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The station agent /
Station Agent

Thomas McCarthy

2003 USA 88 Min. 劇映画

出演者

Peter Dinklage
(Finbar McBride - 鉄道模型店の従業員)

Paul Benjamin
(Henry Styles - 鉄道模型店の持ち主)

Bobby Cannavale
(Joe Oramas - ホットドッグ屋の息子)

Patricia Clarkson
(Olivia Harris - 画家)

Raven Goodwin
(Cleo - 近所に住む少女)

Michelle Williams
(Emily - 図書館の従業員)

Jayce Bartok
(Chris - エミリーのボーイ・フレンド)

John Slattery
(David - オリビアの夫)

見た時期:2004年6月

ストーリーの説明あり

高校の時、同級生でよく隣に座った男の子が鉄道クラブのメンバーで、色々な列車の写真を撮ったり、他の人と列車について意見を交換したりしていました。年1度の文化祭でも色々な写真の展示や模型を見せたりということをやっていました。この人たちの活動の1つがトレインスポッティングという風に呼ばれるのだと知ったのはずっと後の話。その頃私がアルバイトをしていた会社の近くに交通博物館があったので、外出の仕事と昼休みが組み合わさった時は、博物館で時間を潰していました。そこには大きな鉄道の模型が飾ってありました。そういうのが好きな人にこの映画はお薦めです。

インディペンデンスの映画が好きだという方々にもお薦め。大規模な特殊効果ゼロ、大きなドラマもゼロ、デイ・アフター・トゥモローの逆を行く地味作品です。人間をよく描いています。これといった期待をせずに見に行ったら、凄くいい映画だったという経験を今年に入ってから何度かしました。この日もまた意外な驚きでした。

The station agent の主人公フィンバーは身長が140センチということになっています。で、アメリカの社会では圧倒的に不利。身長を生かして就ける職業が芸能界やサーカスばかりというのは絶対に不公平。身長を生かさない方針にして普通に生きて行こうしてもからかわれ通しというのは、どう考えても不公平。差別を受けるのは、人種問題だけではないと最初の数分ではっきり分かる演出になっています。フィンは四六時中好奇の目で見られたり、からかわれたりする中、数少ない友達を大切にし、冒頭は鉄道模型店の友達を手伝っていました。相手が差別や悪気でなく、率直に事実を言っただけでも「あなたが見えなかった」としょっちゅう周囲の人に言われては楽しいものではありません。そのあたりが冒頭のごく短い時間に要領良く描写されています。

友人ヘンリーの店の仕事場で模型の電車を修理し、時たま鉄道愛好会の会合に出席して一緒に鉄道の映画を見るという毎日を送っていました。ところがある日ヘンリーが心臓麻痺を起こして昇天。弁護士からヘンリーの店は売却、フィンはヘンリーが所有していたニューファンドランド駅を相続と聞かされます。まだそれほどの年ではないのにフィンは引退です。しかし友達が自分に残してくれた駅を見に行きます。

ニューファンドランド駅はニュージャージーの田舎にありました。鉄道愛好会のために生きていたフィンですから、線路の横に家を持つことに不満はありません。これから電車の音を聞きながら静かな引退生活が始まるはずでした。

ところが到着したとたんに最初の困難。静かに暮らしたいフィンが目の前に現われたのですっかり喜んでしまった若者がいたのです。どうやらキューバ人らしいジョー。父親が病気なので代わりに父親のホットドッグ屋を引き受けていますが、人の行き来のかなり少ない場所らしく、陽気なジョーには物足りなくて仕方がありません。そこへ話相手が現われたとばかりに早速自己紹介。フィンははっきり付き合いを断るのですが、そんな事にはめげず、ジョーはしきりにアプローチをかけて来ます。ジョーはフィンが小人だということは気にならず、話相手ができたということに大喜び。

古い家にはまだ何も無かったので、フィンは町に食料、水などを買出しに行きます。車を持っていないので、町までは徒歩。道中画家のオリビアに危ういところで轢かれそうになります。慌てて車を飛び出し、フィンの様子を調べに来たオリビアは、フィンが小人だということより怪我が無いかが気になる様子。彼女が車に乗せてやるというのを賢明にも断わり、フィンはさらに徒歩で町へ。スーパーでは店のおばさんが珍しい小人が店に来たというので、即写真撮影。「あら、かわいいわね」と、撮影にあたって本人に断わりもしません。

買い物を終えて同じ道を家に戻る道中、フィンはまたしてもオリビアに轢かれそうになります。彼女はまた心配して、フィンを乗せてやると申し出ますが、フィンは賢明にも再び断わり、徒歩で家に戻ります。

フィンの噂は徐々に町で広がり始め、好奇心旺盛の人が現われます。フィンはそういう人に皮肉な視線を送りながら、ゴーイング・マイ・ウェイ。引退後の生活はトレイン・スポッティングに捧げるつもりだったのです。ところがオリビアが間もなく酒瓶を手に夜現われます。お詫びを言うという口実でしたが、何だか変な雰囲気になって来ます。結局酔いつぶれて朝帰り。彼女の帰る姿を朝仕事にやって来て見かけたホットドッグ屋のジョーは「おぬし、隅に置けない」と完全に誤解。

ジョーがうるさいので、フィンは徒歩で別な場所に出かけ、河辺リのベンチに座ってトレイン・スポッティング。その彼を見かけたオリビアが話しかけて来たりするので、ドイツ人がよく望む貴重な「静けさ」は得られません。ドイツ人はよく他人を静かに一人にしておくという形で相手を尊重しますが、アメリカに住んでいるのはドイツ系の人ばかりではないので、フィンの望み通りには行きません。

フィンは図書館から本を借りたくなって、出かけて行きますが、まだ住民登録がきっちりできていないので、貸し出しカードを作ることができません。応対に出たかわいい女の子はフィンを最初に見た時はショックで、卒倒しそうになってしまいます。そこへまた援助癖のあるオリビアが現われて援助。フィンはある程度の不便さを受け入れる方が1人でいられていいと思っていたので、この親切もちょっとうるさい。

そんな、こんなでフィン、ジョー、オリビアのトリオは徐々に知り合いになって行き、フィンの趣味にも理解を示し始めます。それ以外の人が心無いと言えるような反応を示すのと対照的で、フィンはこの2人を徐々に受け入れ始めます。もう1人近所に住む少女がフィンに挨拶をし、学校に来て鉄道の話をしてくれと頼みます。フィンは引退してまでも自分の方から人目にさらされるような事はしたくなかったようで、断わります。

ところがある日、3人でオリビアの家に仲良く泊まっていたら、オリビアの亭主が入って来ます。夫婦は別居中で、オリビアは子供を亡くしたショックから立ち直っていませんでした。彼女はフィンとジョーと3人で一緒に座って食事をしたり、フィルムを見たりという生活で悲しみを癒そうとしていたところだったのです。夫は明け方訪ねて行ったら、泊まっている男が2人もいたというので、一悶着。彼女が全然電話に出ないことにも腹を立てています。

これを機に3人の関係はつぶれてしまいます。せっかく人に心を開き始めたフィンなのに、と観客もフィンと同じぐらいがっかり。ジョーも父親と3人で飲みに行こうという話を持って来たのに、いざ行ってみると2人は店に現われず、フィンはここでも裏切られたような気持ち。

人生はうまく行く時と行かない時があるようです。結局べろんべろんに酔っ払って千鳥足で帰路につきますが、線路に倒れてしまいます。そこへ列車が・・・。好きな列車に轢かれて死ぬのなら本望と思ったのかどうかは分かりませんが、フィンは自分を守ろうとしません。皮肉なことにフィンは列車に轢かれるには小柄過ぎて助かってしまいます。愛用の懐中時計が犠牲になってくれました。このシーンがうれしいような悲しいような微妙なところ。ほろ苦い気分になります。

しかし気を取り直して、彼は2回戦に打って出ます。オリビアを訪ね、追い返されてもまた訪ね、家の前に陣取り・・・。ある日彼女の様子がおかしいのに気づき、自殺未遂を発見。ジョーの電話番号があったので応援を頼み、一命を取り留めます。ああ、良かった。普段はハッピーエンド・ファンではないのですが、この作品では本当に助かって良かったと思いました。

学校で講演してくれと言った少女の望みにも応え、出掛けて行きます。こうしてフィンはようやく人に理解され、人を理解し、新しい人生を始めます。

上にも書いたように、何の期待もせず見たのですが、結果としていろんな人に勧めたい作品です。見たのがあの恐怖の燻製工場の映画館。それもあって、悪い予感こそすれ、良い期待はしていなかったのです。しかし悪い予想は全部外れました。

悪い予想と言えば、もう1つ。主演の1人があのパトリシア・クラークソンだったのです。これまでに2本見ていますが、どちらもぱっとせず、どうしてオスカーゴールデン・グローブにノミネートされたのかと不思議に思っていた人です。ところが、The station agent を見て「これじゃ、ノミネートされても仕方ない」と思ったのです。彼女の役は今回もドジな女性。2度もフィンを車で轢きそうになってしまいます。で、その後もそういうセンで行くのかと思ったら、これまでとちょっと路線が違い、苦しんでいる女性。それも大げさな演技ではなく、じわりじわりと内側から来る表現。なるほど、インディペンデズトのベテランと言われるだけあるなあ、とやや私の意見も軌道修正。

フィンという役だけでなく、小人と言われる人たちは、演じているディンクレージも、オースティン・パワーズの準主演のミニ・ミー氏にしても、周囲の先入観としょっちゅう戦わなければならないでしょう。私には同じクラスに友達がいたので、その辺の事情はちょっとだけ知る機会がありました。とにかくまず最初に起こるのが、本人のキャラクターや希望を無視して他人がその人に関して勝手に意見を作ってしまうこと。差別、無視も困りますが、過剰な援助という問題もあり、その人が「普通の生活」を送るのが不可能な状態になってしまいます。健康上トラブルを抱えている人もいますが、私の知り合いのように他の人と違うのは洋服のサイズだけというケースも多いということを考えない人がほとんど。欧州には小人に関する童話、民話などもあるので、イメージがべったり貼りついて、簡単には取れないでしょう。フル・モンティーに出て来たような瀬戸物の小人の人形がドイツには至る所で見られます。アメリカも欧州の文化を受継いでいる層が大きいですから、童話のイメージになってしまったりするでしょう。演じているディンクレージは全く大人のフィンという男性という役柄をきっちり解釈しています。見せる表情も木目が細かいです。

町の人のフィンに対する付き合い方にはいくつかあります。映画と周囲をちょっと比べてみましょう。

1番目のタイプはぱっと本音を言ってしまう江戸っ子やベルリン人に多いです。特に思いやりも見せず、「君は小さいんだな」ぐらいの言葉は出るかも知れませんが、「ああ、そうだよ、それがどうした」でけり。あとは普通の人間関係。

2番目のタイプは90年代以降状況が悪化しているベルリンでもわりと少ない方で、ベルリンという町のオープンさを感じます。何か人と違う点があっても、ドイツの他の町と比べてわりと大らかに相手を受け入れます。

3番目の体験は私でも頻繁にしま す。身体的な特徴でも、外国人でも、変人でも、他の人と何かが違えば何でもいいのです。私が遠い国から来た外国人だということで呼び出して輪の中心に据えようとする人が頻繁に出没し、長い間なぜそうなるのかわけが分からなかったのですが、The station agent が答の一部を教えてくれたように思います。私はこの人たちにとってはエキゾティックとかフリークと呼ばれる存在なのでしょう。

周囲の圧力から言うと3番目が1番強いです。あからさまな差別ですと差別される側もそういう人たちに精神的に距離を置くことが容易です。一応親切な知人という顔をされてしまうと、その後の付き合い方が複雑です。フィンはその辺を承知していて、むっとした顔で応対します。で、私もこれからはむっとした顔を練習しようかと考えているところです。しかし、フィンの周囲を見ていると、1番目のタイプの友達以外はフィンの考えている事はきれいに無視。これではいくらむっとした顔の練習しても無駄か・・・。私のクラスメートもごく一部の友達と一緒にいる時しか笑顔を見せませんでした。実は落語家顔負けのユーモアのある人だったのですが・・・。

映画では命を救ってもらったオリビアがまた元気になり、3人は友情を取り戻し、フィンはどうやら安住の地を見つけたのだろうという風になって終わり ます。監督は最初は小人を主演にするつもりはなく、よそから来た、1人で居たがる人に対する町の反応を描くつもりだったのだそうです。たまたま監督と一緒に いたディンクレージの様子を見て、主演に抜擢。田舎でもなく、たかが一東洋人、町には東洋人がたくさんいるという私のような境遇でも、次から次から人が やって来て・・・という事を体験しているので、私はこの作品を見てちょっと自分が理解してもらえたような気分。日本で公開されたら是非勧めたいですが、どうやら地味過ぎ て公開はされない様子です。

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