映画のページ

Out of the Blue

Robert Sarkies

2006 Neuseeland 100 Min. 再現映画

出演者

Matthew Sunderland
(David Gray - アラモアナ村の住民、武器のコレクター、失業者)

Simon Ferry
(Garry Holden - グレーの隣人、いざこざのきっかけの口論の相手)

Georgia Fabish
(Chiquita Holden - ゲリーの娘)

Danaka Wheeler
(Jasmine Holden - ゲリーの娘)

Brenda Kendall
(ゲリー・ホールデンの母親)

Tandi Wright
(Julie-Anne Bryson - ゲリーの恋人)

Jacinta Wawatai
(Rewa Bryson - ジュリーの養女)

Vanessa Stacey
(Vanessa Percy - ホールデン家の次の犠牲者)

Tony Bishop
(Ross Percy - バネッサの夫)

Baxter Cannell
(Dion Percy - 死亡したバネッサの息子)

Fayth Rasmussen
(Stacey Percy - 負傷したバネッサの娘)

Thomas Lee-Batley
(Leo Wilson - ディオンと一緒に殺された少年)

Fatu Ioane
(Aleki Tali - パーシー家と一緒に撃たれた一家の友人)

Patrick Paynter
(Tim Jamieson - パーシー家の次に狙われた老人)

Stuart Mathieson
(Vic Crimp - パーシー家の次に狙われた老人)

Natalie Ellis
(Dorothy Crimp)

Timothy Bartlett
(Jimmy Dickson - 2人の老人の次に狙われた男性)

Lois Lawn
(Helen Dickson - ジミーの母親)

Dra McKay
(Heather Dickson)

Bruce Phillips
(Chris Cole - ジミーの次にヘレンと一緒に狙われた老人)

William Kircher
(Stewart Guthrie - 警官)

Karl Urban (Nick Harvey)

Paul Glover (Paul Knox)

Ashley Wilson (銃砲店の親父)

Murray Davidson (銀行員)

Nick Duval-Smith (Brian Wilson)

Richard Knowles (Rene Aarsen)

Finn Liddell (Jordan Harvey)

Steven Moore (Ron Braithwaite)

見た時期:2007年8月

2007年ファンタ参加作品

この作品が日本で公開されるのかは未知数。テーマも作りも非常に地味です。

最近のファンタには新人監督が大勢登場しますが、サーキーズ監督も長編を作るのは2度目です。手堅い手法で、導入部がやや退屈に見えますが、《これほど平凡な、貧しい村だったのだ》ということを示す必然性があり、いわばディア・ハンターの前半と同じ意味を持っています。

扱われているテーマは実際に起きた無差別射殺事件です。実話と比較しながらご紹介しましょう。映画はかなり実際の経過に忠実に描かれています。私もそれに沿って行きます。

★ 事件

時は1990年11月中旬、所はニュージーランドの片田舎、アラモアナという海岸沿いの寒村です。冒頭ショックを受けるのは貧しさ。家を持っている人もかなり粗末な作りで、台風でも来たら一たまりもないような危うい建て付け。何と実際に事件があった場所で撮影されたそうで、そうなるとこれはセットではなく、実際の状況。トレーラーもその辺に置いてあります。事件はほぼ丸1日(24時間ちょっと)かかり、最後警察による犯人射殺という形で解決を見ます。

犯人はデビッド・グレーという男で、趣味で武器の収集をしていたため家に武器と弾薬がたくさんありました。グレーは他の住民と同じくジリ貧で失業中。映画の描写によるとかなりの数の本が自宅にあり、頭が悪い人物ではなかった様子。1人暮らしで家族らしき人物は描かれていません。

前半のやや退屈に思える村全体の描写ですが、日本人が西洋人に対して持っているイメージとかけ離れた貧しさです。安っぽい家庭用品、家具、衣類などが見え、金銭収入の望みが絶たれ、(まだ)お金が儲かる社会から取り残された村になっている様子が良く分かるように描かれます。老人や中年の人物が多い中、運良くパートナーを見つけることのできた人たちがささやかな幸せを得ようと苦労している様子も描かれます。大した男ではないけれど、間もなく結婚して家族が持てそうな男、中年の息子と暮らしている老女、近所に住んでいながらこれまで過去を全く知らなかったのに、狙撃されたことがきっかけで家族のことを話す現在シングルのバツ2男などに焦点があてられます。皆実在したようで、事件後表彰された人もいます。

狙撃犯グレーは事件を起こす直前町へ行き、その時切れてしまうような出来事が起きます。その足で銃砲店へ行き、帰宅。近所の人と怒鳴り合いの喧嘩になり、改めて切れてしまいます。これまで穏やかな人物だったのかは分かりません。グレー役の俳優は怒りが内向するタイプとして演技をしています。

近所の人が時たま怒鳴るのは普通だったようですが、11月のこの日それがグレーを爆発させてしまいます。子供が自分の敷地に入ったとか他愛の無いいざこざ。あと1週間ほどで34歳の誕生日を迎えるはずだったグレーですが、彼の誕生日を祝う身内や友人はいませんでした。

敷地に入る子供(柵などは無い)、怒鳴る父親に怒ったグレーは自宅にあった銃を持ち出し、あっという間に父親ゲリーを娘の目の前で撃ち殺してしまいます。2人の娘のうち1人も撃たれて負傷。軽傷ではありません。負傷した娘は父親が間もなく結婚するらしいガールフレンドのジュリーの家に逃げ込みます。ジュリーの養女とゲリーの娘2人は仲が良く、大人2人が結婚しそうな様子に戸惑いながらも、子供たちは行き来があります。緊急の出来事に気付いたジュリーは負傷した娘を病院に連れて行こうと試みますが、ゲリーの家にはまだ自分の娘とゲリーのもう1人の娘が取り残されています。そこへ火災発生。

村の住民は銃の発射音を聞いた時まずは車のバック・ファイアーだろうと思いました。しかしその後何度も聞こえて来るのでおかしいと思い始めます。これ以後繰り返し村の人の《普通の発想、普通の反応》が描かれます。ハリウッドなどの劇映画を見慣れているともどかしく腹が立つぐらいです。しかし見終わって考えてみると、それが実に現実的で、通常こんな事件とは無関係に暮らしている人は実際にはこういう反応をするのだと分かります。

ゲリーと娘が死亡、負傷した後グレーは無差別殺人に走ります。まだ事件を事件として呑み込んでいなかった村人もゲリーの娘が運ばれて来るまでには大変な事が起きていると嫌でも悟ります。火の手が上がっており、尋常でない銃声が聞こえるので様子を見に行った人たちが次に犠牲になります。1つのグループはパーシー一家、もう1つはヘレン・ディクソンとクリス・コール。老人で歩行障害を持っていたヘレンはクリスを助けるべく何度も這って家と現場の間を往復し通報。その後クリスを励ますべく危険を犯して現場に戻ります。「すぐ行く」と言われながらいくら待っても救急車が来ないので、ヘレンはまた這って家に戻り電話。元々クリスは飼い犬を守ろうとしたのですが果たせず、代わりに犬もヘレンが引き継ぎます。彼女はかなり高齢ですが犯人が家に来た時も恐怖と戦いながら持ちこたえます。

かなり経って初めて警察が到着。ここでとんでもない事が起こります。ガスリー警官が犯人を発見し、大声で降伏するように言うのです。犯人は降伏するふりをしてガスリーを撃ち殺します。私たちは最初から映画で見ているので「何とバカな」と思うのですが、警官が犯人に降伏を呼びかけるのは規則なのかも知れません。すでにその辺に死体がごろごろという状態だったのですが、それを知っているのは観客だけ。S.W.A.T. が必要なほど危険な相手だという事はまだ警察には伝わっていなかったのです。このシーンを見た瞬間の感想と、見終わってからの感想が180度違いました。警察が「これは無差別乱射事件だ」と悟るまでには暫く時間がかかります。辺りは暗くなって来ており、死体の数は把握できていません。

少しして S.W.A.T. 的な訓練を受けた部隊到着。これで初めて現場に一般人が入れないようになります。最初の警官との出会いの後グレーはまた逃走し、居所はつかめていません。翌朝明るくなり始めた頃からはヘリコプターも出動します。ようやく逃走中のグレーを発見。グレーは近所の家に逃げ込みます。S.W.A.T. 風の部隊はその家を取り囲み、中に催涙ガスを投げ込みます。たまらず出て来たグレーは警官に撃たれ重傷のまま逮捕。間もなく身動きしなくなります。即死ではなく救急隊の看護を受けた後死亡。

★ 実話は映画より長い

映画の中では逃げ込んだところまでしか描かれていないジュリーとゲリーの娘たちは焼死体で発見。燃えたホールデンの家の中に残ってしまったのでしょう。映画では合計13人が死亡と報告されています。この数はニュージーランドではこれまでの記録を更新してしまいました。

グレーが病気だったのか、精神は正常で生活がすさんでいたのかは映画では解明されていません。俳優は目が据わって凝り固まった男という印象を与えるような演技をしていますが、それですぐ「病気」とも言えません。仮に何かしらの精神的な問題を抱えている人でも失業していなかったり、家族がいたり、近所とのつながりが良かったりと外部の要素が良い方向に働く場合もあります。グレーの場合はそういった助けになりそうな要素が無く、裏目に出るばかりだったように描かれています。その反対が子供を抱えて大変そうな2家族が間もなく1家族にまとまろうというジュリーとゲリーのシーン。貧しくても何とか一緒にやって行こうとする人たちと、そのネットから漏れてしまった人たちが対照的に描かれています。

ニュージーランドというのは普段は平和な国で、警官もやたら銃を持ち歩かないとか、軍関係の部隊は普通は国内には配置されないなど、以前の日本と似ています。この事件は国内最悪の事件として記憶されているようです。

この事件はその後本になり、今度は映画になりました。事件も悲劇ですが、その事件を使ってお金を儲けようというジャーナリズムについても考えさせられます。映画は感動のドキュメンタリー・タッチに仕上がっていますが、取材される側の気持ちはどうなのでしょう。映画に描かれているような素朴な、普通の感性を持った人たちだとすると、ようやくかさぶたができ始めた傷をもう1度引っかかれるような気がするのではと、映画を見ている最中から気になりました。

★ 見終わると感想が変わる

見ている最中には警官の対応の悪さに無性に腹が立ちました。ところが見終わって落ち着いて考えてみると、こんな平和な土地でこんな凶悪な事件が起きるとは思っておらず、誰も心の準備ができていなかったのだなあと感じ、責めるのは気の毒だと思うようになりました。日常生活がこういう形で破られるなどとは誰も思っていなかった様子です。

犯人がなぜこういう風になってしまったのかは遠い所に住んでいる私には分かりません。《精神を病んでいた説》も一応出ています。そういうことにしてしまえば解釈が楽かも知れません。彼の病気に誰も気付かなかったとしても個人主義が中心の欧米文化の中ではそうそう責めるわけにも行きません。そして責める相手がいない方が丸く収まるという面もあるかも知れません。

映画の描き方を見ると住民を突き放したり、批判するトーンではなく、グレー以外は皆貧しくてもがんばって生きていた様子が伺えます。グレーが引きこもるタイプだったことは周囲にはどうしようもないことだったのかも知れません。カウンセリングだ何だと周囲がお節介をやくのもどの辺までが適切か決めにくいテーマです。あまりやり過ぎない方がいいという考え方も成り立ちます。

最近は近所づきあいなどを見直す傾向が出ているのか、私だけが運がいいのか分かりませんが、私の住んでいる地域、アパートでは住民が結構お互いを知っていて、私もファンタで家を空けることが増えるため様子を見てくれるよう近所にお願いしてあります。誰かの体調が良くない時、代わりに買い物に行きましょうかとこちらが申し出ることもあります。元々は20年以上前住み始めた時に顔を合わせると「こんにちは」と言った事から始まっています。それまで住んでいた他のアパートでは長い間隣に住んでいるのに人がお互いをまったく知らないという所ばかり。それでこちらに来た時に試しに「こんにちは」の一言を発してみたのです。すると言われた人も嫌な顔をすることがなく、「こんにちは」が返って来ました。私より年長の人が最初に良い反応をしたのですが、徐々に若い世代にも移り、家主も参加。いつの間にかお喋りもするようになりました。裏庭で自転車の手入れをしていると寄ってくる人も出るようになり、徐々に私が子供の時に知っていた日本の近所付き合いと似て来ました。通りで出会うと立ち話もします。80を越えたり、長年患っていて誰かが亡くなったりすると、アパート内に挨拶のカードが貼ってあったりします。私も何度か葬儀に参加したことがあります。よく知っていた人なので、「こんにちは」だけでなく最後に「さようなら」も言いたくなります。幸いなことにアパートの人はみな似たように感じているようです。

映画を見ていると舞台になった村もそういう感じなのです。そこからもれたグレー。悲劇です。

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