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The Four Tops and The Temps ♪

The Four Tops / 一応バトル

USA 160 Min. の前半

出演者

The Four Tops

バックバンド

見た時期:2007年11月

「突然ですが予定を変更して・・・」と言うとまるでテレビ番組のようですが、ここで急に音楽の話題を入れます。

10月の音楽情報を当たっていた時にザ・フォー・トップスのコンサートがあるというのが目に付き、ティケット屋さんに飛んで行きました。するとザ・テンプテーションズとのジョイント・コンサートだと言うではありませんか。同じ会社の社員でしたから一緒の仕事も考えられますが、アレサ・フランクリンの誕生パーティーでもないのにこんな大スターが共演(競演)と聞いて驚きました。

インターネットを当たってみると両グループの共演(競演と言った方がいいか?)しているユーチューブが出て来ました。ああ、なるほど最近は一緒に仕事しているのか・・・ふむふむ。

★ 10年前のテンプはお通夜のよう

実はベルリンにはザ・フォー・トップスは頻繁に来ているような印象でした。私はドイツに来てからジリ貧状態で、のんびりコンサートに行っている余裕があったためしはありません。指をくわえながら町のポスターを見ていました。10年前のある日、テンプが来るというので、大枚叩いて出掛けて行ったことがあります。

当時のテンプは明らかに不調。物凄くかっこいいバック・オーケストラがついていたのに(バック・バンドなどの規模ではありません。あれはもう小型のオーケストラ)、歌手の方はリーダー的な人が完全にスランプに陥っていて、黒人の英語の達者な観客から "Sing a song, brother!"とやじられる始末。後で知ったのですが、1991年に全盛時代一緒だったメンバー死亡、結成当時のメンバーの死が1992年、1995年、若くして死んだメンバーもいたためこれで元5人だったメンバーは生存者1名。世を去ったメンバーについて湿っぽい話を延々していました。本人は明らかに死を恐れており、人間として時として命について真剣に考えるのは賛成。気持ちは良く分かりますが、観客はお金を払って、陽気なコンサートを見に来ていたので、TPOがちょっとずれていました。

★ お小遣い貯めて待っていた

その後ずっと家計を節約して待っていたのですが、先月目に入ったのがザ・フォー・トップス。行ってみると残念ながらほとんどのメンバーが死亡して、オリジナル・メンバーは1人だけでした。しかし満足の行くコンサートだったので、そのお話を。

ザ・フォー・トップスは高校時代の友達が一緒に作ったグループで、つい最近まで元のメンバーのみで構成されていると聞いていました。テンプは激しい入れ替わりがありましたが、10年前のコンサートではテンプ・サウンドとテンプ・ダンスは保っていました。ザ・フォー・トップスはメンバーが変わっていないというので、いずれ是非と思っていました。その後1人病死という話は耳に入っていました。実際には現在のテンプもザ・フォー・トップスもオリジナル・メンバーは1人のみ。残念でなりません。

当時のテンプのコンサートはメンバーがスランプだっただけでなく、前座の女性歌手もひどい有様だったので、今度はザ・フォー・トップスに賭けてみようと思いました。ドイツ・マルクはユーロに変わり、入場料は(私の家計には)非常に高くなっています。ちなみに当時ドイツ・マルクで45マルクほど払っていますが、今回はグループに取っては所得倍増です。私に取っては赤字倍増・・・。

★ 4人にはぴったりの会場

会場は以前ザ・コミットメンツのアンドリュー・ストロングのコンサートもやったテンポドロムという所。当時はテント小屋で立見席のみでした。しかし壁が開いた後、建て直しがあり、すっかり模様替えしています。1度ここでサーカスを見たことがありますが、すばらしい会場です。マイケル・ジャクソンのような規模のコンサートですと小さ過ぎますが、テンプやフォー・トップスですと非常に適しています。今度は立ち見ではなく、座席指定。それも張り込んで良い席を取りました。入場料は50ユーロを越えています。今でも比較的良い生活を続けられる日本と比べると、失業者の多いベルリンではこれはかなりの高値。一般の人でもちょっと引いてしまう金額です。ドイツ人はそのため当日券を狙います。町のティケット屋さんにコンサート当日飛び込むとかなり安く買えるのです。しかし本当のファン、当時からのファンはどうしても席を確保しておきたい・・・。生嶋さんの尽力で当時のザ・フォー・トップスを見る機会はあったのですが、ベルリンに《生きていて動くザ・フォー・トップス》が来るとなると、10年に1度家計に穴を空けようかと決心。何もかもが高く、プログラムも高かったのですが、両方のグループを1度に見られるというので暫く考えた末にティケット屋さんへ。

ステージを見ると、大き目のバックバンドの場所が用意がしてありました。キーボード2つ、ブラスが居そうな場所、ドラムが2セット、2つのボーカル・グループ、総勢9人が踊るにはちょっと狭い。スマイリ小原のようにその場だけで動かないとダメかななどと考えているうちに定刻。ぴったりに始まりました。

ユーチューブのように両方のグループが登場して交互に歌うのかと思ったら全然違いました。両者の交流は全くゼロ。ちょっと冷たいんじゃないの、君たち。

★ 前座バンド ザ・フォー・トップス

最初に登場したのがザ・フォー・トップス。プログラムでもステージでもすっかり前座バンド扱いです(「何と失礼な!わいはザ・フォー・トップスを見に来とんねん」と慣れない大阪弁が頭に浮かびます)。

登場した4人はしかしそんな扱いなど気にもせず、ギンギラギンのスーツ姿。上着はライトに強く反射するギンギラギン。ズボンは明るい青で、アラビア人のズボンに似ています。後で上着を脱いだらその下には紺色のベルベットのような素材のシャツを着ていました。踊るのに動きやすそうな服です。皆私より2周り弱年上なのですが、特に太ってもおらず、軽い身のこなし。昔のファンを失望させないように身を律していたのかなあ・・・などと考えてしまいました。

★ メンバーは滅多にチェンジしない

5人編成のテンプに関わったメンバーは実に22人なのですが、4人編成のフォー・トップスに関わった人たちは合計たったの7人。現在も活動しているオリジナル・メンバーはアラビア風の名前のファキール。グループはコンスタントに音楽活動を続けていましたが、9人の子供の父親だったペイトンが1997年に心臓発作で亡くなりました。この穴を埋めたのがザ・テンプテーションズのテオ・ピープル。これがグループのメンバーチェンジ第1号。ポール・マッカートニーが病死したから、代わりにワイマン入って来たみたいな・・・。オーディションぐらいはするのかも知れませんが凄いなあ・・・(ため息)。

オリジナル・メンバーのスタッブスは現在も生存していますが、ペイトンの死を機に引退。彼の席は70年代から時々ザ・フォー・トップスと共演もしたことがあるロニー・マクネイルに行きます。スタッブスのプロ活動はザ・フォー・トップスから始まっており、ザ・フォー・トップス結成以後一生をこのグループに捧げて引退。偉い!

オリジナル・メンバー3人目のベンソンは癌で2005年に死亡。最後の登場が4月で死亡が7月ですが、かなりの重病でした。代わりに入って来たのが最初に死亡したペイトンの息子。ステージではペイトン・ジュニアと呼ばれていました。実際はこの父子は同姓同名ではなく、姓だけ同じです。

全体を簡単にまとめると、高校時代に知り合った4人の友達がグループを結成し、病死、引退するま で同じメンバーで続け、3人が抜けた後は元の同僚や知り合いがカバーして今日に至っているというわけです。後から入って来たメンバーも1度入ったきりグループに居付いて、メンバー・チェンジはしていません。コンサートの日、ファキアは何度か「結成してから53年目だ」と言っていました。元のメンバーの4倍以上に膨れ上がったテンプとは全く対称的なグループで、死んだり引退したポストに新しい人が入っただけ、4-3+3=4というグループです。テンプのメンバーチェンジについてこのページに書くと物凄く長くなるので、別なページにしますが何と対照的なんでしょう。

★ 好感の持てる4人のステージ

新装開店のザ・フォー・トップスは観客に穏やかに、にこやかに微笑みかけ、50年前のファンにも満足の行くような、それでいて進歩が無いわけではない曲を聞かせてくれました。

★ 好感の持てないバックバンド

でもここでちょっと不満を。バックバンドが行けません。編成は豪華でブラスが実に9人。確認できたのはトランペット3人(コルネットが混ざっていたかも)、トロンボーン2人、サックス4人(うち少なくとも1人はテノール、1人はアルト。恐らくアルト3人)、キーボードが2人(うち1人はバンマスらしい)、ベース、ギター各1人、ドラムの場所2箇所、ドラマー1人という規模。

会場はあまり大きくないのですが、ブラスの音が空気を伝って来ないのです。私はそんなにステージから離れていませんでした。そして音がやけに白人っぽい。黒人だ白人だと言うと現代では語弊があるかも知れませんが、ソウルの世界ではそういう表現をせざるを得ません。例えばアンドリュー・ストロングはどこから見ても金髪碧眼の白人の若者ですが、歌は真っ黒なブラック・サウンド。遥か遠くのアイルランドに居ながらアメリカ南部かというすばらしいブラックな声で歌います。そういう視点で言うと、人数揃えて世界的に有名なソウル・グループのバックを務めているブラス・セクションがちっとも黒くないのです。何じゃ、これは。それに比べると、10年前テンプについて来たバンドはブラスだけでも入場料を払う価値があったように思います。そしてあのバンドは「歌手をばっちりサポートするぞ」という気概が見えましたが、今年ベルリンに来たバンドは「前で踊っている奴、勝手にしてくれ、俺たちは打ち合せ通りの音出すから。早く終わんないかなあ、俺もうホテルに帰りたいよ」と言っているかのよう。確かに巡業スケジュールを見るとかなり過密で、明日はもうドレスデン。週によっては数日間にドイツ、フランス、ドイツ、イギリスと国の間を往復するようなスケジュールも組んであります。70を越えたおじさんにはきついだろうと思うのですが、歌っている本人はどこ吹く風、平気の平左。それをサポートするバンドがサラリーマン風。ひどいミスマッチです。

★ それにもめげず4人はがんばる

そんなバックをあてがわれたボーカル4人ですが、お客さんとの結びつきがすぐでき、心が通っているという感じでした。開演前にばっちり見ておきましたが観客の8割がたが当時のファンだろうと思える年代です。歌詞を知っていて、ザ・フォー・トップスと一緒に歌っています。私は全盛の頃のビデオも見ましたし、CDも買ったのですが、今目の前で踊っているザ・フォー・トップスが50歳代から70歳代のじっさまとは思えませんでした。忙しくて年を取る暇がなかったのか・・・。

いつまで経ってもテンプは出て来ません。半分ほど終わったところで、これは別々のコンサートをやるのかと思い始めました。ザ・フォー・トップスはテンプに比べ大ヒットした曲が少ないので、時々滅多に聞かないレパートリーが入ったりします。1人だけいくらか歌が下手な人がいましたが、全体にグループとして仲が良さそうで、(サム&デイヴやライチャス・ブラザーズのように歌唱力の差がどうしても目立ってしまうグループもある中)誰もそんな事は気にしていないかのようでした。それは以前も同じで、1人がソロを取り、残りはコーラスを入れる事が多かったですが、当時同じ く有名なバンドがそういうのを嫌がっていたのに比べ、ザ・フォー・トップスは皆が自分の役目を分かってやっているという印象でした。それは50年経って3人が入れ替わっても変わっていないかのようです。

テンプは違う種類の声の人がいて、ハーモニーで特色を出しています。ザ・フォー・トップスはちょうど逆の戦術。時々ハーモニーの部分もありますが、インパクトは4人が同じ音を一緒に歌う所で出ます。爆発するような強い声を4人で一斉に出すのです。メリハリがつき、そこで力強さが出ます。踊りのステップと歌をどうやって両立させるのかと素人は考えてしまいますが、4人はこれもどこ吹く風、平気の平左です。

バンドとは一体化しませんでしたが、観客とはいい交流。結局テンプとは1曲も共演がありませんでした。これがテンプの前座扱いのフォー・トップスです。

この後休憩が入り、テンプに移りました。

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