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28日後・・・ / 28 days later

Danny Boyle

2002 UK/USA/NL 112 Min. 劇映画

出演者

Cillian Murphy (Jim)

Naomie Harris (Selena)

Noah Huntley (Mark)

Megan Burns (Hannah)

Brendan Gleeson (Frank)

Christopher Eccleston
(Henry West - 軍人)

見た時期:2003年3月 ファンタのオードブル

2003年 ファンタ参加作品

ストーリーの説明あり

ボイルはこれまでもなかなか斬新な作品を出していますが、今回はそれまでのスタイルすら止めて、まったく新しい感覚で撮影しています。何かと似ていると言う人は出るかも知れませんが、筋のおもしろさ、現実的な設定、カメラなどを自分のスタイルで組み合わせ成功しています。見ていてちらっと頭をかすめた作品がいくつかありますが、それを真似たというのではなく、それに触発されて自分の作品を作ったという感じです。

大きく分けて2つの部分があり、私は特に前半に驚きました。「こんな映画見たことない・・・」という感じです。同じような驚きは華氏451を見て以来。

筋を説明しますので、見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

動物愛護運動をしている3人の若者が、ある研究所に押し入り、中で「実験動物を拷問を受けている」(と彼らが考えている)シーンを写真撮影します。動物実験反対運動をする時のキャンペーンに使うつもりだったのでしょう。動物を使って研究している側も正当性を主張するでしょうが、話が噛み合いそうにもないということが短時間で分かるようなシーンです。 忍び込んでいる最中研究所の職員とはち合わせして揉め、その間に押し入った側の女性が猿の入っているガラス箱を開けてしまいます。さて何が起こるか・・・こういう怖さは12モンキーズでも感じました。

★ 28日後・・・

たまたま病院で隔離治療中だった無関係の普通の患者ジムが昏睡状態から目を覚まします。治療のため体中にコードを巻きつけられていましたが、まあまあ歩ける程度に回復。勝手にコードをはずし、病室の外に出ますが誰もいません。昏睡状態で液体で栄養を取っていた人間が目を覚まし、腹がへっている、喉が乾いているというのは何となく分かります。病院の1階の、受付に行っても人っ子1人おらず、公衆電話は受話器がはずれてぶら下がっています。で、仕方なく自動販売機を壊してペプシ・コーラを集め、ビニールの袋に入れます。

ここからのシーンがとても良いです。ジムと一緒に観客も戸惑います。いったいどうなっているのか。どうやらロンドンのようですが、病院の外にも人っ子1人おらず、道路には車が放り出してあり、店にも誰もいません。現金まで道に散らばっています。何も分からないジムは一応現金もかき集めて、ビニール袋に入れてみます。掲示板には子供や家族を探す張り紙が至る所に張ってあり、新聞もわけの分からない事を報道しています。

ジムはふらつく足で町をさまよい始めます。町は何もかもが放ったらかし。大分経って突然人が現われます。尋常ではない様子。危ういところを男女に救われるジム。しかし事情は全然呑み込めていません。ようやく2人から説明を受けてもまだ半信半疑。2人は危険を重々承知しているのですが、ジムはまだチンプンカンプン。この辺が実に現実的、自然で、ボイルの演出の強味です。

★ 事情は・・・?

最初に登場した動物愛護の運動家が開けてしまったガラス箱が世界を滅ぼしてしまう結果になりました。人間の狂暴性を静める方法を研究しているチームの飼っていた猿は、狂暴そのもの。実験ビールスに感染していました。猿のビールスは感染力が異常に強く、感染すると20秒程度で完全に狂い狂暴になってしまいます。数秒、数分で症状が現われ、注射だのワクチンだの言っている暇はありません。健康な人間は狂死を嫌って自殺するか、いずれ感染するのを待つかの2つしか道はありませんでした。感染した者は親でも友達でも即座に殺さなければ自分が危ないので、生き残るためには即断して殺人をする覚悟が必要です。というわけでロンドンで生存しているのは数人の感染していない人間か、比較的大勢の感染してゾンビと化した人間。あとは死体の山。

ここに至る前半がとにかく斬新ですばらしい出来。これだけでも1つのストーリーを完結できますが、その後別なストーリが来ます。これがまた力強い内容。

3人だった仲間も1人感染して減り、2人になったところで、2人は高層アパートにネオンがついているのをみつけ、行ってみます。父親と少女が住んでいました。他の住民は全滅。父親はラジオ放送を聞いてマンチェスターへ行こうと提案します。ジムは「これは録音でもう人間は生きていないだろう」と言いますが、結局行ってみることになります。

確かにそこには少数の軍人が生存していました。その1番上に立つのがクリストファー・エクルストン。ボイルの作品でユアン・マグレガーと一緒に有名になった人です。彼の作品は数本見ていますが、ジェフリー・ラッシュのようにいろいろタイプの役が演じられる人で、彼は将来もバラエティーに富んだ路線で行くでしょう。ここではタフな軍人役。

ここから先の展開は伏せておきます。前半に負けるとも劣らぬシビアなテーマが出て来ます。

★ 欧州型の動物愛護精神

ここでも軍人が軍服で登場し、ちょうど第2次湾岸戦争とのタイミングで苦いため息が出ます。そのためかややかすんでしまうのが動物愛護運動の方法の問題。ドイツでもこういった運動家と実験をする側の対立は激しいですが、不要な実験をし、動物を拷問するのは行けないという論拠で活動している人たちと、必要悪だと主張する人たちの間にはまだいくつもの段階で考えるべき点があります。運動家の中には運動の方法が過激過ぎて一般市民の賛同を得にくいのではと思わせる現象もあります。何か個人の問題を動物保護と取替えて、思いっきりエネルギーを発散しているのではと思えるような極端な例もあります。

そういう例は別としても、農業が文化を作っている東洋からやって来ると、酪農業が文化を作っている西洋とは動物に対する考え方が違うため違和感も覚えます。食べるための牛や豚の扱いと、実験に使われる動物の扱いになぜ差をつけるのかとつい考えてしまいます。また、私などは人間も動物(生物)の一部と考えるので、動物を殺すのもほどほどにと考えてしまいますが、ドイツ人の中には人間は動物と違い、一段上の存在だと確信している人が多く、動物に対する支配権を持っていると考えている人もいます。このあたり西洋と東洋の違いをはっきり感じます。で、議論をしてみても平行線になることがほとんどです。

それとはまた別な次元になりますが、ワクチン、薬品、化粧品などを動物実験無しに売るのか、という点も動物愛護の運動家は一般市民が納得するような代替の方法を提示していません。その一方研究が行われている機関では本当に必要な数だけに実験を限っているのか、興味があるからと必要以上に多くの実験をしているのではないかという疑問も浮かんで来ます。

現在はあまり双方が歩み寄る雰囲気ではないのですが、そういう中でこの映画ができ、喧嘩両成敗風な結果になっています。やたら実験をやるのはまずい、しかし何の実験か考えずに不用意にその辺の動物を解放してしまうのはまずい、というわけです。ボイルはそれが究極まで行ったところを示して見せたわけですが、「何かする前に良く考えてみろ」という警告は成功しています。

深刻なテーマを扱ってはいますが、彼特有のユーモアも忘れておらず、時々目立たない所で顔を出します。しかし冗談の度が過ぎて焦点がボケないようにシャロウ・グレイヴトレイン・スポッティングに比べると抑えが効いています。

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