大スターの共演もなかなかいいです。悪役のフォード、善人のニーセン。脇役も個性を適度に出しながらティームワークのバランスを上手に取っています。ビゲローの演出は以前のステレオ・タイプのロシア人と違い、個々のロシア人は心のやさしい普通の人たちだという面が出ています。これまでの冷たく命令だけを聞いている蝋人形のようなソビエト軍人でもなく、凶悪なマフィアでもなく、感情を持った、陽気な人たちと表現されています。ベルリンに来て、半分近い歳月を壁と検閲で暮らし、ある日突然壁が無くなり、凍りついた戦争が友好条約に変わり、資本主義でガチガチの日本から来た私でもロシア人のクラスメートなどができ、普通の人たちと知り合いになりました。こういうロシア人の別な顔をスターウォーズの主演を演じた大スター2人を迎えた映画で見せる・・・、時代が変わったと思います。

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