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ビッグ・フィッシュ /
Big Fish /
Big Fish - Der Zauber, der ein Leben zur Legende macht

Tim Burton

2003 125 Min. 劇映画

出演者

Albert Finney
(Ed Bloom - 老人)

Ewan McGregor
(Ed Bloom - 青年)

Perry Walston
(Ed Bloom - 少年)

Billy Crudup
(Will Bloom - エドワードの息子)

Grayson Stone
(Will Bloom - 少年)

Jessica Lange
(Sandra Bloom - エドワードの妻)

Alison Lohman
(Sandra Bloom - 少女)

R. Keith Harris
(エドワードの父親)

Karla Droege
(エドワードの母親)

Helena Bonham Carter
(Jenny、魔女)

Hailey Anne Nelson
(Jenny - 少女)

Robert Guillaume
(Bennett - 医師)

Karlos Walkes
(Bennett - 少年)

Marion Cotillard
(Josephine - ウィルの妻)

Matthew McGrory
(Karl - 大男)

Trevor Gagnon
(ウィルの息子)

David Denman
(Don Price - エドワードの幼友達、サンドラの婚約者、青年)

John Lowell
(Don Price - 少年)

Missi Pyle (Mildred)

Ada Tai
(Ping - シャム双生児)

Arlene Tai
(Jing - シャム双生児)

Steve Buscemi (
Norther Winslow - 村の詩人)

Danny DeVito
(Amos Calloway - サーカスの団長)

Charles McLawhorn (市長)

Daniel Wallace
(イーコンの教授)

見た時期:2004年3月

詳しいストーリーの説明あり

先日の Herr Lehmann に続きまたいい映画を見たなあと思いました。ダニエル・ウォレス原作の法螺吹き話をティム・バートンが心をこめて作り上げた名作です。バートンはこれまでブラックなイメージでしたが、ビッグ・フィッシュは明るい画面、楽しい音楽で攻めています。しかしバートンのトレードマークはバッチリ。動く木、フロリダ州の住宅街のようなシーン、お得意のウォレス&グロミット風の機械など、バートンを知っている人が大喜びする小道具やシーンもちりばめてあります。決して期待を裏切りません。

主演は力強い俳優と若手を上手に組み合わせ、素晴らしいアンサンブルを作っています。大物として名が挙がるのがシェークスピア俳優のアルバート・フィニー。この役にはジャック・ニコルソンが予定され、スティーブン・スピールバーグで企画という話もあったそうですが、ティム・バートン + アルバート・フィニー以外には考えられません。そのフィニーをサポートする人たちが素晴らしい。死を間近にした人の思い出が交錯するのでキャストはほとんどダブル・ブッキング。フィニー演じるエドワードの青年時代をユアン・マグレガー。2人は時代を超えた双子のように似ているなあと思ったら、このキャスティングはフィニーの青年時代の顔がマグレガーにそっくりだったために実現したとのことです。無論この役にジョニー・デップでは合いませんが、マグレガーはデップ・フィーリングを半分ぐらい受継いでいて、バートンの期待に応えています。それでいてデップの真似にはならず、ムーラン・ルージュを思わせる純情な青年を好演しています。その脇をジェシカ・ラング、ダニー・デ・ビートが固め、他にそれほど有名ではない若者が地道な演技で固めています。

ファンタジーなのでシャム双生児や大男、小人なども出て来ます。その中で驚くのが大男。本当に2メートル30センチほどあり、世界一大きな足を持っているためギネス・ブックに載っている人だそうです。バカの大足と日本ではすぐ思いますが、マシュー・マクゴリーはバカ役ではなく、ほろりとさせられる孤独で悲しい男を演じています。シャム双生児は本当の双子で、どうやらトリック撮影をしたようです。そのほかに千と千尋の神隠しの一シーンをライブでやったような太っちょが出て来たり、と童話、ファンタジーの世界が展開します。

お話はいくつかのブロックに分かれます。

まずは現実の話。エドワードは物語の上手なセールスマン。幸せな結婚をし、息子が1人おり、息子はすてきなフランス人と結婚します。職業はジャーナリストで彼も仕事、家庭で幸せな毎日。しかし父親とはあまり上手く行っていません。息子が受け入れられないのは父親の法螺話。周囲の人は「嘘でもいいんだ、おもしろおかしく語ってくれれば」という原則で彼の話を楽しみ、誰も文句を言いません。それどころか人気者。夫人もおおらかな目で見ています。しかしジャーナリストになった息子にはそういう話は許せないのです。長い間疎遠になっていましたが、父親の死期が迫ったという母親からの電話で、妊娠中の妻を連れて里帰り。

父親の法螺話はミュンヒハウゼン(実在の男爵、物語は1781年出版)といい勝負のスケールで、来る日も来る日もそういう話ばかり。例えば川で信じられないような大きな魚に出会います。子供の頃には近所の幼馴染が皆恐がる中、1人勇気を持って村の魔女に会いに行きます。そして彼女の義眼を通して自分や友達の死に際を見ます。幼馴染には1人ライバルがいます。

村に人に恐れられる大男が出現。エドワード青年は村の代表として大男の犠牲になるために洞穴へ出かけて行きます。「僕は村の代表だ、早く食べてくれ」と言うのですが、大男は実は強暴な男ではなく、ただしょっちゅうお腹が空くだけなのだと分かります。2人は気が合うことが分かり、一緒に旅に出ることになります。

道中分かれ道があり、エドワードは右、大男は左の道を行きます。その先で落ち合うことにします。エドワードは難しい道を選んでしまったらしく、毒蜘蛛に襲われた挙句、村落に到着。村人は皆親切で、歓迎してくれます。どういうわけか皆靴を履いていません。エドワードもジェニーという少女に靴を盗まれてしまいます。

村には詩人もおり「12年間かかって3行仕上げた、この作品はまだ未完だ」と言います。何もかもが完璧で、皆満足しているようなのですが、エドワードは「こりゃまずい」と思い始めます。満足すると先に進まないのです。エドワードを引き止めるために靴を返さないジェニー。諦めてエドワードは棘の道を覚悟。裸足で歩き始めます。行った先でまた大男と再開。よかった、よかった。

2人はサーカスに行き当たります。そこで大男は一生を決定する職業を発見。サーカスにとどまります。エドワードはサーカスに来ていた観客の中に一生を決定する女性を発見。彼女をお嫁さんに、と勝手に決めてしまいますが、どこの誰か分かりません。それを知っているのは団長1人。団長はエドワードをこき使うために条件を出します。無償で働けば1年に1個だけ彼女に関する個人情報をあげるというのです。彼女は水仙の花が好きだ、カレッジに行っているとまでは分かったのですが、それ以上具体的な事は教えてくれません。

団長は実は狼男で、夜な夜な狼になって暴れます。それをなだめたエドワードは団長の信頼を得、将来のお嫁さんの事を詳しく教えてもらいます。それでサーカス、大男と分かれて彼女が住む町へ。

無事彼女に会えました。サンドラという名で、よりによって幼馴染のライバル、ドン・プライスと婚約していました。大喧嘩の末ジェニーを勝ち取ったエドワードは大喜びで結婚。息子も生まれます。

息子はこの話を全く信じておらず、苦い顔。しかし母親から古い書類などを見せられ、考え方が徐々に変わり始めます。息子の悩みの1つは、父親が長い間家に居着かずどこかに女を作っていたのではないかという疑問。母親から見せられた書類を手がかりにある家を訪ねます。

いました。ジェニーです。となると父親の話の全てが嘘ではなかったわけですが、愛人を隠すためにいいかげんな話を作ったのか・・・と新しい疑問。しかしその話はジェニーの方から否定されます。ただ親切なだけだった・・・と。

皆が満足している村を後にしたエドワードは、大男とも別れ1人で旅をしていました。すると小さな町で村の詩人と再会。エドワードがきっかけになり、彼も世の中にはこの村以上の事がたくさんあるのだと悟り、村を後にしたのだそうです。それ以来こだわりを捨て、やりたい事をすぐ実行する人生を送っているとか。その今やりたい事というのは銀行強盗。早速実行。エドワードは共犯にされてしまいます。しかし狙ったはずの金庫は空っぽ。当時経済はめちゃくちゃ、土地の買占め、不正などで銀行は破産していたのです。その経済の構造をエドワードは詩人に分かり易く説明してやります。するとそれをちゃんと理解した詩人は「じゃ、ニューヨークへ行かなくちゃ」といかにも正しい結論に達し、即実行。ニューヨークで悪徳株ブローカーとして活躍。で大儲けをし、エドワードに大金を当時の授業料だと言って送って来ます。これがタダならない額。家を一軒買うことができました。ジェニーとの新居にぴったり。それ以来2人はそこに住んでいたのです。

セールスマンとしても成功していたエドワードはある日以前詩人たちの住んでいた村へ足を運びます。村は廃墟と化していました。地上げなどが行なわれ、普通の生活はできなくなり、家は買い取られ放置され、人っ子1人いませんでした。セールスマンとして口八丁手八丁のエドワードはニューヨークに詩人を訪ね、村に投資をする人を募ります。無事お金をかき集め、家を一軒一軒買戻し、住民を元に戻しました。村人たちに《家の持ち主は他の人だが住民には以前と同じ生活をしてもらいたい》というメルヘンのような条件を出します。あ、そう、これはメルヘンでした。

中に1人だけその意見に賛成しない人がいました。ジェニー。彼女だけ書類にサインしません。エドワードは無理強いはせず、いいお友達として彼女の家の修理だけを手伝います。大男を呼び寄せて傾いた家をまっすぐにし、工具を持ち出して壁や窓を修理。ピカピカの家に戻りました。しかし幸せな結婚をしているエドワードはジェニーにはそれ以上近づきませんでした。この話をジェニーから直接聞かされたウィルはだんだん父親の世界を理解し始めます。

いよいよ父親の死期がせまってきました。病院で夜通し付き添うウィルに父親は「この物語のエンディングを」と言います。今度は父親でなくウィルがファンタジーを続行。2人は病院を抜け出し、以前大きな魚を見た川へ直行。川辺には一生を通じて知り合った人たちが集まっています。皆にさようならを言ってエドワードは水の中へ。こうしてエドワードは死にます。しかし親類縁者は皆悲しんでおらず、満足して死んでいったエドワードに満足しています。

葬儀に大勢の人が来ました。何と、本当に大男、サーカスの団長、シャム双子でない、普通の双子の女性などが参列。ウィルは改めて父親の話はそれほどの法螺でなかったと悟ります。いくつかのポイントをおもしろおかしく語っただけで、かなりの部分が事実だったのです。

世間はバートンが父親と疎遠になっていた、子供が生まれたなどの事実と合わせてこれは彼の物語だと言いたいようです。実際は原作があり、作家も出演しています。映画の企画があった時にはバートンは自分が父親になることは知らなかったのだそうです。両親とは本当に疎遠で(最近死別)、映画の父親像にはある程度共通点があるのだそうです。

この作品がこれまでとやや違うのは明るいトーンだけではありません。リサ・マリーと別れる前、バートンはリサ・マリーをたいていの作品に登場させていました。その後をついでへレナ・ボーナム・カーターも出演していますが、どうも気合が弱い。リサ・マリーの時は妙な格好をさせても彼女がバートンの憧れの人だという雰囲気がありましたが、カーターはちょっと影が薄いです。

他のハリウッド映画が最近フランス人を悪く描いている中、バートンは心やさしいエドワードの嫁という役で使っています。これまではメルヘンという形で間接的にバートンの心の中を表現していましたが、ビッグ・フィッシュでは息子のウィルという形を借りて、直に父親との葛藤を描いています。ですからエドワードの物語はメルヘンですが、息子が出るシーンは現実的。メルヘン部分を演じるマグレガーは本当に上手に夢見る青年を演じています。

特筆すべき事がいくつもあるため、目立ちませんが、音楽もなかなかいいです。唯一心残りなのはユアン・マグレガーにムーラン・ルージュのように歌わせたいシーンがあるのに、彼が歌うシーンが無かったこと。純真な目でサンドラをあがめているシーンに歌も入れたらいいのにと思いました。

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