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過去のない男 /
Mies vailla menneisyyttä /
The Man Without a Past

Aki Kaurismäki

2002 Finnland/D/F 97 Min. 劇映画

出演者

Markku Peltola
(M - 記憶をなくした男)

Kati Outinen (Irma - 救世軍)

Juhani Niemelä
(Nieminen - コンテーナに住んでいる男)

Kaija Pakarinen
(Kaisa Nieminen - ニーミネンの妻)

Sakari Kuosmanen
(Anttila - 意地の悪い警官、ホームレスからコンテーナの家賃を取っている)

Hannibal (Tähti)

Outi Mäenpää (銀行員)

Esko Nikkari
(責任感の強い銀行強盗)

Pertti Sveholm (警察官)

Matti Wuori
(救世軍の弁護士)

Aino Seppo (Mの妻)

見た時期:2003年4月

ストーリーの説明あり

4月12日は落語の催し物だったと思ったのですが、食べ物の催し物に変更になったんでしょうか。当日の書き込みはおいしかった、おいしかったとその話でもちきり。落語はどうだったんですか。

そのうち井上さんのページに経過報告記事が出ることを期待しつつ、こちらはマイペースで。

この間外国映画賞でオスカーにノミネートされた後、アメリカがイラクに侵攻したってんで、授賞式出席を拒否したフィンランド人の監督 Aki Kaurismäki が作った作品です。ドグマ映画と言っても良いぐらい地味な作りで、目立った美男美女は出ず、アクションは男が殴られるシーンだけ。それも殴るふりをしているだけで本当は殴っていないと分かってしまいます。

話を聞いてから見てもそれほど興ざめしませんが、筋を明かしますので、見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

ライアム・ニーセンとポーランドの元国家元首ワレンサ氏を足して、2で割ったような感じの中年男がトランク1個持って列車でどこかへ向かっています。ヘルシンキで駅を出てからは、ボーン・アイデンティティーでジェーソン・ボーンが野宿したような公園のベンチで野宿。そこへ3人の若者が現われ、野球のバットで男を殴り、金銭を奪います。トランクにはお面が入っていて、この男が溶接工ではないかということが暗示されます。

血だらけで公衆便所までたどり着いてばったり。病院に送られ、透明人間のように包帯ぐるぐる巻きで寝ていますが、そこで死亡確認。ところが奇跡的に助かってむっくり起き上がり、病院を出て行きます。行きついた川縁で再びばったり。子供に発見され、ホームレスでコンテーナに住んでいるニーミネン一家に助けられます。シンボル的に作ったシーンでしょうが、展開に無理があり、これでオスカー候補か、とちょっと疑問を持ってしまいます。

命は助かったものの記憶はごっそり消えています。監督が言いたかったのは社会保険ナンバーと氏名が分からない人間は役所から助けてもらえないという点と、ホームレスの人間が心を通わせて助け合って暮らしているという点でしょう。

それは分かるのですが、単純な疑問が浮かんでしまうシーンが出て来ます。記憶がなくなったら、私ならまず病院へ行きます。精神科に診断鑑定してもらい、記憶喪失を認定してもらったら国から仮の身分証明ぐらいは貰えるのではないかと思います。国にもこういう目に遭った人を治療したり、検査するぐらいの予算はあるでしょう。そういう話が出て来ればこの物語は30分ぐらいで終わりです。

一文なしの記憶喪失だったら、当面国が生活保護を出してくれ、職業訓練も受けさせてもらえるのではないかと思いますねえ。犯罪の被害者ですから、何の補助も出ないということはないでしょう。それに体は回復したのだから、自分で働けばお金は稼げます。彼が躓いてしまったのは、名前が分からないから仲間に入れてあげないという国の態度。

仮に100歩譲って、国が採算を重要視したとしても、記憶喪失者として貰ったお金を後で、本当のアイデンティティーの人物と相殺すればいいこと。記憶を失ってからは彼は自分の口座番号も分からず一銭も自分の口座からは引き出していないわけですから、仮に彼が失業保険か何かをもらっていたとしても、後でそのお金と差し引きすればいいこと。プロットがちょっと雑です。

フィンランドというのは社会保障の行き届いた国だと思っていたので、この設定にはちょっと驚きました。例えばノールウェイの Elling の反対側に位置する映画です。母親を失った Elling は社会で生きていく能力がなかったので、暫く精神科が面倒を見ます。国が一人立ちできるように手伝い、その後国がアパートと生活費の面倒を見、首都で暮らせるようになり、詩人に成長するまでの物語です。

過去のない男の画面は古臭くしてあり、携帯電話が全然出て来ず、車も何だか古そうなので、もしかしたらこれは過去の物語を2002年に撮ったのかとも思いますが、今一つはっきりしませんでした。

最初は落ち込むような事ばかりに出くわす主人公ですが、救世軍の女性に「運命に振り回されてばかりいては行けない」と言われ考え直します。無料の衣服を揃えてもらったり、安いとは言え給料を貰える仕事を世話してもらったりしているうちに徐々にしゃんとして来ます。ついでにその女性に恋をしたら、彼女からも色よい返事。話がうまく行き過ぎています。

悪い事をしたわけではないのですが、運悪く警察のご厄介になり、拘留されてしまいます。バイトがみつかったのに口座を開かないと給料が貰えないということが分かり、銀行へ行ったところ、そこで強盗に出くわし、運悪く目撃者に。その証言をするために警察に行ったら、名前が分からないというので(同情されるどころか)犯罪者扱いされ、豚箱入り。ここで愉快な弁護士が登場して、警察と言葉のクリンチ。老練な弁護士の勝ち。それで釈放。

画面は現実的で、ドグマ映画かと思いますが、ストーリーは社会派ドラマの顔をしたメルヘン。ちょっと騙されたような気分です。

最初主人公の話を全然信じてくれなかった警察ですが、弁護士との対戦の後、主人公の話が写真と一緒に新聞に載り、夫人が名乗り出たため、警察が連絡をしに来ます。記憶喪失のまま救世軍の女性と生きていく決心をしたばかりだったので、最悪のタイミング。

仕方なく教えてもらった自宅に戻りますが、運良く最後の数ヶ月離婚寸前のカップルだったことが分かり、離婚はもう成立していました。ここもまたご都合主義。そのほか小さいエピソードでも同じパターン。心温まるシーンが続き過ぎておいおい、本当かよ・・・。

こういう映画を作るのはいいですし、これで慰められる人もいるでしょうが、オスカーのノミネーションまでエスカレートするべきなのか考えてしまいました。

おもしろいと思ったのは何の関係も無いように登場する日本文化。離婚が成立していたと分かり、ヘルシンキに戻る列車の食堂でどういうわけか50年代頃のようなサウンドの歌謡曲が流れ、主人公は日本酒をお猪口で飲み、寿司を食べます。列車にはあまり乗らないので知りませんが、寿司が出るようではあまり古い話ではないことになり、上で考えた携帯電話がなくて古い車が走っているとしても90年代以降の話なのかと、また考え込んでしまいました。歌謡曲の方は本当に古いものをかけたのかも知れません。リバイバルかパロディー版ということも考えられます。欧州の寿司ブームは90年代頃からです。ま、その辺はこれ以上追求しないことにして。

社会派でありながら心温まる話としては、ドイツの小説フェリックス・フービー作の Gute Nacht, Bienzle(おやすみ、ビーンツレ) を思い出します。 シュトゥットガルトの大きな公園に住むホームレスが連続殺人の犠牲になり、ネオナチっぽい若者が容疑者として浮かんできます。ビーンツレ警部が捜査をする過程で、読者にはホームレスになる人々の事情、生活が分かるように書かれています。同時に裕福な家庭の息子がなぜネオナチ風になって行くのかなども比較的読みやすく書かれており、あまり長い話ではありません。ドイツ語版将軍の娘が4センチ1ミリ、レッド・ドラゴンが3センチ3ミリなのに対してこの小説はちょうど1センチの厚さですがさまざまな事情が簡潔にまとめてあります。

どちらがいい、悪いというものでもありませんが、ビーンツレの方は話にあまり目だったアラや飛躍がないので「おいおい」と言いたくなるようなシーンはありません。ま、理由の如何を問わずオスカーにノミネートされて知名度が挙がるのは商売上プラスになるからいいという事にしておきましょう。3部作なのだそうで、あと1本予定しているそうです。乞うご期待。

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