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100 フィート / 100 Feet

Eric Red

2008 USA 105 Min. 劇映画

出演者

Famke Janssen
(Marnie Watson - 自宅軟禁の刑に服する女性)

Michael Paré
(Mike Watson - マーニーの夫)

Bobby Cannavale
(Shanks - 刑事、マイクの相棒)

Ed Westwick
(Joey - スーパーの店員)

John Fallon
(Jimmy - 警察の技術者)

Patricia Charbonneau (Frances)

Kevin Geer
(Pritchet - 牧師)

見た時期:2008年8月

2008年ファンタ参加作品

今年は女性に対する脅しのような作品が目につきムカッとすることも多かったのですが、100 Feet もその1つです。早速あらすじに行きましょう。

結末がばれます。見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ あらすじ

DV 男を夫に持った女性が正当防衛で夫マイクを殺したのですが、正当性が法廷で認められず有罪で懲役刑。自宅に戻り、足に発信機をつけてこれから半年過ごすことになります。仮釈放に伴う保護観察のようなものではないかと思います。ニューヨークらしき所の大きなアパート。夫が刑事だったにしては立派な家です。

殺された夫が刑事だったため、彼女を保釈する元同僚だった刑事シャンクスの扱いは非常にぞんざいで、吐く言葉も不親切極まりないです。そして保釈当日から家の前に張り込んでいます。

なぜ正当防衛とも取れる事件なのに保釈後妻を監視するのかと思いますが、そこには触れず、妻マーニーの日常生活が先に描かれます。タイトルの100フィートというのは足につけた発信機で彼女が動ける範囲。この距離を越えた場所に行くと信号が発信され、特定の分数の間に戻らないと脱走と見なされ、10年の懲役刑を食らいます。そのため彼女は自分の住む大きなアパートの玄関にたどり着くのがせいぜい。外出は無理。そのためスーパーの店員に頼んで食料などを届けてもらいます。

家にはまだ事件の血痕が残っていたりするのでマーニーは早速掃除を始めます。時々シャンクスが顔を出し、憎まれ口をきいて行きます。マーニーの生活は当分の間不快な物になるでしょう。

掃除や片づけをしている時に妙な事が起き始めます。どう見てもマイクの亡霊がまだ家の中にいるとしか思えない現象が続きます。大柄のマーニー(ファムケ・ヤンセン)が呆気なくぶっ飛ばされ、階段から落下したりします。時々顔を出すシャンクスにも彼女の様子が変だと分かりますが、彼女からまともな説明は聞けません。保釈早々「家に前亭の幽霊がいるから移動したい」などと言ってもシャンクスは聞いてくれる相手ではないと分かっています。

しかしシャンクスもマーニーが血がついていた壁を塗り替えたのを知っていて、そこにまた元のように血痕がついているのを発見したり、マーニーが何かおかしな目に遭っているという気はして来ます。

意地の悪いシャンクスと違い、マーニーに理解を示してくれるのがスーパーの店員。彼女が自宅軟禁状態だと知り、軽蔑するどころか協力を約束します。これがマーニーに取って唯一の慰め。ところが前亭の幽霊は活発で、何度も邪魔をします。

彼女の親族は理解するどころか家の恥扱い。財産関係の書類にサインをさせるとさっさと出て行きます。この家は夫の給料で稼いだのではなく、彼女の家なのかなどと思っていると、そこへ夫が隠していた大金が出て来ます。

はあ、なるほど、そのためにシャンクスが張っていたのかと観客は思い始めるのですが、マーニーは牧師を呼んで、家の御祓いをしてもらうために金を寄付してしまいます。ところが牧師は金だけ取って御祓いは無視。マーニーは宗教にも裏切られます。

嫉妬に狂ったらしき夫の幽霊はスーパーの店員を殺してしまいます。折り悪くそこへ訪ねて来るシャンクス。1度正当防衛とは言え人を殺しているので、2度めは死刑だろうと予想して、マーニーは死体を隠します。シャンクスは家の中をしつこく見回った後出て行こうとしますが、ここからショーダウン、幽霊対人間の戦いに向かいます。

バレるものはバレ、シャンクスはマーニーがどちらかと言えば被害者だと悟ります。シャンクス自身マーニーに命を救われます。結局命からがら家から脱出し、シャンクスはマーニーに「早く消えろ」と言います。公式にはマーニーは死亡扱い。

★ ハッピーエンド?

これを見た仲間の1人(女性)がハッピーエンドだと解釈していました。私はムッとして「そりゃ無いぜ」と反論。この人は女性解放論者で、自分では自立した女性だと信じているようなのですが、私は「じゃ、なぜこの映画に腹を立てないの?」と思ってしまいました。

だってファムケ・ヤンセンは元々正当防衛を認められるべき人。それが認められず服役。仮に足首に警報機をつけて自宅に住ませてもらえるとしても刑に服しているわけです。夫が金をごまかしていたとしても彼女がやったわけでもなければ知っていたわけでもない。だからシャンクスがどう考えようが彼女は金に関しては完全無罪。その金を寄付したのに、牧師には感謝もされない。

せっかく得た理解者の青年は夫の幽霊に殺されてしまう。ここはオカルトなので片目をつぶってもいいですが、「彼女が最後に自由になれた」と喜んでいる友達はちょっと単純過ぎはしないだろうかというのが私の反論です。マーニーはこれから一生ホームレス、まっとうな職業を得るチャンスはゼロ、どこかに登録することはできないのでアメリカでは重要なクレジット・カードも使えない。どうやって生きて行くんだろう。子供を作ることも難しくなる。海外に逃げてもアメリカ人という役だったら語学の壁に。なんでやねん。

ドイツの女性はここ30年ほど勇ましく女性解放を叫んでいましたが、私の目には棚から落ちて来た牡丹餅を手にしただけで、「自分で勝ち取った物ではない」との自覚が無く、せっかく貰った物を守ろうともしていなかったと映っています。色々論争がありましたが、この人たちが1番長く、大きく叫んだのは言葉を書く時のスペルに関することでした。英語で言えば議長を《チェアマン》と呼ぶのを止めて《チェアパーソン》にしようというレベルの議論です。呼び方なんていうものは既成事実ができれば後からついて来ると思っていた私は、ドイツの女性がそういう単語の書き方の問題にしつこくこだわり、権利を広げたり、保護するべき所を保護する法律などにはあまり情熱的でなかったとの印象を持っています。

ファンタの友人と私の感想が正反対になってしまい、勇ましく女性解放を叫んだ経験の無い私の方が今回はクレームをつける立場になってしまいました。私は地味、ゆっくりでもいいから、後戻りの無い進歩をと考える性質で、80年代からドイツで経験した様々な事でも「早とちりではないか」と思ったケースがいくつもありました。「『本当にこれが解放、権利の向上なのか』と1つ1つ吟味したのだろうか、男性を単純に敵と見なして戦うのが女性解放なのだろうか」と思い、女性解放というより、男女揃って合理的な方法を探すのが正論ではないかと考えているところへ、大きな世界的な変化が起きてしまい、もはや男だ女だという時代ではなく、誰が誰と対峙しているのかが全く分からない世界になってしまったと思います。

その結果出て来たとは思いたくありませんが、今年出た作品の中には女性の立場を危うくするようなストーリーや、なぜあんな事を許すんだろうと思うようなシーンが頻繁に見られました。映画が時代の趨勢を表わしていたり先取りしているのだとすれば、良くない時期に入っているということです。

というわけでファムケ・ヤンセンが生き残ったとしても 100 Feet は私にはとてもハッピーエンドとは思えない作品でした。ムカッ。

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