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スイミング・プール / Swimming Pool
2003 Frankreich/UK 102 Min. 劇映画
出演者
Charlotte Rampling
(Sarah Morton - 英国人女流推理作家)
Charles Dance
(John Bosload - サラを抱える出版者)
Ludivine Sagnier
(Julie - ジョンの家の娘)
Lauren Farrow
(Julia - ジョンの娘)
Marc Fayolle
(Marcel - ジョンの家の管理人)
Mireille Mosse
(マルセルの娘)
Michel Fau
(ジュリーが夜な夜な連れ込む男1)
Jean-Claude Lecas
(ジュリーが夜な夜な連れ込む男2)
Jean-Marie Lamour
(ジュリーが夜な夜な連れ込む男3)
見た時期:2003年8月
オゾン監督は前回もアガサ・クリスティー風の作りの殺人事件8人の女たちを撮りましたが、スイミング・プールも一応クラシックなミステリー仕立てになっています。しかし前回同様監督は謎を追い、解くことではなく、その間の女たちの確執の方に大きな関心があるようです。この作品のタイトルは「2人の女たち」の方がいいと思ったのは私1人ではなく、雑誌にもそんな提案が載っていました。謎解きや本格的なスリラーが好きな人はファンタの映画を選んだり、ちょっと前に公開されたライフ・オブ・デビッド・ゲイルを見た方がいいです。スイミング・プールの良さは別な所にあります。
女性に意地悪い事を考えさせ行動させるのはフランス人はお手のもの。カトリーヌ・アルレーがミステリー界では一時大活躍していましたし、フランソワーズ・サガンも一般文学ですが、若い女性の立場で年増の女性を意地悪く観察していました。まだ30代、そして男性のオゾンがどうしてこういう女性の活躍する世界に足を踏み出したのか分かりませんが、彼もそういう世界に興味があるようです。
このまだ若い監督、20歳代の始めから映画を撮り始め、かなりの数仕事をこなしています。主演のランプリングは2度目の登場。出演時間は短いですが、重要な人物の1人にアリ G のチャールズ・ダンスも使っています。ランプリングと一騎打ちになる若い女性にルディヴィーヌ・サニエ。3度目の起用です。1度使ってみて良さが分かると再利用。ルディヴィーヌ・サニエを見るのは2度目ですが、彼女の良さを上手く使っています。彼女の良さ?黄金色に焼けた肌と若い肢体だけではありません。それだけなら写真のモデルを連れてくればいいです。小生意気な演技がうまく筋に合っています。筋が先にできたのか、彼女をモデルにして筋を書いたのかは分かりません。オゾンはエマニュエル・ベルンハイム(Bernheim はドイツ語の名前です。フランス人がどういう発音をするのか見当もつきません。きっと h は読まないでしょう)と一緒に脚本も担当しています。
まずは事が起きるまでの設定から。長年友達で、以前には愛人関係にもあったらしい様子の男女。女は売れっ子の探偵小説作家サラ。男は出版者で彼女を担当しているジョン。会社の社長かも知れません。ジョンはサラのおかげで大もうけをしています。サラの作風はアガサ・クリスティーを思わせ、コーンウェルのシリーズ物に登場するスカルペッタを思わせるような小説を書いているらしく、一般受けし、多くの作品が世に知られています。ジョンは作家を乗せるのが上手で、おだてていい気持ちで作品を描かせる術に長けており、しっかり金勘定もできるようです。才能を発見するという才能にも恵まれているらしく、会社の経営はまあまあ上手く行っています。しかし手を抜いたら行けないということをしっかり頭に入れている経営者。最近サラの方は筆が進まずちょっとスランプ気味。それでジョンはサラに休養を兼ねて自分の持つフランスの別荘に行くことを勧めます。確かにいいアイディア。彼女はロンドンでは知られ過ぎています。
彼女が感じている虚しさがさりげなく上手に表現されています。ビジネスに熱心なジョンが言うお世辞に簡単に載せられるようなうぶな時期は過ぎており、サラはジョンの言葉を話半分と見ています。自分の作家としての腕には疑いは挟んでいないようですが、子供がいるわけでもなく、年取った親がいるだけ。その親も彼女が暫く遠出しても何とかやっていける。子供とか夫のような「彼女がいて世話をしないと生きて行けない人」というのがいません。そうやって頼られ切ってしまうというのも負担ですが、サラにはそういう負担も無いので、自分を必要としている人のいない虚しさを味わっています。作家という職業なのでファンが喜んでくれれば「ファンのために生きている」と感じそうなものですが、なぜか事はそう簡単でもなさそう。ジョンとの会話を聞いていると、彼女がジョンという存在に依存しているような面も見えます。
立派に成功した女流作家がなぜ・・・と思ってしまいますが、このぐらいの世代の人は女性解放運動などを経て一見自立したように見えて、実はまだかなり古い考え方に両足をしっかりつかまれているのです。イギリスのことはそれほどよく知らないのでドイツの様子ですが、意外とインテリと言われる女性が自分の中にある古い部分に気づかず(ですからそれを認めず)、解放された女性というイメージに強くこだわり、その間の谷間(差)にはまり込んで身動きできなくなっているケースがあります。主体性を失わなければたまたま伝統的な女性特有の仕事をしたとしても精神的には自立しているわけですが、そういう風に考えず、家事は男にやらせ、自分は書斎に座っているのが女性解放だと思ってしまった人がかなりいました。ポーズが先行し、内容がついて来なかったようです。
前にどこかで触れたかも知れませんが、アメリカのテレビで女刑事が2人で話しているシーンがありました。2人はコンビを組んで捜査にあたるのですが、1人は独身、もう1人は亭主と子持ちです。仕事でかなりストレスもあり、忙しいのに独身の刑事が既婚の刑事を自宅に訪ねると、彼女は食事の準備に大忙し。スパゲッティーを粉から作っています。「あなた、なんでこんな生活に耐えられるの?」と独身の同僚が半ば呆れ気味で聞くと、「こうやって家の事をやっていると、事件の残酷さを忘れられるから」と言うのです。2人は殺人事件を追ったりするので、血なまぐさい話もよく出ます。被害者に同情し過ぎたり、犯人を憎み過ぎたり、感情に流されずに仕事をするためには、毎日1度頭の切り替えをした方がいいわけです。その時にたまたま伝統的な女性の役割を果たしても、この刑事は仕事は責任感を持ってきっちりこなしています。
例えば デビッド・ゲイルがコンスタンスを殺したシーンを映したビデオを見ると、たいていの人が「こんな残酷な殺し方をして」という感情にとらわれます。1歩下がって他の見方も・・・などという余裕が沸いてきません。主婦の刑事も独身の刑事も仕事には熱心で、よく働きます。このテレビ番組の場合、結果的には主婦をやっている刑事の方がプロ意識が高い わけです。女性だけが家事という考え方には反対ですが、家事をやったから解放された女ではないという理屈は成立しないと思うのです。しかしドイツに住んでいるとこの辺がまだ当の女性によく分かっていないと思う時があります。ちなみにうちのアパートには自分で何でも手縫いするというアラビア人が住んでいます。左利きなのでミシンが使えないんだそうです。この人は男性。そして宗教から言うと男尊女卑。しかし料理も全部自分でやります。こういう男性も自立しているというか解放されていると呼ぶべきでしょう。ドイツを見る限り、男も女のやることを、女も男のやることをやる権利を持つという考え方は広がっておらず、女が男の世界に進出するという点だけに焦点が行き、私には疑問に思えるようなことが時々あります。男と女を取り換えればいいというものではありません。女が男のやることをやればいいというものでもありません。双方が自由に、柔軟に行き来できるというのが本来の解放ではないかと思うのです。その点北欧の方が少し私の考え方に似ていると思う時もあります。
イギリスの女性解放運動はドイツより進んでいないという話を聞いたこともあるので、サラの周囲の環境はドイツより保守的、その中で自立というポーズを続けるのはドイツに住むより難しいのかも知れません。実際私が知り合った範囲では英国の男性はドイツ人以上に保守的だという感じを受けました。そういう国出身の、しかも子供時代は保守的な解放されていない親に育てられ、自分がティーンの頃に世界がぱっと変わり流行のど真ん中にいきなり飛び込んだサラ。意識の表側では自立、内面ではそれほど吹っ切れていない、そしてそれをあまり深く自覚していないという世代です。監督がどの程度ここを意識して脚本を書いたのかは分かりません。ランプリングがどこまでそれを意図して演技したのかも分かりません。しかし、この本人が気づいていないジレンマという微妙な点が彼女の演技で良く出ています。
話を戻し、気晴らしにフランスへ行くという話は悪くないのでサラはやってみます。ちゃんと迎えが来てくれ、とりあえず別荘に到着。素敵な家で、きれいに片付いています。気に入らないのは壁にかかった十字架だけ。他はすべてOK。サラは元々きちんとした人らしく、英国人というよりドイツ人かと思わせるような面をたくさん見せます。持って来たラップトップを雑に扱ったり、たくさん書く人があんな小さなプリンターで間に合うのか、など細かいほころびがちらほら見えますが、話はここで1度落ち着きます。ドイツ人かと思ったのは彼女のファッションときれい好きな様子。ベストセラーを何冊も出している人で、出版者もちゃんと払っているらしいのでお金には不自由していません。ところがそれにしてはぱっとしない服を着ているのです。イギリスに遊びに行ったことがありますが、女性は華美な服装ではなくても質の良い生地のしゃれた物を着ている人が多かったです。色のセンスもドイツ人よりいいです。イギリス人がどの程度きれい好きできちんとしているのかは知りませんが、ドイツ人とサラの様子はよく似ています。ちょっと気になったのはサラがロンドンのジョンに「いつこちらへ来るの」と聞くシーン。その後時々電話を入れますが、秘書に体よくブロックされてしまいます。ここでも彼女のもろさが顔を覗かせます。
さて、そこへ突然現われるのがジュリー。ジョンの娘ではありますが、母親との結びつきが強く、ジョンが母親を捨てた時、母親と一緒にフランスに来ています。娘がいるという話は知っていたものの、サラの休暇中に別荘に現われるとは思っていなかったので、サラは怒ってジョンに憎まれ口の伝言を残します。怒りをあからさまに言葉に表せるような親しい仲でありながら、相手に上手に逃げられてしまうというのが現在のサラとジョンの関係。
突然登場したジュリーは年頃のませた娘で、夜毎に違う男を引き込んではセックスに励んでいます。健康そうなブロンドの娘で、来る早々プールサイドで日光浴に励みます。 家を散らかすのでサラはいらいら。その上汚いプールで水泳。サラが文句を言うと、すぐ庭師を呼んで掃除させます。ジュリーのご乱行は収まらず、時には顔を殴られて戻って来たリします。サラはやりたくもない母親の役を押し付けられた形で、ジュリーに対して小言を並べます。ジュリーはそのサラをもてあそぶようにますますご乱行に励みます。2人の間は一触即発。サラが欲求不満だということはとうにジュリーに見抜かれています。
話が複雑になるのは、ジュリーの両親が別れた原因がサラらしいと分かり始めるあたりから。ジュリーはすっかり慣れていて、父親にまた新しい女ができたのか、などと軽く言ってのけます。このシーンを見ていて思い出したのがフランソワーズ・サガンの作品。デヴィッド・ニーヴン、デボラ・カー、ジーン・セバーグで映画化されましたが、主人公の少女が父親の愛人に似たような目を向けていました。
怒りが頂点に達したところでサラはふとジュリーに興味を持ち始め詮索を開始。ジュリーの日記を盗み見て写し書き。そんなことをしているうちに事件が起きます。ジュリーは普段は陽気ですが人が去ろうとすると癇癪を起こします。そしてある夜、レストランのボーイとセックスを楽しんでいる最中に男が帰ろうとするのに怒り、殺してしまいます。夜にはいたはずの男が翌日仕事にも出ず、自宅にもおらず、別荘に滞在しているわけでもないのに不審を抱いたサラは調べ始め、わりと簡単に男の死体に行き当たります。そこで警察に連絡するのが普通ですが、彼女はジュリーを庇い、死体を埋めるのを手伝います。庭師が土の様子が昨日と違うのに気づくと、なんとサラは裸体を見せて庭師を誘惑します。
「ランプリング、ここまでやるか」と思うシーンですが、それまでにも何度か服こそ脱ぎませんが、あのスターがこんな役をなぜ引き受けたんだろうと思うようなシーンが出て来ます。それほど欲求不満、失望を表わすシーン、自尊心を傷つけられているシーンが多いです。ジュリーの方は全編を通して洋服をちゃんと着ていないシーンの方が多いです。しかし南フランスで若い女性が日光浴をするといのはよくあることでしょう。ランプリングの方はアル中気味でタバコも吸い、英国に長く住んでいるという役にぴったりの色艶の悪い肌を見せます。2人を対立させる演出です。
さていったいなぜサラがジュリーを助けたのかですが、私の勝手な想像では、これでサラに頼る人が世界に1人できたからではないでしょうか。自分には娘も息子もいない、しかしサラが助けるという形でジュリーは一生恩に着る、2人の間はそういう秘密で繋がった、それが彼女を警察に行かせなかった理由ではないかと思います。・・・それほどサラは孤独になっていた・・・。・・・とこれで幕引きになるはずなのですが、その後もう1ひねりあります。そこは言わないでおきます。
シャーロット・ランプリングにはあのすばらしい、ローレン・バコールと比較してもいいような謎めいた目があり、あれをどういう風に使うか、と楽しみにしていました。オゾン監督はそれを恨みがましい視線に使うということを思いつきました。そしてサラがジュリーに語るという形で「自分も若い頃は相当派手にやった」という台詞を入れています。かつてのランプリングを知っている人にはサラの小市民的な暮らし方が理解できないのですが、こういう所にさりげなく女優の人生をダブらせています。これがオゾン監督なりの彼女に対する敬意なのかも知れません。ライフ・オブ・デビッド・ゲイルに比べると小粒ですが、きれいにまとまっており、画面もとてもきれいです。ポスターもしゃれています。
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