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レーマンの最後 /
The Last Case of Lehmannwitz

最近の出演者

Mike Lehmann
(Mike Lehmann - 近来まれに見るアホな工事現場労働者)

ラジオ局のアナウンサーらしい人 1
(Bernt - 近来まれに見るアホな工事現場労働者マイクに付き合わされる工事現場労働者同僚)

ラジオ局のアナウンサーらしい人 2
(ゲイの工事現場主任)

ラジオ局のアナウンサーらしい人 3
(Inka - 工事現場労働者見習いの若い女の子)

ラジオ局のアナウンサーらしい人 4
(行き付けの屋台のおやじ)

聞いた時期:数年前から飽きもせず毎朝7時頃

速報: しぶとく残っていたレーマン、ついに、本当に終わったようです。代わりの番組も無く、他の時間帯と同じように音楽とニュースが流れています。(8月11日月曜日朝7時)

どうやら法廷闘争に持ちこんだという話はガセだったのか、あるいは負けたようで、マイク・レーマン・ショウは今週を持って終了します。現在もこの10年のベスト集(再放送)をやっているので、本人たちはもう仕事を終えたようです。マイク・レーマン自身が今後どうなるのかは分かりませんが、出演者のうち少なくとも何人かは放送をやっている局の人らしく、他の番組で普通の原稿を読んでいる声を聞いたことがあります。ですから彼らが失職することはないでしょう。

10年間のベストには例えば今日の放送のように、(使うシーンには言及しないことにして)ルイ・アームストロングとかジェームズ・ブラウンなどという名前も飛び出し、多少インテリジェンスを感じさせるのですが、最近のネタは、ここまでやるかというほどレベルが落ちていました。無論ああいう物を毎日書いて出演もするというのは大変ですが、この種の作家は時々リフレッシュして観客をげんなりさせない工夫が必要です。日本のようにお笑いの世界では観客の目も、スポンサーの目も、プロダクションの目も鋭い、何でもだらだら受け入れてしまわない国では、タレントがすぐ飽きられてしまうというタレント側のリスクがある一方、10年もおもしろくもない番組が国の税金で続くということもあり得ないでしょう。

日本はお笑いブームになったり、下火になったりを数年から10年以上の巾で繰り返していますが、競争が激しく、使い捨てにされる分だけ、観客の目に触れるものには気概も見られます。ドンキー・カルテット、コント55号などは舞台の上で共演者がお互いに争って競演者になっていました。それだけ見ている方も気を入れて見ており、心から大笑いしたものです。

ドイツにそういうのがないと言っているのではありません。まだ原稿にするほど文章が浮かんで来ないのですが、10年近くプロのコメディアンを数人知っていて、この人たちの笑いの才能はドンキー・カルテットの全盛期に負けず、ブームが去り、中の1人だけがソロでやったものでも、人数が減った寂しさはありましたが、笑いは出ます。

ドイツ人はコメディーが嫌いな国民ではありません。しかし1つドイツには日本と比べて不利な条件があるのです。話題がコメディーであろうがなかろうが、出されたものを文句言わずに延々受け入れてしまい、「もっと良くならないか」というような工夫、改良に対する熱望の気持ちが少ないのです(受け入れる側)。そして提供する側は適当なところで人に出してみて受け入れられたら、「これでいいのだろう」とレベルをそこに据えてしまって、「客がこれでいいと言っているのだから」と工夫、改良に対する必要性を見ないのです。仕事の現場などでも新しい人が来て、客にあたる人の立場を観察し、ニーズに合わせたやり方をしようとすると、従来のやり方を通している人の方が勝ってしまい、客に好まれているのに結局新しい事をやり出した人が追い出されてしまうというケースも珍しくありません。お客さんの方も1度良いものを経験しても、また諦めの境地で、プロテストをしてまでも新しいものを取り入れようというほど気合が入っていません。

「客がこれでいいと言っているから」が先なのか、「どうせこれしかないから」が先なのかは分かりませんが、これが長い伝統を作ってしまっているのです。1度これだとなると、相手がどう感じているかなどには関心を示さず、どっかりその線で腰をおろしてしまいます。たまに日本に帰ると、工夫の塊みたいな小物を売っていて、それが工夫していないほかの商品に比べて決して高いわけではない、それどころか安い場合もある、などということがあり、楽しく見て回りますが、その精神はテレビ番組でも雑誌のレイアウトでも同じ。作る側は受け入れる人がその商品、番組、作品に対してどういう感じ方をしているかに非常に関心を示します。同じ物が長く続かないので、1つ気に入ると、それが暫くしたらなくなってしまうという欠点もありますが、改良に対する飽くなき情熱という点では日本は世界に誇ってもいいものを持っています。

レーマンのジョークを10年も受け入れるメンタリティーにはため息が出てしまいますが、逆に良いものの場合は長く続く、20年前に出た商品が今でも買えるというのはうれしいことです。その辺の兼ね合いが難しいところでしょう。同じ国民に伝統を長く守る精神と、工夫、改良を重ねる、飽くなき好奇心を同時に求めるのは無理です。さて、来週からレーマンの代わりに何が来るか・・・。

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