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ふたつの過去を持つ男 /
Consequence

Anthony Hickox

2003 D 97 Min. 劇映画

出演者

Armand Assante
(Max Tyler - 歯科医、Sam Tyler - マックスの兄、NGOのボランティア、CIA)

Nadia Kretschmer
(Kye Tyler - マックスの妻)

Lola Glaudini
(Eva Cruz - 銀行員、マックスの愛人)

Rick Schroder
(John Wolfe - サムの昔の相棒)

Danny Keogh (Pope)

Grant Swanby
(死体置き場の医者)

Andre Roothman
(Crawley - CIA)

Shannyn Fourie
(クローリーの妻)

見た時期:2005年12月

要注意: ネタばれあり!

真犯人はばらしませんが、推理小説を読みなれた人には分かってしまいます。見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

日本語のタイトルは直接的な事情から出た案でしょう。英語のタイトルは意訳すると《身から出た錆び》といった感じです。直訳すると《事件や自分の行動から出る結果》といった意味で、それも当を得た案です。

ドイツ人がほとんど顔を出さないドイツ映画というのがあるんですねえ。重要な政治家が大きな賞のパーティーに呼ばれるほど関わってハリウッドに投資している国ではありますが、私はティル・シュヴァイガーやフランカ・ポテンテが脇役や主演で出演するとか、エマリッヒが監督するという形でお金が使われているものと思っていました。作曲家の中にも進出している人がいます。しかしふたつの過去を持つ男 を見て、ドイツがどういう風に関わっているのかを見つけ出すのは難しかったです。お金を出しているということなんでしょうが。監督は英国人、出演者の主だった人たちは米国人です。

筋はちょっと変わっていておもしろかったです。大金をせしめる男がいるのですが、その彼がせしめるはずだった金額よりはるかに大きな金が動きます。問題を抱えていたためそれから逃れるためにいんちきして兄に化けるはずの弟は、自分よりはるかに大きな問題に関わっている兄に化けてしまったので、トラブルに巻き込まれます。巻き込まれ型のスリラーの一種ですが、元になるトラブルだけで十分映画や小説になるはずが、さらに大きなトラブルにハイジャックされてしまい、関係者が翻弄されるという筋です。

描き方はフィルム・ノワール系と言うか、ハードボイルド風という趣ですが、画面は特に暗くしてありません。出演者で知っているのはどこかで名前を聞いたことがあった Danny Keogh 1人。その彼もどこで名前を聞いたのか考え込んでいるところです。有名人を使わなかったことが幸いしたのか災いしたのかは良く分かりません。ドイツがお金を出したからというわけではないでしょうが、湿った花火のような仕上がり。かえすがえすも惜しいと思いました。主演の男はこれまで注目したことがなかった人ではありますが、役目は十分果たしています。日本版リメイクをするのだったら古田新太にやらせてもいいかも知れません。(普通ならここで《(笑)》を入れるところですが、笑っては行けません、古田だったらしかめ面しながらちゃんとやれそうです。)

この筋のままでもどこかをもう少し工夫すればボーン・アイデンティティーバウンド蜘蛛女(何というタイトル!)などと競争できるような意外性を持ったプロットです。けだるい、人生に疲れたような雰囲気もうまく出かかっているのです。

どこが悪いと聞かれても返事に窮します。低予算の作品ではありますが、金額が出来とあまり関係無いのは周知の事実。手の込んだ特殊効果が必要な作品ではなく、もっぱらストーリーの力強さで見せられる作品です。アホな与太話でも集まったスタッフ、キャストの息が合うと、トンでもなくおもしろい作品も作れるわけですが、ふたつの過去を持つ男の出演者は別にばらばらというわけでもないのです。あと1つ何かが足りないのですが、それは何だったんだろう。

ドイツ人がドイツで作る作品とは全く趣が違い、こういう映画をドイツで作ることはできないなあと感じます。作る気もないのかも知れません。普段のドイツ人の関心の中心になるような筋ではありませんし、こういう雰囲気の作品を目指してもいないからです。ストーリーの規模が大き過ぎるからかも知れません。

ストーリーはトラブルに巻き込まれ、人生をフイにしたスター外科医マックスのその後というところから始まります。名医と言われ、美人の妻もおり、キャリアを上り詰めていた外科医が有名モデルの手術に失敗して顔を傷つけ、名声も財産も失います。目立たない小さな町で検死の歯科医として暮らしを立てていましたが、夫人は有名人の奥さんになることにしか関心が無かったので夫婦仲は最悪。「貧乏人と結婚したわけじゃないわよ」とのたまう妻。歯科医は人生に区切りをつけようと職業を悪用して歯の記録を取り換え、南米で飛行機事故を起こし、保険金詐欺を目論見ます。目的の金額は300万ドル。銀行に勤めている愛人が手助けします。

偽装事故の直後整形手術をやってくれる医師の所へ出向き、事故で死亡かと言われている兄サムになりすまします。顔を兄に似せ、指紋も作り変えます。あとは愛人と打ち合わせた通り金を持ってトンズラのはずだったのが、お金は予定の口座に振り込まれていません。

裏切られたかと思い町に戻ると、大喧嘩をしているはずの妻と愛人がレズビアンの関係にあったことが分かって唖然。「騙される方が悪いのよ」とばかりに居直られますが、話し合いの末、3人でトンズラするかという話になりかけます。

ところが本人が気付かないうちに兄に成りすました弟は妙な男たちにつけられていました。観客は保険金詐欺がばれているのか、保険会社の調査員かと思いたくなりますが、そうではないということがじきに分かります。妙に手口を心得た男たちに誘拐され、兄として拷問を受けます。女たちも安全ではありません。ようやく拷問をしていた男を倒して逃亡。最初は3人の逃避行でしたが、間もなく妻はやられてしまいます。

兄は開発途上国のボランティアに携わっていた人物で、弟からも周囲の人からも尊敬され好かれていました。弟は偽装事故を起こした国の米国大使館を上手く誤魔化して兄名義でパスポートを発行させるまでに至ったのですが、そこですでに妙な人たちが動き始めていました。弟は結局全てから逃げ出すか兄の問題と対決するかを迫られます。

謎の一部は以前兄と一緒に仕事をしていたヴォルフという男の登場で解けます。兄は CIA の1人で、CIA の一部の人たちと一緒に麻薬の取引をやっていたと言うのです。ボランティアはカムフラージュで、子供たちを使って仕事をしていたと言われ、弟はこれまで考えていた兄の全く別な顔に突き当たります。ヴォルフは兄が隠した2億(米ドル)という途方もない大金の分け前を欲しがって、弟だとは知らずにマックスに近づいて来たのです。他の男たちもマックスを兄のサムだと信じて近づいていました。組織的に追って来るのは CIA。

死人まで出ているのでマックスは問題と取り組むことに決め、愛人に金を持たせてメキシコ国境で別れます。ヴォルフは揉め事の末マックスたちが殺してしまいます。CIA は上司の命令で部下がマックスたちを追っています。しかしショーダウンが近づき、CIA すら片付けられてしまいます。となると残るのは・・・分かりますよね、推理小説を読み慣れていると。

案の定出るべくして出て来る真犯人ですが、そこまでに舞台が変わったり、仲間割れ、不信感、プロの追跡など中程度の山場をいくつも作ってあります。ドイツに住んでいる者として見ると1番愉快なのは VW 競争のシーン。VW というのは《ファウ・ヴェー》と読み、フォルクスワーゲンの略です。VW というのは普通ぱっとしない車ということになっているのですが、チューンアップでもしてあるのか、この作品ではがんばります。ミニミニ大作戦のモーリスのようなものです。大体あの車ではランクが上の車を巻くようなスピードは出ないし、クッションが悪いので階段を駆け上がったらお尻が痛くてかないません。それに階段を駆け上がるほどのスタミナがあるかも怪しいのです。その上ドイツではもう生産されておらず、あのタイプの車を見たかったら外国に行くしかありません。そんな事を考えながら見ているとじわじわ笑いがこみ上げてくるシーンです。

何かを始めたものの想像の範囲を越えてエスカレートして手に負えなくなるという話は映画にもよくありますが、300万ドルという大金の詐欺を目論んだらもっと大きな犯罪に巻き込まれてしまったという点がこの作品ではユニークです。300万ドルの保険金詐欺ならもう十分大きな犯罪。その犯人のマックスが気の毒になってしまうような桁の違う犯罪に兄が関わっていた、知らなかった!というところが目玉で、欲の皮の突っ張った2人の女すら気の毒になってしまう展開です。上には上が、いえ、下には下があるという地獄の深さを知らせる作品。最初と最後に夢をすっかり壊されたマックスの姿があります。自分は悪い事をしても、どこかでボランティアをする兄を自分の心の中の灯りにしていたはずのマックス。しかしその灯りは消されてしまいます。自分は立派な人間ではない、しかし兄だけは・・・と思っていた彼の失望と絶望が1人海岸に座るという形で描かれます。この辺りはゲーリー・オールドマンの蜘蛛女のラスト・シーンの方が強い印象を残します。バウンドボーン・アイデンティティー蜘蛛女などを引き合いに出しましたが、パクリだと言って責めるほどひどい出来ではなく、そういう要素を上手に組み合わせています。あと一息、か二息力を入れた方が良かったと思いますが、何に力を入れたら良いんだろうと、今もって考え込んでいます。下には下がある、翻弄されるというところをコミカルにしてしまった方が良かったのか、あるいは小悪人と大悪人の区切りをもう少しはっきり見せた方が良かったのかなどと考えているところです。

大美人、大美男を使っていませんが、それが却ってリアリティーを出しています。ですからそれを責めるわけには行きません。カーチェイスの迫力が無いとも言えますが、元々アクション映画を目指していませんから、そこに責任をなすりつけるのは的外れ。誰か、いい考えが浮かんだら教えて下さい。

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