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めぐりあう時間たち /
The Hours /
The Hours - Von Ewigkeit zu Ewigkeit

Stephen Daldry

2002 USA 114 Min. 劇映画

出演者

Nicole Kidman
(Virginia Woolf - 作家、出版業者)

Stephen Dillane
(Leonard Woolf - ヴァージニアの夫、出版業者)

Miranda Richardson (Vanessa Bell - バージニアの姉)

George Loftus
(Quentin Bell - ヴァネッサの息子)

Charley Ramm
(Julian Bell - ヴァネッサの息子)

Sophie Wyburd
(Angelica Bell - ヴァネッサの娘)

Julianne Moore
(Laura Brown - 主婦)

John C. Reilly
(Dan Brown - ローラの夫)

Jack Rovello
(Richie Brown - ローラの息子)

Ed Harris
(Richard Brown - クラリッサの友人、元恋人)

Jeff Daniels
(Louis Waters - リチャードの元恋人)

Meryl Streep
(Clarissa Vaughan - 出版業界の人)

Allison Janney
(Sally Lester - クラリッサの恋人)

Claire Danes
(Julia Vaughan - クラリッサの娘)

Toni Collette
(Kitty Barlowe - ローラの隣人)

Eileen Atkins
(Barbara - 花屋)

見た時期:2003年8月

ストーリーの説明あり

ドイツには熱狂的なバージニア・ウルフ・ファンが多いです。70年代、80年代には特に賞賛され、男性でも読んでいる人、知っている人がいました。私は・・・と言うと、まだ何も知らず、エリザベス・テイラーのバージニア・ウルフなんかこわくないという映画で名前を聞いたことがあるというだけ。お粗末なものです。80年代知人がファンだったこともあり、読もうかと思ったこともあったのですが、結局止めました。なぜか・・・。なんだか話を聞いていると鬱っぽくて、毎日の生活に追われ、あくせくしている人には向かない話だという印象だったからです。1日に何時間も暇があって、物事を深くゆっくり考えられる人にはいいようですが。

私に薦めてくれた女性は(当時の西)ドイツの社会ではあまり上でない階層に属していて、当時まだ高校を卒業するという目的に向かって一生懸命勉強していました。ドイツでは法律上は階級というものは定義されていませんが、実際には日本よりはっきりした形で残っており、大学入学資格を取れるタイプの高校卒業以外に、2つのタイプの高校卒業があり、またそれも持っていない人もいます。法律上はどんな職業、どんな家庭的背景を持った人にも平等に進学、就職の道が開かれているのですが、実際にエリート階級、中産階級以外の人が上に進もうとすると、日本より多くの困難があるようです。

私が見ていた範囲では、誰かが差別するという問題よりも、上級の学校でやって行けるように勉強のやり方を教えてくれる家族、教師、機関が無く、それが挫折の直接原因を作っているように思えました。頭脳の質が良くても、それを大学という制度の中で発揮する時のノーハウを教えてくれる人がいないというところに問題があるようなのです。これは私の目に触れるごく一部の事情ですが、日本には参考書、マニュアル、予備校などがあり、周囲でも兄弟や親が教えてくれたり、好意的な目で見ていたり、先生でも聞けば何か答えてくれますから、「俺はやるぞ」と言えば、どこかしらから情報が来ます。私の時代には相談事も持ち込める受験生専用の深夜ラジオ番組までありました。仲良くしていた友達が高校を退学処分になった時も担任が「通信教育で高校を卒業できるから、その後は普通の大学に入る道が開ける」と教えていました(友達はそれを実行したため、ちょっと遅れましたが大学に入っています)。大学に入れば入ったで、ゼミの担当教師がいたり、先輩がいたり、クラブに入ればそこにも大学生活のコツを教えてくれる先輩がいたりで、誰かに聞けるという仕掛けになっていました。情報が誰の手にも入るという意味では日本の方が進んでいるなあという気もします。

ドイツは当時はちょうど政府が力を入れて、労働者階級の人でも大学に進めるように奨学金制度を整えていたところです。こういう制度を作る必要があったということ自体が、暗に階級制度が残っていることを認めたようなものですが、この女性はちょうどその時1度家庭を持ち子供を育てていました。子供も大分自立して来たので、高校をやり直そうと思い立ったようです。彼女の進路指導をした女性がいたらしく、そのあたりでバージニア・ウルフの名前が挙がったようです。当時のドイツでは必読書に数えられていました。

大学へ行った人が頭が良くて、それ以外の職業の人は悪いのかと言うとそうではなく、大学に行った人の愚かさが露呈することもあります。学校で教えてくれる理論や本に頼り過ぎて、人というものを自分の目でちゃんと見ない人が大勢育ってしまうという落とし穴も大学にはあるのです。インテリの人だと思っていると、子供とのコミュニケーションができず、家庭にトラブルを抱えていたりします。心理学、社会学などいくらでも本が手に入る環境にいながら、実際には宝の持ち腐れになっていたりします。両親が職人や工場労働者の家庭はと見ると、家族関係が愛情、思いやりのあふれたもので、両親の賢さにこちらが見習いたいような家庭もあるのです。結局日本でもドイツでも人が大学を高く見るのは、卒業生が社会で高く見られるから、初任給が多いからということで、実際の頭の良さとはあまり関係がないように思えて来ます。

私はと言うと、本を読むのは好きですが、当時から20年近く論文や、実務的な事を書いたものを読み漁っており、文学系はほとんど読んでいませんでした。子供の時には文学も結構読んでいたので、仕事の関係でそうなってしまったのでしょうが、何かストーリーを楽しみたい時は映画に行ってしまうせいもあるでしょう。その上この女性に紹介される作家、画家は皆鬱っぽい傾向があり、自分の私生活をそういう雰囲気で満たしてしまいたくないという気持ちもありました。今でもこれは変わらず、うたむらさんとソウルで話が合ってしまったり、井上さんと落語で話が合ってしまうのも、とどさんの写真を眺めているのも、こういうものが楽しい雰囲気、和やかな雰囲気をもたらしてくれるからです。

というわけで避けられる限り避けて来たバージニア・ウルフですが、先日ついに見てしまいました。めぐりあう時間たち、まるで中学生が最初の英語の時間に直訳したようなタイトルです。配給会社の人たちも名前をつけるのに苦労したのだと思います。原題の The Hours よりは日本語タイトルの方が内容を正しく伝えていると思います。

ジョン・フランケンハイマーがグランプリでやっていたフレームを使った画面を覚えていらっしゃいますか。めぐりあう時間たちでは画面は普通のままにしておいて、ストーリーは時間を3つ割りにしたような構造。見ているとちょっとまどろっこしいです。話はきっちり分かれているので観客が混同することはありませんが、落ち着いて1つの場面を見ようとすると、すぐ時代が何十年も前後してしまうのです。3人の主人公の同じ状況をフラッシュバックのようにしてぱっぱっと入れ替えるという監督の意図は明確ですが、視覚的にもうちょっとゆったりと場面変換をしてもらいたかったです。

内容は文章で語るとややこしく見えますが、映画館で見ると簡単に進行します。3つの異なった時代の3人の女性に焦点を当てています。

ダロウェイ夫人というこれまた私がまだ見ていない映画、読んでいない本をウルフが書き、ローラはちょうど小説のダロウェイ夫人を読み、ダロウェイ夫人というニックネームを貰っているクラリッサは小説の主人公と同じように自分で花を買いに行きます。私は横着なのでダロウェイ夫人もそのうちに映画で済ませてしまいたい。「いやあ、映画というのは便利なものです」と水野氏は言いませんでしたが。

バージニアは自分が狂うのではないかという恐れを抱き、田舎の生活に閉所恐怖症的な感覚を覚えながら、筆を進めています。非常に苦しんでいる様子。(書くという楽しい作業をなぜこうも苦しんでやるのか理解に苦しむのは私1人だろうか・・・と思います。出来上がった物が良いか悪いかは後の問題で、取りあえず自分が喜んで、あるいは楽しんで書いているという状況が大切だと思うのですけれど・・・。作者が嫌々、苦しみ苦しみ書く、それを読まされる読者の身にはなってくれないのかなあなどと思ってしまうのですが、こちらは。ま、プロの作家は「参加することに意義がある」などとのんきな事は言っていられないのかも知れませんね。しかしやはりプロの浅田次郎などを見ると、あれは読者の反応がどうのこうの言う前に絶対に自分が楽しんで書いていると思いますけれど。)

ローラには息子がおり、2人目の子供を妊娠中で、その日はちょうど夫の誕生日。ケーキを作ろうと考えていますが上手く行きません。ストーリーの中では夫は別に浮気をしているようでもなく、本来なら楽しい家庭。しかしローラは何かに深く悩んでいるかのようです。そこへ訪ねて来た女友達キティー。彼女も不妊らしいということで、華やかな容姿とは裏腹の問題を抱えていて、しまいには泣き出してしまいます。50年代はまだ人が裏も見せ合って生きる時代ではなかったのですが、ローラはキティーの本音の苦しみを知って思わず、自分の苦しみのように感じ、慰めるために彼女にキスをしてしまいます。息子のリッチーはそれをじっと見ています。夫の誕生日のために作ったケーキは不細工になってしまい、ごみ箱へ。ローラは昼間1人でベッドにいる時はダロウェイ夫人を読み続けています。嬉々として家事をやるようなタイプの女性ではありません。テレビはまだ普及する前なので、専業主婦は時間を持て余すことも。急に何かを決心した様子で、息子に「もう1度ケーキを作ろう」と言い、今度は成功。その後錠剤の入った瓶をいくつかバッグにしまって、外出。子供を近所の人に預けてホテルへ。睡眠薬自殺を考えている様子。この段階ではまだ理由がはっきりしません。息子は母親にただならぬものを感じ、「置いていかないでくれ」と叫びます。しかし結局置いてきぼり。

死にきれず帰宅するローラ。外見は元に戻ります。誕生日の夜、夫は息子にローラとの出会いの思い出を語って聞かせます(このシーンは子役のジャック・ロベロには退屈だろうというので、父親役のジョン・C・ライリーは撮影の時「ジャックと豆の木」の話を語ってきかせ、アテレコの時に本来の台詞をしゃべったのだそうです。気配り。)

ニューヨークでカッコ良く進歩的、現代的に暮らしているクラリッサは、レズビアン家族を持っています。パートナーは女性で、娘はどこかの男性の精子を貰って出産。もう大人になっています。彼女にはティーンの頃から知っている男友達リチャードがおり、彼は世界的な文学の賞を貰うほどになっています。2人は一時恋人だったこともあります。クラリッサは出版業についており、2人の間は今でも友情で結ばれています。リチャードはゲイで、エイズに感染しており、命は助かっていますが、毎日の生活は苦しそう。クラリッサがリチャードの受賞祝賀パーティーを準備している最中にリチャードの元恋人ルイスも現われます。ルイスはリチャードと別れた時「解放感を味わった」と言います。リチャードはインテリ作家で、良い人間のようですが、人をとことん縛る性格のようです。彼の書く本も長く難解で、読者にどのぐらいメッセージが伝わるのかは怪しいところ。

リチャードはしかし自分の状況を飾り抜きで自覚しています。今賞を貰えたのはエイズにかかっているからだ(だからといって彼の作品が劣っているわけではないのですが)と悟っています。クラリッサにはちゃんと恋人がいるのに、妻であるがごとくリチャードの世話を焼くのは自分には負担だとも感じています。 彼の世話をするという事でクラリッサが自己満足していることも見抜いています。パーティーはリチャードのためというよりクラリッサが満足するためのもの。リチャードは哀れみを受ける自分の現在に辟易しています。

英国ではバージニアが姉の訪問をきっかけにさらに自分の閉じこもった生活に不満を抱いています。ロンドンの生活が耐えられず静養を兼ねて田舎に来たはずだったのですが、現在のバージニアはまたロンドンを恋しがっています。医者、夫が配慮し過ぎるのも苦痛になっています。バージニアは過去に2度自殺未遂をやっているので、周囲がぴりぴりするのは仕方ないですが。

話はニューヨークに戻り、クラリッサはリチャードに着替えをさせ、パーティーに連れて来るためにリチャードのアパートを訪ねます。そこで暫く過去の事を話した後、リチャードはクラリッサの目の前で窓から身を投げて自殺してしまいます。人を縛る人リチャードはクラリッサに縛られているようにも感じていたのです。クラリッサがリチャードを縛ったのには、自然な寿命が来るまで彼をこの世にとどめておこうという意図も混ざっていたことでしょう。それがリチャードにはだんだん耐えがたくなっていました。頭の良過ぎる人は時々問題。

祝賀パーティーは当然ながら中止。家で片づけをしているところへリチャードの母親、ローラが訪ねて来ます。ローラは結局当時夫のダンを癌で失い、子供2人を捨ててカナダへ移住しています。映画の場面でムーアが妊娠中、その後生まれた娘は何かの原因でもう死亡しています。リチャードはですから、父親に死なれ、妹に死なれ、母親に捨てられたわけです。それで人にしがみつく性格になってしまったんですね。映画でははっきり出ていませんでしたが、ジュリアンヌ・ムーアのシーンを見ていて、もしかして彼女はレズビアンの傾向があったために普通の家庭になじめなかったのではないかと感じました。息子の葬式のためにやって来たクラリッサの家はゲイの息子の世話をしてくれ、自分はレズビアンの女性と暮らしているといった家庭。ローラにベッドを明け渡す娘のジュリアは全然こだわっていません。ムーアの前半の演技はあまりぱっとしませんが、老人になってこの家で見せる表情は疲れ切った世界で一瞬の安らぎを味わうという部分が良く出ています。「ムーアは上手い」と言われながら上手い演技をこれまで見たことがありませんでしたが、このシーンは良い出来です。

キッドマンにオスカーが行き、キャサリン・ゼタ・ジョーンズの引き立て役にメリル・ストリープ(この作品でなくアダプテーションでノミネート)、ジュリアンヌ・ムーアもノミネートされていますが、巷で言うほどの演技を見た気はしませんでした。同じくノミネートされたエド・ハリスも含め、皆オスカーに匹敵するような俳優ですが、この作品でないところで良さの出ている人たち。監督もリトル・ダンサーの方がオスカーに近い所にいたような気がします。女優は女性同士のキス・シーンに挑戦、あるいはエイズ患者にキスをして見せます。この映画が時代が変わったことを象徴しているのは分かります。このぐらいの格の俳優が演じるという事で、世の中の偏見を緩和する役に立つかも知れません。しかしあまり心のこもったキス・シーンとも思えず、何やら啓蒙運動のために一肌脱いだだけという感じもします。

映画全体を見て、やはり正規の料金を払って自分から好んで見に行くタイプの映画ではないと思いました。格安料金で今見てしまったのは良かったと思います。

参考のためにバージニア・ウルフの略歴を。父親の代から文芸、出版業界に関連している。夫も批評家。夫婦で出版者を経営。処女作1915年 The Voyage Out、代表作 Mrs. Dalloway。フェミニスト的視点の見られる作風。1941年入水自殺。家族に精神を病んでいる人がいたこともあり、遺伝しているかもと、本人はかなり心配をしながら暮らしていたらしい。

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