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2000 USA 90 Min. 劇映画
出演者
William H. Macy (Alex)
Thomas Curtis
(Alex - 7歳)
Greg Pitts
(Alex - 20歳)
Tracey Ullman
(Martha - アレックスの妻)
David Dorfman
(Sammy - アレックスの息子)
John Ritter
(Parks - 心理分析医)
Donald Sutherland
(Michael - アレックスの父親)
Barbara Bain
(Deidre - アレックスの母親)
Tina Lifford
(Dr. Leavitt - パークスの同僚)
Neve Campbell
(Sarah - パークスの同僚の患者)
見た時期:2003年11月
サンダンス映画祭に出品される作品には、質が高いのになぜ一般公開されなかったり、期間が短かったりするのだろうと呆気に取られるケースがあります。私がパニック 脳壊を知ったのは全くの偶然。どんな作品か全然知らず、出演者の組み合わせがおもしろいと思って DVD を借りたのですが、最初の2、3分でもう虜。
最初は画面の作りが非常にシックだという点で圧倒されます。配色、建物、風景、家具などが良く、1つ1つが写真にしてその辺に飾っておけるほどの美しさです。現代という設定ですが、ドイツのバウハウス時代(1919年からヒットラーの登場までの間に起きたデザイン革命、現代でも通用するモダンなデザインが多く出た)と言っても良く、デザインには徹底的に凝っています。そこに流れる音楽も非常に画面にマッチ。聞いているだけで静かな、落ち着いた気分になってしまいます。
静かな落ち着いた気分はエスカレートして、メランコリックなぐらい落ち込まなければ行けないのですが、大丈夫、落ち込みます。そして主人公登場。ウィリアム・H・マーシー演ずるところのアレックスが悲しそうな顔をして精神分析医の所へ行きます。
中年男が精神分析医に語る話と言えばスランプに陥ったというのが普通。アレックスもまあその部類に入ります。家庭を持ち、自分の仕事を持ち、親から引き継いだ仕事もまあ順調に行っているけれど、何か負担がかかっているのか、自分らしい生き方をしていないのかで、苦悩しています。分析医の方はその辺は慣れたもの。話を少しずつ引き出して行きます。尋常でないのは彼の商売。ヒットマンだというのです。
医者はそういう与太話は信じず、ま、そのうちに本当の事を言い出すだろう程度の受け取り方。初日あまり詳しく話したがらないアレックスに余り無理強いをしません。今回限りになるかも知れず、必要だと思えばまた来るだろうぐらいの考え。アレックスは事情を詳しく言うわけに行かないので、もうこれっきりにしようと決心しそうになった時に、ふと待合室にいたサラに惹かれている自分に気付きます。で、次の週もやって来ます。
家に帰ると彼の置かれている立場が分かって来ます。普通の奥さん、普通の子供、とここまではいいのですが、その後が行けません。近所に住む両親。超過干渉のきっちり屋。何事も規律正しく、きれい好きでいいかげんな事はしません。それは成人した息子だけでなく、まだ子供の孫に及びます。もうかなりの年なのにアレックスは両親に全く頭が上がりません。
過干渉がバッチリ分かるよう要領良くまとめてあり、これは脚本だけでなく2人の俳優の功績も大きいです。ドナルド・サザーランドの冷たいようなからかっているような目つき、バーバラ・ベインの正面から何も見逃さないぞときっちり見つめる視線。2人をこの役に置いたのはなかなかいいアイディアです。
ドナルド・サザーランドは私生活では人権擁護運動などに関心があり、行動にも移す人ですが、映画の世界では善人から悪人まで何でもやります。これまで見たことがない役といえば、間抜け役ぐらいでしょう。悪役はやらせるとどこまでもとどまりなく行けそうで、パニック 脳壊では一般市民の皮を着たヒットマンをぞっとするような笑みを浮かべて演じています。
バーバラ・ベインと言えばスパイ大作戦(TV)のシナモン・カーター。元ご主人だったマーチン・ランドーとは1957年から1993年まで一緒でした。一体なぜこんなに後になって離婚したんでしょうね。髪がブロンドから白くなっただけでテレビで大活躍していた時代とほとんど変わらない顔です。若い頃は美人とは思えなかったのですが、大学で社会学を修めた後、ファッション・モデルになっており、スパイ大作戦の表向きの役もモデルでした。その後英国の SF スペース1999にもレギュラーで出演しています。私はこちらは1度か2度見てつまらなかったのでパスしています。マーチン・ランドウは時々見るのに、ベインは最近あまり見ませんでしたが、彼女は2人の子供を育てていたようです。この作品に出演した時は70歳ぐらいですが、とてもそうは見えません。頭がしっかりしているというところを目でバッチリ演技しています。
目だけでこれだけを語れる2人を両親役にしたら息子もやはり目だけで全てを語り尽くせる人でないと行けません。そこでマーシーの登場。・・・とは言うもののこの作品、先にマーシーを決めてから他の人を探したのではないかと思います。それほど彼はどの画面でも絵になっています。大スターがメジャーの作品で思うような役を貰えないとか、出演作品が最近無いなどと嘆いている間に、マーシーはどんどん自分の出たい役を貰い、どんどん芸域を広げ、今では監督が彼のために作ったような作品も出て来ています。
さて、ストーリーの方ですが、マーシーはやはりコメディアン。深刻な顔を作りながらどこか変だなと思わせる役を演じています。それがまたインディペンデンスの味でもあるのですが、どこがおかしいか。演じている人全員大まじめでやっていますが、設定が変なのです。どこから見ても完璧な家庭。夫婦の倦怠期すらまともで、躾の厳しい親、欧米で良くある父親にがっちり押さえつけられた息子等など、家庭の問題すらまともなのです。分析医の所に通う姿も普通。チラッと若い女性に心が動くのも普通。ドドドと傾いてしまうのはその親子の商売。
表を取り繕うためにアレックスは小物の商品の販売をやっていますが、収入の多くは父親から斡旋されてくるヒットマンの方で得ているようです。父親が何をやっているかを母親もきっちり承知していて、息子が「止めたい」と言い出しても「そんなことはあり得ない」と思っています。母親は息子に「口外しない」と約束しても父親に息子の考えをしゃべってしまいます。それが当然と考えています。ここでふと思い出したのがパンチ・ドランク・ラブの気の毒なアダム・サンドラー。アレックスも彼と同じ状況に置かれているようです。自分以外の誰かがきっちり自分の生活を決めてしまう不自由さ。両方の作品共主人公は同じ境遇にいました。
パニック 脳壊のおかしさは、あまりにも普通の家族関係にあまりにも尋常でない商売が出て来るところにあるのです。良く見ると言葉の端々に異常さが隠れています。7歳のアレックスは父親を「サー」と呼び、態度は軍隊調。孫が紙くずを床に落とした時、母親を差し置いて祖母は恐ろしい剣幕で躾をします。父親の態度も時々ヒステリックになります。母親から息子が分析医の所へ通い始めたと知った父は次の仕事で、分析医を殺せと命じます。そして極めつきはまだ小学校に入るか入らないかの年の孫サミーにピストルの撃ち方を教えるところ。これで観客の精神のバランスはもろく崩れてしまいます。こんな家に育ったのでは、これまでに頭が変にならなかった方がおかしい・・・。
そこでかろうじてバランスを取っているのがミーハーのサラ。現代っ子で、スランプに陥っている中年をお見通し。しかし一途なアレックスに、結局愛人関係を承知します。初めて普通の世界に足を踏み込んだアレックスは戸惑いの連続。息子が他の世界に出て行こうとするのが許せない両親は息子に圧力をかけ、最後には孫に手を出します。ここでアレックスの忍耐も終わり。ここから一気にショーダウン。
映画監督としてはまだ経験の浅い監督がどうしてこんなすばらしい作品を撮れたのかと思いますが、ストーリーを語ることのできる人間は映画を急に作り始めてもまともな作品に仕上げるのか、と推測しています。監督1作目、2作目ですでに凄い作品を持ち込んで来る人が時々いますものね。
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