映画のページ

死ぬのはいつも息子

考えた時期:2003年4月

この映画は欧州の文化、アングロ・サクソンの文化を中心において作られています。アングロ・サクソンと言うと、まあ欧州系のアメリカ人というイメージがありますが、先祖をたどると確かに欧州に戻って来ます。アメリカではイギリス系の白人ということになっていますが、元々はアングルとザクソンというゲルマン人のことです。この人たちがケルト人の住んでいたイギリスに移り住んだので、言葉もイギリスに渡ったわけです。(そのケルト人というのもまたドイツ、スイスのあたりからあちらこちら寄り道してやって来た大陸の人間です。)こうして古い英語が出来上がったのですが、当時はまだ文法がややこしく、ドイツ語にそっくりでした。

アングル人の故郷はシュレースヴィッヒ、ザクソン人の故郷はホルシュタインで、早く言えば北ドイツです。ですから両方の言語、文化ともゲルマン文化の伝統をバッチリ引き継いでいます。ということは父親と息子が喧嘩した時には父親が息子を殺すことに決まっています

アジアですと親が子供のために命を犠牲にするというのが相場で、たいてい自分のために命を落とした親に感謝しつつ子供が生き残る、そして次の世代を築いて行くという風に聞くも涙の物語が展開します。アングロ・サクソンの世界はそうではなく、子供を愛し、殺したくないと思うのに子供がどうしても手を引かず挑発し、親の説得もうまく行かず、やむなく戦いに発展し、人生経験、戦いの経験の長い父親が、息子を殺し、瀕死の息子を腕にかき抱きながら嘆き悲しむ、あるいは自分の実の息子に父親が恐ろしく嫉妬して、自分を越えて成長しようとする息子を殺すという悲劇に終わることになっています

ハンテッドのジョーンズとデル・トロの関係は血縁ではありませんが、どことなく父親と息子のようです。そして自分が殺人者になった時、デル・トロはどうせ死ぬならジョーンズに殺されたいと願っているかのような様子を見せます。ジョーンズは引退し、殺しの仕事からは手を引いたつもりでいましたが、事情を知り責任を感じて捜査に協力。その際、警察や軍にデル・トロを殺させたくないという気持ちが強く、危険を承知で直接デル・トロと話しに行くシーンが出て来ます。終盤避けられない一騎撃ちの後1人が命を落とします。ゲルマン人の慣わしを1度知ってしまうと、誰が死ぬかは、はっきり予想がついてしまいます。

ハンテッドに戻る

この後どこへいきますか?     次の記事へ     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ