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イーグル・アイ /
Eagle Eye Control total /
L'oeil du mal Canada /
Controle Absoluto /
Eagle Eye - Außer Kontrolle /
La conspiración del pánico /
Olhos de Lince

D.J. Caruso

2008 USA/D 118 Min. 劇映画

出演者

Shia LaBeouf
(Jerry Shaw - イーサンの双子の兄弟)

William Sadler
(双子ジェリーとイーサンの父親)

Deborah Strang
(双子ジェリーとイーサンの母親)

Michelle Monaghan
(Rachel Holloman - 弁護士事務所の事務員)

Rosario Dawson
(Zoe Perez)

Michael Chiklis
(Callister - 国防関係の職員)

Anthony Mackie
(William Bowman - 少佐)

Ethan Embry
(Toby Grant - FBIエージェント)

Billy Bob Thornton
(Thomas Morgan - FBIエージェント)

Anthony Azizi
(Ranim Khalid - テロリストとされる男)

Cameron Boyce
(Sam Holloman - 国防省高官)

Bob Morrisey
(情報局の長官)

見た時期:2009年4月

4月に書いて、5月にアップしたつもりでいた記事です。この頃ちょうどうちで大騒ぎが起きていたので、出したつもりがアップされていなかったのでしょう。改めて出します。

ネタばれとは違いますが、主人公の立場を前提として話を進めているので、ネタばれと似たような情報が最初から出ます。

失業対策だったのか、恐ろしい数の人が出演しています。

★ 事実は映画より悪質かもしれない

ちょうどうちにこの映画に出て来る女性とそっくりの声、そっくりの有無を言わさない態度で、世論調査と称してわけの分からない電話が入った直後に見たので、嫌な印象の映画になりました。こんな出来事が無ければもう少し楽しめたかと思います。番号簿に載っていない電話番号にかけて来たのででびびりました。

★ とは言ってもパクリが目立った

この種の作品でまず思い出すのがウィル・スミス、ジーン・ハックマン主演のエネミー・オブ・ザ・ステーツ。あれは良くできていました。実際にこういう事があり得るとしても、当時まだ頻繁には映画化されていなかったので、見ごたえがありました。その後2001年、2003年の事件の真相だと言われる「新事実」がインターネットに多く載るようになり、エネミー・オブ・ザ・ステーツは絵空事ではないのか・・・と背筋が寒くなっていました。

とは言っても「普通の人にはこういう事は起きないだろう」とか、「ああいう事件に巻き込まれるのはどこか普通でない人だ」と思っていました。特殊な地位にいる人やよほど運の悪い人・・・。

例えば警察や弁護士関係の仕事をしていて、その辺の店や会社で働いている人より微妙な出来事に関わる機会の多い人とか、イーグル・アイの主人公のように、自分は普通でも兄が国防の微妙な仕事に関わっていた人などのことです。

ところがよく目を凝らして見てみると、自分では普通のつもりでいても、知り合いに意外と微妙な所に関わっている人がいたり、私なら行かないような国に足を運んだ人がいたりします。ドイツ、ベルリンというのは日本に比べて妙な事に関わりやすい土地なのかも知れません。そこへ妙な電話がかかって来たりするので、気色悪いです。

★ パクったか

直接のパクリではないにしても、設定が似たため、全体も似ているなあという印象になってしまったのが2001年宇宙の旅のHalというコンピューター。映画ができた頃には遠い未来のつもりでいましたが、とっくに2001年は過ぎてしまいました。あの時のスーパー・コンピューターを女性の声にしただけの、野心家のコンピューターが出て来ます。

コンピューターには人間のような欲望や野心は感情として存在しないのに、誰かがスーパー・コンピューターを間違ったレールに乗せてしまうと、乗せた人間も含めて人間がコンピューターに支配される世界が作り上げられてしまい、その後人は奴隷のように縛られるというのがイーグル・アイの設定です。

★ 主人公もパクったか

スピールバーグのドリームワークスが関わり、スピールバーグが将来を託したスターの卵が主演です。巻き込まれ型の典型のような話の進み方はウィル・スミス版と瓜二つ。ウィル・スミス版では建物が爆破されるシーンに驚いたものですが、イーグル・アイでは主人公がどこにいてもしつこく連絡して来るストーカー的な行為に驚きます。

有無を言わせぬ物の言い方はうちにかかって来た電話とそっくりで、あと x 秒で脱出しろなどといきなり連絡して来ます。そんな電話がかかって来たら相手にしないのが普通ですが、映画の主人公は2人とも相手にしてしまいます。2人と言いましたが、巻き込まれるのは男女各1人ずつで、この2人の間には過去には関わりがありませんでした。映画が始まってから無理やりセットにされ、追いまくられ、不本意な用事をやらされます。手口はジョニー・デップをニック・オブ・タイムで苦しめたクリストファー・ウォーケンと同じなのですが、大きな差はウォーケンがまだ人間だったという点。冷血漢を演じているウォーケンを説得するのは楽ではないでしょうが、チャンスはまあ無いわけではありません。しかし相手がスーパー・コンピューターでは絶対にチャンスはありません。

プロットはあまり良い出来でなく、スーパー・コンピューターが自分に都合のいい状況を作り出すために、身近な人間を脅迫して言う事を聞かせるというもので、断わると殺されてしまいます。そういういきさつで主人公の双子の兄がすでに殺されており、兄と一卵性だったというだけで、コンピューターは今度は弟に手を伸ばします。そのためにまずとんでもない容疑がかかるように仕組んでおいて、その窮地から救うという形で主人公を縛ります。

別な所では小学校の子供を抱えたシングル・マザーを子供誘拐という脅しで縛り、言う事を聞かせます。この2人が途中から一緒にスーパー・コンピューターのために働かされることになり、知り合います。2人で協力して何とかしようと話がまとまるのですが、イーグル・アイでは演出がせわしく、2人が言い合いを繰り返し、相手の話をちゃんと聞かないシーンが多いので、見ていてイライラします。このあたりの登場人物の整理はウィル・スミス版の方が良くできていました。

アクションは重装備にしてありますが、せっかくのアクション・シーン、見せ場であまりにも急くので、観客に十分「とても危ない事をやっている」という雰囲気が伝わらないように思います。どうせやるならもう少し次から次からにせず、トランスポーターなどのようにメリハリをつけたらどうかと思いました。お金は結構かかっているようなのでもったいないです。

かつて有名な落語家も緊張と弛緩を交互に入れた方がいいとの説を唱えていました。「アクション、アクション、アクション」にせず、「静、動、静」にせいという趣旨です。

★ ご都合主義の映画

ご都合主義の映画を見ると「またか」と思います。それでも何かしら役に立つ事があるとすれば、警告なのかなと思います。一卵性の双子が出て来ると推理小説でも映画でもまず引いてしまいます。ご都合主義を免れないことが多いからです。それでも脚本が良くて、監督がいいとスリル、サスペンスで盛り上がることもあります。前に見たフランス映画は良くできていました。でも普通は「騙された」とか「安売りだ」と腹が立ちます。

イーグル・アイでは双子でなければ行けない理由は一応正当化できます。コンピューターの中枢にアクセスするために肉体的な類似点が無ければならないという事情があるからです。死んでしまった兄のID登録に1番良く近づけるのは一卵性の弟ということです。辻褄を合わせるための設定です。

筋に無理があるのでかなりつまらない作品になっています。それでも何かしら・・・と無理して良い所を探してみましょう。すると人間が作った物に人間が縛られるという図式が浮かび上がって来ます。

これはコンピューターなどができるより遥か昔からある問題でその典型が官僚制度。元々人間が思いついたシステムで、思いついた時は何かしら役に立つはずでした。たとえば混乱を無くし、きちんと記録、登録し、必要な時には記録を調べて混乱を是正する、そんなシステムのおかげで、トラブルが起きた時に簡単に話が整理ができるはずでした。

ところが年月が経つうちにシステムの存在そのものが目的になってしまい、トラブルや混乱の解決という本来の目的が忘れられてしまいます。官僚という職業に就くことで生活が成り立つ人が増え、システムは肥大化し、官僚を首にできなくなってしまいます。組織を存続させるためにあれこれ意味の無い用事を思いつくといったことになり、どうしようもないところまで来てしまいます。中国からも「古くから巨大な官僚制度に悩まされた」という話が聞こえて来ます。

それをコンピューターの中央制御システムという形に模様変えしたのがこの作品です。制御システム自身が自分の存在を守ろうとし始め、そのために人間を道具に使うようになった、つまり人間の側から見ると主客逆転の暴走が始まったという設定になっています。こういう話は大抵例えで、批判的なスタンスで描かれることが多いです。

恐ろしいのは似たような事が起きかねない現実の方。コンピューターが自立して、自分で考えて人間を操るようになる(謀反を起こす)という意味ではなく、官僚制度のように肥大化してしまった組織の中に大型コンピューターも組み込まれてしまわないかという点。そうすると大型コンピューターが人間を支配するのではなく、肥大化して何がどう機能しているか、何がどこでどういう作用を起こしているかを見抜けなくなった人間の組織が個々のケースでコンピューターのデーターを使うということです。

もしそこに入力ミスがあったら、仮に故意でないにしても・・・。確かロバート・デ・ニーロがかなり前にそういう例を・・・。

映画人はかなり前からそういう点に注意して警告を発して来ていると思います。なのに、世界はどうしてもそれとは逆の方向に動きたがるんですね。なぜだろう。

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