映画のページ

人生は、奇跡の詩 /
La Tigre e la neve /
Der Tiger und der Schnee

Roberto Benigni

2005 I 114 Min. 劇映画

出演者

Roberto Benigni
(Attilio de Giovanni - 文学の教師、詩人)

Emilia Fox
(Nancy Browning - アッティリオの学校の同僚)

Jean Reno
(Fuad - イラクの詩人)

Nicoletta Braschi
(Vittoria - フアドの作品を出版すべく奔走する女性)

Chiara Pirri (Emilia)

Anna Pirri (Rosa)

Tom Waits (本人役)

見た時期:2006年3月

ロベルト・ベンニーニは健康な精神の一線を僅かに越えた、危ない橋を渡る事で観客の関心を引く人です。オスカーをたくさん取ったライフ・イズ・ビューティフルはその少し前にドイツで地味に公開された Le train de vie とそっくりの内容なのですが、Le train de vie では主人公は精神を病んでいます。専門家ではないので病名は分かりませんが、戦争のためか、孤独のためか、あるいは両方で、現実が見えない青年となっています。映画の最後に彼の目には見えていなかった、あるいは彼が必死で自分の人生から締め出そうとしていた現実が示され、観客は悲しい気持ちになって家に帰ります。戦争はこういう物だと庶民の立場から描いています。

これに対しライフ・イズ・ビューティフルでは、最初から最後までベンニーニが騒がしくはしゃぎまわり、幼い息子に戦争という現実を知らせまいと奔走します。そして子供を守りながら自分が犠牲になる道を選びます。ベンニーニは一方で子供に戦争を悟らせまいとする厳しい現実を知った父親であり、他方自分も戦争という現実から逃げたい男でもあり、現実と夢の間、健康な精神とヒステリックなまでに《悪い事が起きていない世界》を演出しようとする男の間でぎりぎりの線を綱渡りして見せます。おっとっと、どちらへ転ぶか分からない・・・という所で観客を自分に最大限引きつけるのです。最後は子供の幸せを祈りながら死んで行きます。そこにこのエキセントリックな行動をする父親の愛情が集結され、観客は涙、涙、涙という仕掛けです。こういう作品を作れる監督と作れない監督がいるでしょうが、彼はこれで見事に多重オスカーに輝きました。

ピーター・セラーズのように世の中に強気で出て行って、周囲の事が頭に入って来ない、極端な思い込みをするタイプの精神を演じるのではなく、ベンニーニは現実を見る力がありながら、その現実を意識して見ないようにする男を演じるのが上手いようです。

コメディアンというのははたで見ているよりずっと複雑な職業らしく、馬鹿を演じていながら役者自身が馬鹿だという例は稀なようです。そのため時として観客に役者の冷たい洞察力が伝わってしまい、観客が心から笑えないコメディアンもいます。それで私も本職のコメディアンより、コメディーを演じる普通の俳優の方に親しみを持ちます。

ベンニーニの役作りの方法は結構神経の太いドイツ人の神経も逆撫でする事があるらしく、婉曲に距離を置いた感想を聞く事があります。多数派は絶賛しています。

★ ストーリー

La Tigre e la neve (「虎と雪」という意味のようです)はライフ・イズ・ビューティフルと寸分たがわぬ作り方で、幼い息子の代わりに憧れの女性ビットリアを助けようと奔走する男アッティリオを演じています。やはり戦争がらみです。ローマにいた頃あこがれていたビットリアが仕事でバグダッドに行った時、ちょうどイラク戦争に巻き込まれ、重傷を負い、昏睡状態になります。ローマにいた時アッティリオはストーカーまがいの追い掛けをやったのですが、彼女の関心を引くに至りませんでした。彼女は仕事に夢中で、イラク人の詩人フアドの本を出版すべく奔走していたのです。

フアドは長年パリで亡命生活を送っていましたが、国に戻る決心をし、戻ったところへビットリアが仕事でついて来たのです。アッティリオも詩人兼文学の教師で3人は顔見知り。ビットリアが昏睡状態になったとフアドからアッティリオに連絡が入ります。彼のストーカーぶりは戦争があろうが地雷があろうがお構い無し。無茶苦茶な方法ではありますが、バグダッドに入るのに成功します。

病院を見舞った時これが現実のイラク戦争だと悟っていないアッティリオは、フランス革命直後のマリー・アントワネットのような発言を繰り返します。これがあまりにも現実を無視しているので観客の神経は逆撫で。ドイツは国軍侵攻を選挙で阻止したので、当時の「ぎりぎりで戦争を食い止められたかも知れない」事情は国民一般に知れ渡っています。当時の首相は参戦していたら落選したでしょう。国民は理由の無い戦争を嫌っていただけでなく、環境保護という面からも大反対していたのです。一般イラク人の立場に立っての反対、環境の面から、大義名分からとそれぞれ違う理由ではありましたが、反対という点では国中が一致していました。

私も大きな炎症を手術無しで直してくれたイラク人の外科医が近所にいたので、ごく身近で単純な理由から侵攻に反対していました。医療物資が不足しているため知恵が働き、単純な方法で時間をかけて治す能力があったのではないかと思わせてくれる先生でした。この人はその後診療所をたたみ移転先が分からなくなり、その少し後に戦争になっています。ベンニーニの作品を見ていて、こういう時こそこういう医者が必要だと思いました。

映画の中で空路正式にバグダッドへ入る道を断たれたアッティリオが取った方法は、ペテン。陸路バグダッドへ医療物資を運ぶコンボイに外科医だと偽って加わり、近くまでたどり着きます。しかしそこから先は道路が封鎖されていて、コンボイには途中の別な町へ引き返せと命令が下ります。そこでアッティリオはコンボイを離れ、その辺に放り出してあったバスで先に進みます。

使える方法は全部駆使してようやく町に近づき、フアドに迎えに来てもらいます。彼の案内で病院へかけつけ昏睡状態のビットリアに再会。彼は医師に状況と必要な物を聞きます。最初は夢のような事を言い続けるのですが、物資がほとんど無いという事情を彼もようやく理解。で、思いついたのは、コンボイを訪ね医薬品を分けてもらうことです。強引にオートバイ、らくだを乗り継いでこれも成功。奇跡的に彼女は目を開きます。

しかしちょうどその頃国の現状に絶望したフアドは首吊り自殺してしまいます。ひ弱で繊細な詩人が現実に失望して自殺という解釈ができそうですが、そのような簡単な説明では気の毒です。実際に欧州などで長く亡命生活を送った後国に戻った人は、祖国の現実を見て絶望すると思います。欧州にいるとテレビやラジオ、インターネットで次々情報は入って来ます。また亡命の受入国からは客人として手厚くもてなされます。講演会などをすると援助団体がアレンジしてくれて人が集まります。ジャーナリストも協力してくれるでしょう。しかし故郷がどういう事になっているかを考えると心は休まりません。家に帰ると戒厳令が敷かれていたり、銃撃戦、食料の支給停止、闇市でないと物が手に入らない現状、やるべき事がたくさんありながら手を出せる状態ではありません。もし反体制詩人だったら自分の身の安全も保障されていません。フアドがどの立場でなぜ自殺をしたかは深く追求していません。演じているジョン・レノーもいつもほどテンションが上がっていません。

ジョン・レノーがなぜアラビア人を演じるのかと不思議に思う方もおられるかと思いますが、フランスにはアラビア系の人が多いですし、アラビア出身のフランス人も少なくありません。本当の彼は(国籍は恐らくフランスでしょうが)一応スペイン人。フランス人も多いモロッコに住んでいました。ベソンの映画ではイタリア人のエンツォを演じていましたし、彼が本当にアラビア語を話すとしても私は驚きません。元々外国語には強いらしく、日本語も分かると聞いたこともあります。国際的な俳優というのは海外で活躍する俳優という意味でなく、色々な国の人を演じる俳優という意味なのかと思い始めているところです。

ストーリーが分からなくなるのはここから先。ライフ・イズ・ビューティフルではベンニーニが現実を正確に把握しつつ子供に嘘をついていましたが、アッティリオとしてのベンニーニはこの先を分かり難くします。

アッティリオには2人のティーエージャーの娘がいるのですが、その母親がビットリアかも知れないのです。映画の冒頭に妙な結婚式のシーンが出ます。花嫁ビットリアは美しく着飾り、司祭も待っているのですが、そこへアッティリオはステテコ姿で出て来るのです。そして花嫁の目は氷のように冷たいのです。さらに式の最中に警官が「違法駐車しているから早く車をどけろ」と言って来ます。式は中断。

ビットリアの元気な姿も出ます。もしかして誰もバグダッドなどには行っていないのかも知れません。そうなるとフアドも死んでいないかも知れません。そうなるとベンニーニが観客に語っているのは大嘘。100歩譲って彼の想像の世界。だとするとこれは倦怠気に入ってイギリス女性と浮気をしてしまった中年男が良心が咎めて見た夢との解釈もできます。

映画が終わりに近づくにつれてどんどん分かり難くなって行きます。 上映中喋り続けるベンニーニに神経を逆撫でされた上、映画館を出る時には「話がすっきりしない」と欲求不満になりながら帰宅する羽目になります。

ドイツの映画評には「ジャン・レノーが出演した価値があった。彼は寡黙でそのシーンだけ静かだった」と書いてありました。レノーのシーンで一息入れるような趣向だったのでしょうか。どこまで本気か分からないのがベンニーニの芸だとすれば、確かに彼の本領が出ています。ピノッキオを撮ったのも頷けます。

参考記事: コメディーに向くかシリーズ

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