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Ronin

John Frankenheimer

1998 USA/UK 121 Min. 劇映画

出演者

Robert De Niro
(Sam - アメリカ人工作員、戦闘に長けている)

Jean Reno
(Vincent - フランス人工作員、武器調達係)

Natascha McElhone
(Deirdre - アイルランド人、依頼人とのルートを知っている)

Stellan Skarsgård
(Gregor - PC、技術の専門家)

Sean Bean
(Spence - イギリス系工作員)

Skipp Sudduth
(Larry - アメリカ人、運転の名手)

Michael Lonsdale
(Jean-Pierre - 獣医、かつて工作員だった)

Jan Triska
(Dapper Gent)

Jonathan Pryce
(Seamus O'Rourke - ディエドラのボス)

Katarina Witt
(Natacha Kirilova - アイス・ショーのスター)

Bernard Bloch
(Sergi)

Féodor Atkine
(Mikhi - ナターシャの恋人、黒幕)

Ron Jeremy (出演シーンがカットになった)

見た時期:2004年4月

要注意: ネタばれあり!

なぜああいうタイトルをつけたのだろう。

・・・と普通の日本人なら考えてしまいます。ドイツ語版では冒頭に浪人とは何ぞやという短い説明がある上、後半に引退した工作員が趣味で侍の(プラ)モデルを作っていて、彼の口から赤穂浪士の話が出ます。

しかし日本人として Ronin を見ると、何だか的をはずしたような印象を受けませんか。

大スター、中スター共演。

なかなかいけそうな人を何人か連れて来ています。あまり有名でない人でも駈け出しではなく、脇役としてもきっちり納まっています。下手な役者だなあ、と感じたのは主演女優だけ。目をぎょろ付かせているだけで、顔の表情も役に溶け込んでいません。しかし彼女が悪かったのか、演出が悪かったのかは彼女のほかの作品を何本か見てみないと判断できません。フランケンハイマーというのはあまり女性が引き立つ作品を得意にしていません。

唯一女性がきれいに撮れていたのはグランプリグランプリでは数人の女性を主人公数人に上手に絡ませ、カップルの抱える問題を欧州の景色と上手に組み合わせ、きれいに撮っていました。それ以外はあまり女性が引き立つ作品を見ていません。

フランケンハイマーは男性の描き方はわりと上手だったように記憶しています。ですからデ・ニーロとレノが主演と聞いて、期待していました。2人とも他で男性同士の友情を個性豊かに描いた作品に主演して何度か成功しています。レノは腰の低い人なので、デ・ニーロとシーンの取り合いになったりもしない人。とこ ろが空振りに終わっています。デ・ニーロヒートでは少なくとも Ronin より冴えた演技を見せていました。

カーチェースが冴えていると宣伝にあったけれど・・・。

日本でもそういう宣伝だったようですね。私は急に Ronin を見ることになり、下調べの余裕も無かったので、有名監督が作ったのだろう、ぐらいは知っていましたが、見た直後はフリードキンなのではと思っていました。フランスでカー・チェースのシーンが出て来ます。欧州は道が狭いのが普通なのでああいうシーンになるのは当然。アメリカのハイウェイの大事故シーン等に比べ欧 州では通行人が巻き込まれるのではという恐怖も付きまとうので、スリルはさらに増えます。その辺を狙って何度も市内で車が暴れまわるシーンを撮っていましたが、車世界のアメリカから来た監督、市民をバカにしているのかと腹が立つほど、市場や通行人を蹴散らしていました。

しかしそれより前に気になったのがカメラ・アングル。デ・ニーロやレノだけでなく、他の共犯者や敵が乗っている車はすべて普通の乗用車。フランス製やドイツ製の車です。多少犯行に役立つようにチューンアップしてあるとしても、運転席に座った時の視界はああいう風にはなりません。ミニミニ大作戦のモーリスかゴーカート、それどころか、フォーミュラ・ワンのアングルなのです。これに似た不満はバッドボーイズ 2 バッドでももらしました。

見終わってクレジットを見て納得。フリードキンでなく、フランケンハイマーだったのです。彼なら速い車を撮るのは経験済み。しかしいくら速い車が好きだと言っても、一般の乗用車を F1 のアングルで撮っては行けません。

パンフに書いてあること

友人から映画パンフレットを貰っていたので、見終わってから読んでみました。こういうパンフレットは観客に映画を楽しんでもらうために作られているので、内容をけなすことはできません。それでいい話がたくさん載っています。このパンフを見た人が「できればこの映画見てみたい」と思うようにできています。

カーチェースなども誉めてあり、俳優の演技も力が入っているといった趣旨の記事が載っていますが、それは上に申し上げたように、やや褒め過ぎ。

私がおもしろいと思ったのは武器に関する解説。戦闘マニアの人が書いた記事が載っているのですが、この話を鵜呑みにすると、使用する武器、使用の仕方にはかなり配慮が行き届いていたようなのです。本当にそれらしい武器を選び、それらしく使っているのだそうです。パンフを読んだのは見てからだったので、いちいち確認することはできません。ちょっと残念ですが、その人のリサーチは画面に生きていませんでした。ヒートにも街中で戦闘シーンがあるのですが、そのシーンでデ・ニーロの共犯の男が銃を撃つシーンなどは、こちらに銃の知識がゼロでも何となくプロフェッショナルな気合が伝わり、行動に無駄が無く、映画のシーンとしては生きていました。

Ronin ではデ・ニーロの銃を撃つシーン、車のそばに駆け寄るシーンなども思わずジャッキー・ブラウンを思い出させ、もたついているように見えてしまいました。デ・ニーロも気のせいかちょっと太り過ぎに見えました。

脇役は悪くなかった

主演の2人はやや無駄遣いに終わっている感がありましたが、脇はアンサンブルとしては良い人を集めてありました。006 のショーン・ビーン、未来世紀ブラジルのジョナサン・プライス、前にどこかで見たことがあるステラン・スカースゴールド、あまり知らないスキップ・サダス。それだけではなく、ロシア・マフィアなど如何わしい役の人たちも一癖も二癖もあるといった様子で、トウシロウでは無いぞという面。

本筋にはあまり関係がないサービスかと思いきや、ここに本当の浪人が隠れていた

演技は無しでご愛嬌の出演がカテリーナ・ヴィット。まさる医師がご存知だと思いますが、東ドイツのアイス・プリンセスと呼ばれていて、80年代にオ リンピック、各種の選手権大会で賞を取りまくっていました。現在も現役でアイス・ショーをやっています。その彼女がドイツ人でなくロシア人スケーターの役で登場。チラッとスケートの演技を見せた後、氷の上で殺されてしまいます。ああいうのは彼女のような経歴の人にはマジで恐怖だろうと思いますが、何でも果敢に取り組むので有名なヴィットは文句を言わず氷の上でスターの生涯を閉じます。

オリンピックなどに出ている頃の彼女は身内のアネット・ペッチ同様、技術と力で押す戦術。審査員は1ミリも狂いの無いシュプールに点をあげるため、何度も優勝しましたが、女性の美しさを示す種目なのに・・・と観客はやや欲求不満。ソビエトの氷上の舞姫の方が、一般には好かれていました。

アマチュア引退の少し前から彼女はやや演出にも気を使うようになり、アイス・ショーに入ってからは以前より女性らしさを強調した振付けが増えています。しかし天性のエレガンスは彼女には授からず、やはりどことなく力を強調した演技が多いです。Ronin はアイススケートの映画ではないので、そこまで配慮は届かず、彼女の良い面はあまり出ていませんでした。

なぜここでカタリーナ・ヴィットが登場したのかという点についておもしろい意見を聞きました。浪人というのはデ・ニーロやレノのことではなくてヴィットの ことではないかというのです。それについては私もやや賛成意見。彼女は東ドイツ人で、ご幼少の頃から青春もすべて東ドイツという国家に捧げた人だったのです。1984年と1988年に東ドイツの選手としてオリンピックに勝っており、当時の首相ホーネッカーに誉められ、東ドイツとしては破格の扱いに当たるご褒美、自分1人のアパートを貰っています。資本主義の国から見ると随分地味なご褒美だと思いますが、共産主義の国で個人がまだ職業についていないのに自分1人のアパートを貰えるというのは大変なことです。

スポーツ・キャリアの頂点を極めたと言ってもいい頃、壁が開き、その1年ほど後には彼女は自国を失ってしまったのです。小さい頃からの教育で東ドイツを自分の国だと考え、スポーツで国のために尽くすということしか頭に無く、アイススケートの才能が花開いた時も国の評判を高めることだけしか考えていなかった人なので、いきなり足元が崩れるような状況に遭遇したことになります。頑張れば国家元首に誉められるという単純な考えがこの人の場合事実になり、頑張ったから首相に誉められたという経歴の持ち主だったので、統一後のショックは並の人より大きかったことでしょう。

そういう愛国者の彼女でも秘密警察からはバッチリマークされていたようで、壁が開いてから閲覧を許された書類には恐ろしく気合の入った詳しさで書かれが記録が残っていたので本人は二重のショックを受けたそうです。私はヴィットという人はそれほど好きではないのですが、それでも感心するのはそういう状況にも関わらずショックの後また起き上がってくるところです。

彼女の場合浪人という言葉が変に合ってしまいます。赤穂浪士と違って恨みを晴らす特定の相手がいるわけではありませんが、殿様を失ったという点は浪人。名誉を重んじるという点でも彼女は資本主義の国から来た私とは考え方が違いこそすれ、何かしらの名誉、誇りを大切だと考えている人のようです。私には向こう側の岸で頑張っている人という印象。頑張り屋なので、ドイツの人は彼女の笑顔だけを知っていますが、私には時々悲劇の人に映ります。

ストーリーについて

この作品が作られた頃はまだ911事件も起きておらず、世界は冷戦が終わって1度喜んだ後、どうして良いか分からず戸惑っている時代です。これまで味方だと思っていた国々の間にややきしみが見えて始めた時期です。Ronin は そこを取り上げ、以前は CIA とか KGB などと国に帰ればそれなりに政府から評価を受ける役所に勤める工作員がご用済みになってポイというところから話が始まります。こういう人たちはさまざまな方面で高い技術を持ち、最新の知識を持ち、その上危険な任務についていたわけですが、任務の間は闇の世界の人間。偽名を使ったり、住居を変えたりと、市民としての落ち着きゼロの生活を送っていました。それでも冷戦当時は高い報酬などという餌があり、それなりに報われる仕事だったのでしょう。

冷戦が終わり、ご用済みになって捨てられる場合、こういう人たちの戸惑いは、普通の会社を首になって失業するのとかなり違います。お天道様をまともに見られない仕事も多かったでしょうから、職安に行って「最近まで人を殺していました」とか「闇で武器を調達していました」などいう話を職歴の欄に書くわけには行きません。CIA に直接所属していた人たちはそれでも何がしか転職の機会はあるのかも知れませんが、その下で働いていた下請けの人たちはどうなるのか。結局そこまで考える余裕も無く、お払い箱にしてしまったためこの映画の脚本ができたのでしょう。

監督はこのあたりを浪人という解釈に持って行きたかったようですが、日本の浪人と何かが根本的に違うという感じです。しかしこの作品が時代を先取りしていたと思えるような事件が最近は続いています。規模のエスカレートしたテロ事件がちょくちょく起きていますが、いつも驚かされるのは、犯人と思われる人物に関してほとんど警察はお手上げ状態なこと。最近でも、今話題のテロ・グループが犯人だろうと言われている事件がありますが、用心深いジャーナリストの報道ですと、犯人とされて拘束されている人の履歴と、典型的なテロ・グループに加わるタイプの人間と全然合っていないそうです。こういう風に名前を挙げて身柄拘束されている人のほかにさっと現われて行動を起こし、さっと消えてしまう人物がいるのではないかとかんぐってしまうのも仕方ないことでしょう。Ronin はそういう系統の人間の映画です。失業した工作員が Ronin という映画を見て、真似をしたのではなく、そういう現象があるからフランケンハイマーが映画化したと解釈するのが順当でしょう。

惜しい人を亡くした

フランケンハイマーは Ronin を撮った後、あまり大きな作品を残さず他界してしまいました。外科手術が成功しなかったのだそうです。60年代には伝説的と言ってもいいような作品を作っているので、残念です。

プロットが分からなかった

筋の持って行き方が悪かったのか、私がカバだったのか分かりませんが、バンバン撃ちまくって大騒ぎをした割に、最後「あれは何だったのだろう」という印象。ぽかーっと穴が空いた気分です。最初女性を中心に数人の男たちが集められて来ます。スパイ大作戦(TV)みたいなものですが、国家のためとか、自由を守るためなどという大義名分は無く、生きるため、食いつないで行くためというトーンの方が強いです。任務はあるトランクを奪うというだけ。中身は発表されませんが、大金がかかっています。各方面の専門家に前金を支払い、残りは任務終了時に払うということで話がつきます。これだけで話を強引に進めます。

集められた男たちの中には、あまり優秀でないのもいて、作戦実行前に首。人数が減ったので補充を頼んでもだめ。そのうちに内部にスパイがいるのではないかという話に進むのですが、スパイと言われても、以前のように東西とか南北がはっきり分かれていた時代と違うので、誰が誰のためにスパイをするのかという点も良く考えないとだめです。一応犯人グループというのがあるのですが、結末に向けての準備不足で、唐突な印象です。

スパイという名前を裏切り者と書き換えると、確かに1人そういうのがいるようです。で、この男にまんまとしてやられて、トランクは奪われてしまいます。私ならここでトランクを開けてみようと思うのですが、映画に出演している怪しげな男たちにはそういう考えは起こらないらしく、トランクの奪回作戦が練られます。結局デ・ニーロたちのグループ、トランクを掠め取った男、トランクを取られてしまった側などで三つ巴。ここが長過ぎ、カーチェースが長過ぎ、意味も無くアイスショーが登場。薄いプロットを欧州の景色、チェースなどで水増しです。

詳しく説明の無いシーンがあちらこちらにあり、それをこの種の職業の人間の原則とやらで誤魔化してしまうのも脚本の弱いところ。この種の人間が口にしない事、こだわらない事というのはありますが、映画を作るのでしたら、観客にはある程度説明があってもいいと思います。

ここはネタばれ!

デ・ニーロは実は浪人などではなく、現役の CIA で、仕事の依頼人シームス(ディエドラのボス)を炙り出すのが任務でした。トランクの中身は本当にどうでもいい物だったのか、携帯用核兵器のようなある程度闇の世界では価値のある物だったのかは語らずじまいです。しかしシームスを炙り出すのにどういう経緯でディエドラが6人の男を集めることになったのか等は不明。

その上結末は2つ用意されていて、ましな方が使われました。だめな方は、ディエドラが最後カフェの前まで来て、泣きながらデ・ニーロとレノの会話を見守り、結局デ・ニーロに会わずに車に戻るところで IRA に拉致されるというものです。彼女が現われないまま終わる方のシーンでも私は「彼女上手に隠れないと仲間から処刑されるよ」などと言っていたのですが、第2候補の結末にはその通りのシーンが出て来ます。あまりに明白でこちらにしなかったのは正解です。彼女とデ・ニーロが車の中でキスするシーンがあるのですが、これにインパクトが無く、2人の間に恋愛感情が起きたなどと言われても「うっそー」という白け方をします。この辺フランケンハイマーの苦手なシーンでしょう。

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