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米朝問題

目にした時期:2003年2月

長年親しくしている友人が、日本語を忘れちゃ行けないってんで、読み物を送ってくれます。インターネットで日本語の記事がいくらでも読める時代には入っていますが、年寄りにはやはり紙の上に書いてある文字の方が読み易く、頭にも入り易いです。と言うわけでまた最近送ってもらった雑誌などをわくわくしながらめくっていました。本を前にするとわくわくするという癖は子供の時についてしまい、それ以来取れません。これもまた私の世代に時々見られる現象。ま、人に迷惑をかけるわけでもないので、笑われても気にしないことにして・・・たった2ページですが、実におもしろい記事が載っていました。

物書きで落語ファンだという人が桂米朝のネタの分析をやっています。この人どうやら上方落語をひいきにしているらしく、江戸の方の話は出て来ません。紙面が2ページと限られているので名前が出る噺家も僅か。その中で桂米朝をメインに取り上げています。いろいろ納得の行く誉め方をしておいてから、CD の分析を始めます。落語の世界にいる人に取ってはある意味ではシビアな分析、商売上本人も知っておいた方がいいような分析です。

落語の世界に科学を持ち込んだのは今は亡き桂枝雀。この名前は「えだすずめ」ではなく「しじゃく」と読みます。師匠が黄泉の国へ旅立たれてからは高座にも上がられることが無いので、知らない方もおられるかと思いますが、かなりの間飛ぶ雀を落とすような勢いで売れていました。この噺家が落語を「緊張とその緩和」の世界と捉え、パターンの分析を科学的に行い、象牙の塔で文学や文化を追求している学者にも一目置かせたという前例があります。

枝雀は本職、自分の職業のネタ分析の他に、本の出版、テレビドラマに俳優としても出演するなど、多彩な才能を見せてくれた人です。いいかげんな所のない、丹念な仕事をする桂米朝の有力な弟子の1人だったというのも偶然ではなかったのかも知れません。

さて、その米朝師匠のファンだというこの筆者、「特選!!米朝落語全集」という CD を引っ張り出して来て、それを全部聞き、87題の枕を抜き、ストーリーの正味時間を計り、その中で起きた笑いの回数を数えるという、まあファンでなければできないような、そしてファンだったら楽しくてしょうがないような実験を行ったのだそうです。そしてそのリストを、雑誌社からもらったたった2ページの紙面の半分ぐらいを使って掲載しています。小さい文字で細々(《ほそぼそ》ではなく、《こまごま》)書いてありますが、落語ファンだとついそれをじっと見つめてしまいます。

私は、上方だ、江戸だ、古典だ、新作だと言わない雑食ファンで、おもしろければ何でも笑ってやろうじゃないかというスタンスです。米朝個人にはどういうわけか漆器のような、燻し銀のような上品なイメージが付きまといますが、落語は本来上品さを競う世界ではないので、ガラが悪くても文句は言いません。 上方だ、江戸だなどと言っていたら、東北や北陸出身の噺家さんは「どうしよう・・・」と路頭に迷いますから、出身や活動している地域の事もあれこれ言いません。

古典だ、新作だと言わないのは、古い話をリフォームして分かりやすく説明してくれる人もいるし、本当に古い話を古臭くやってくれると、昔はどうだったかが分かっておもしろいし、現代の怪談を作って「サイバー」とか「ハイパー」などという言葉が飛び出してもおもしろいじゃないかという気持ちもあるからです。確か昔は立って、ラッパ吹きながら落語やっていた人もいたように思います。 で、何でも文句を言わず、勝手にこじつけて聞いてしまいます。

さて、そのリストですが、第1位に輝いたのが

もっと凄いのが第2位。

考えてみて下さい。30分1人で話し続けるだけでもしんどいのに、その間に9.5秒毎に1回人を笑わせる・・・これはよほどの経験と才能とやる気があって気合が入っていないとできません。

1位から3位までは平均10秒を切っています。そのあと27位までが15秒を切り、28位が15秒きっかり。続く47位までが20秒を、70位までが30秒を切っています。80位までが40秒以下、86位が86.1秒で、87番目、最後の1つだけ191.5秒、3分強に1回の笑い。五光という題ですが、人情話か何かだったんでしょうか。この笑いの密度に対抗できるのは全盛時代のやすし・きよしぐらいではないか・・・と統計はありませんが、勝手に想像しています。

意気込みという点から見ると、アメリカでコメディーを作った映画監督のエピソードが比較の対象になるでしょう。作品が一通り完成し、テストのスクリーニングがあり、観客が上映中に何度笑ったかという事が報道されていました。この時の監督の発言がいいです。

以前作った映画では「・・・秒に・・・回笑った」などという事が言われていたが、今回は人は1回しか笑わない。映画の始めに笑い出し、終わりまで笑いが止まらない。

こんな事を言う監督もかなり気合が入っていますが、落語が緊張と緊張緩和の世界だとすると、上演中笑いっぱなしというのは疲れます。観客が次の笑いに備えて英気を養う時間が必要です。江戸前寿司を食べる時に毎回お茶と生姜で前の味を消し、新たなおいしさを味わうように、前の笑いから1度回復して、次の笑いを新鮮に感じるという意味でも笑いの間に静けさを置いた方がいいように思います。この辺のタイミングを心得ている人が偉い落語家なんだと思います。

米朝師匠が凄いという事を数字ではっきり示したこの筆者もなかなか気合の入ったファンです。私は若い時はあまり米朝師匠のファンではありませんでした。奥が深くて、子供には良さが分からないのかも知れません。子供の時は食べてもおいしいと感じない物があるという話を最近どこかで目にしましたが、落語家でも大人になってからでないと良さが分からない場合があるようです。

ちなみに今回のタイトル「米朝問題」は、桂米朝師匠が自ら思いついた洒落で、どこかの録画の時に枕で「最近新聞にやたら自分の名前が出ているので変だと思ったら、あれは米国と朝鮮の事だった」という趣旨の話をしておられました。あの当時はまだそれを笑って済ませることのできる時代でした。

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