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ライ・トゥー・ミー 嘘は真実を語る /
Lie to Me /
Lie to Me: Engana-me se Puder /
Miénteme

Daniel Sackheim, Michael Zinberg, Vahan Moosekian, Michael Offer, Adam Davidson, Lesli Linka Glatter, James Hayman, Seith Mann, Terrence O'Hara, Eric Laneuville

2009-現在 USA @ 43 Min. 劇映画

出演者

Tim Roth
(Cal Lightman - 心理学者、ライトマン研究所の創立者)

Hayley McFarland
(Emily Lightman - ライトマンの娘)

Jennifer Beals
(Zoe Landau - 検事、ライトマンの元妻)

Brandon Jones
(Liam - エミリーのボーイフレンド)

Kelli Williams
(Gillian Foster - 心理学者、ライトマン研究所経営者)

Tim Guinee
(Alec Foster - フォスターの前夫)

Brendan Hines
(Eli Loker - 心理学者、ライトマン研究所スタッフ)

Monica Raymund
(Ria Torres - 学歴の無いライトマン研究所スタッフ)

Mekhi Phifer
(Ben Reynold - FBI)

Sean Patrick Thomas
(Karl Dupree - FBI)

Conor O'Farrell
(Bernard Dillon - FBI、ワシントンのチーフ)

Monique Gabriela Curnen
(Sharon Wallowski - 刑事)

Melissa George
(Clara Musso - 巨大企業の持ち主の未亡人)

Max Martini
(Dave Atherton - 少年院の心理学者)

見始めた時期:2011年前半

★ ただで見られるテレビ・シリーズ

インターネットに1週間限りの期限で乗ったテレビ・シリーズです。私は第2シリーズらしき部分の途中から見始めたのですが、現在第1シリーズに戻っているので、いずれは第1シリーズと、第2シリーズが見られると思います。ドラマとしての出来は良くないのに、第3シリーズも作られており、今後も続くかも知れません。

★ テレビとは思えない良質さ・・・でもない、にもかかわらずキャンセル・・・にはならない

・・・のです。前回ご紹介した Human Target の逆で、セット、撮影、脚本、演出などに高い点がつきません。キャストもしっくり来ず、準主演の女性の衣装にも驚かされます。また、せっかくジェニファー・ビールズを呼んで来たのに出番が少なく、せっかくティム・ロスを呼んで来たのに、あまり深さも見られず、出演者全体のアンサンブルも良くありません。アクションとは関係の無い作品ですが、全体的に Human Target でうまく行った部分がうまく行っていません。60分と43分の差なのでしょうか。暫く見ていてわりといいと思えたのは主人公の娘を演じている女の子。多感なティーンを上手に表現しています。

★ 元ネタ: たかが漫画 vs 名のある科学者

Human Target の元ネタは漫画です。ま、たかが漫画と言われても仕方ないでしょう。それに対し、ライ・トゥー・ミー 嘘は真実を語るの元ネタは世界的にも名のある学者の研究です。重みが違います。

番組中主人公になっているのがカル・ライトマンで、そのモデルと目されるのが実在の心理学者のポール・エクマン。ドラマ化に際して自分の身元が割れるような描写は避けることと条件をつけているため、ポール・エクマンはティム・ロスの外見以外の容貌だと思われます。例えばティム・ロスが色の暗い直毛、痩せ型なので、エクマンはブロンドでパーマがかかった髪の大男かも知れません(笑)。また、ロスがいつもいらいら、カッカ、カリカリと落ち着かない人なので、エクマンは仏様のようにゆったりと落ち着いているのかも知れません。

エクマンはアメリカ人で医者の子供。心理学者で、自分の研究で(文化?)人類学を排し、「人間には民族に関係ない普遍的な心理反応がある」という仮説に基づいて研究を重ねています。味覚に基本的な原則があるのと同じく(甘、酸、塩、苦、辛、渋などで、4原則とか、5原則にまとめられる)、心理にも基本的な柱があり、それは怒り、嫌悪、恐れ、喜び、悲しみ、驚きだとしています。

後年10を越える感情をこのリストに加えていますが、こういう理論は項目が増えると原則性を失ってしまいます。逆にあまり単純にまとめると例外ばかりが出てしまいます。この種の試みはおもしろいですが、これで人を決め付けることが可能かという点には大きな疑問符がつきます。

ま、私見はともかくとして、ドラマ中では人の運命を左右する決断がライトマン研究所の参考意見にゆだねられることがあります。それでドラマとして盛り上がります。

★ 危険を感じる決め付け − 眉には十分唾をつけて

ティム・ロスが俳優として仕事を引き受け演じているドラマですから、ティム・ロスがどうのという話ではありませんが、私はこのドラマにはちょっと引いてしまいました。ロスの出身地はまあ無視して、一応アメリカという土地を考慮して見ると、アメリカ合衆国に長く住んでいる人間、最近移住して来た人間、たまたま訪問中の人間、祖国を追われてアメリカにたどり着いた人間、遠く離れていても頭の中では祖国に根を下ろしている人間など様々な背景の人たちが普遍的な表情を持つのだろうか・・・と思ってしまいました。

私は30年近く外国人と直接接しながら生きています。身近なところで言うとトルコ人とドイツ人の反応はかなり違います(ドイツにはトルコ人が多く住んでいる)。トルコ人が私を理解するのにあまり困難を感じない事が、ドイツ人に取っては30年経っても理解できないという時もあります。なので、普段温和なトルコ人が怒った時の反応と、普段わりときつい事を考えているドイツ人がいざと言う時にあまり怒りを意識しないなどの違いも分かって来ますし、日本人として長くそういう社会に住んでいるために成人してから初めて怒りの表現を周囲から学んで、その学んだものを TPO に合わせてドイツ人相手に使わなければ行けない時もあります。良く考えれば誰にでも分かることですが、そうやって人それぞれがその場、その状況に合わせて微調節していることも、心理学と文化人類学に加えて考慮しなければ行けないと思うのです。

文化人類学的な、日本では常識と言われる KY (空気を読む)要素は、他の国より強いこともあり、日本人を分析する時はこの点を考慮しなければなりません。隣の朝鮮半島の両地域は日本人とは違い、怒りの表現などは比較的直接的です。名誉を傷つけられた時の反応は日本よりはっきりしています。言うことも日本人から見るとかなり大胆です。なので米国人にはとっつき易く、分かり易い面もあるでしょう。それをフランクと思って受け入れ易いアメリカ人に対して、日本人の間では「そこまで言うか」と驚愕反応が起きたりします。また、南と北の政治体制の差が何十年も続いた結果、相手に対するオープン度がかなり違います。近づいて来た人たちの出身を確かめる術も無かったので、どこの人と確言はしにくいですが、のんびりとして、オープンなタイプの人と、閉鎖的な印象の(名前すら名乗らない)人がいました。いずれも女性の話です。男性の反応はこれに加えてさらに違いがあるように見受けられますが、私は犯罪映画をファンタで見るのみ。直接付き合う機会は殆ど無かったので何も言えません。

ま、日本と言語も似ている、口に合う食べ物も似ている半島と比べてもこれほどの違いがあるわけで、文化人類学は大いに参考にしなければと思います。

ここで気になるのは、人の反応に加え、その反応を受け取る側の敏感度も考慮しなければ行けないという点です。アメリカ人の学者が、日本人と朝鮮半島の両地域の人を前にして、どの反応に気づくか、どの反応に気づかないか、それを日本人が見て、あるいは半島のそれぞれの人が見てどの要素に気づくか、そしてその反応を何だと解釈するか、そんなことを考えていると、ドラマのライトマンに人の運命をゆだねて大丈夫かと気になって来ます。

欧米では東洋人は一緒くたにされる傾向もあり、一般人は日本、朝鮮半島両地域、中国、台湾をまとめて表情に乏しいとか、どの顔も同じに見えるなどと言われてしまったりもします。

ライ・トゥー・ミー 嘘は真実を語るのコミカルな要素はドラマの中で登場人物の都合の悪い事がばれてしまった直後に、有名で実在する人物の写真を数枚挟んでいるところです。「これこれしかじかの挙句ばれてしまったシーンは、実在のこの人と同じだよ」と言いたいのでしょう。これも「おっと、ご注意を」と思いました。政治の世界は幾層にもなっていて、「世間にはこういうことにして発表しよう」と合意がなされた話もあります。なので矢面に立たされた有名人が報道されている通りの失態を犯し、そこを写真に撮られたのかは、眉に唾をつけて見ないとだめです。

★ ライトマンのスタッフ − 空気を読む人は世間に山ほど

私は職業上の理由と空気を読む習慣のある日本人であることが重なり、人の表情は割と簡単に読めます。と言うか、嘘をついている人に気づくことが多いです。今から思うと驚くようなオファーを受けたことが何度かあったのですが、即座に却下しています。具体的にその人の何がと言うことはできないのですが、「この話は受けてはだめだ」と印象がふわ〜っとわいて来るのです。断わって良かったと判明するのが10年以上後だったこともあります。また、長持ちしないカップルの予想はほとんど当たります(長持ちするカップルの予想はわいて来ません。ところが間もなく壊れるカップルはそういう印象がふわ〜っとわいて来ます)。では自分がライトマンのスタッフのような力を持っているのかと言うと、そうではないと思います。日本に帰ればこの程度の人は山のようにいます。かつてお見合いをアレンジし仲人と呼ばれた人たちや、人生相談を受ける人や、僧侶にこういう人が多かったように思います。教師、医師の1部にもそういう人がいます。有能な弁護士もそういう観察眼を持っているのかも知れません。魔法でも神通力でもなく、特殊能力でさえない思います。英国にもシャーロック・ホームズのモデルになった実在の人物がいました。違いがあるとすれば感じたことを系統立てて説明できる人と、私のようにふわ〜っと印象がわいて来るだけの人がいる点ぐらいでしょう。

なのでかなりの数の人がライトマン研究所のスタッフになってもおかしくありませんが、エクマンが世間的に評価を受けたのは、統計を取ったり観察をしてそれを科学的に分類し、書きまとめたからでしょう。一般人と学者の違いはまさにここにあります。「そんな事は誰にでも分かる」良い証拠が、全く学歴の無いトレスという登場人物。要は人をじっくり、あるいは鋭く観察すれば分かることで、何かしらの生活環境から生まれながらにして人の反応を素早く読み取れる人も出て来るということです。

★ 信じてあげる

人に頻繁に相談を持ちかけられる人はその経験から、言葉を鵜呑みにしない習慣を身に付けていると思います。弁護士が最たる例ですが、普通の人でも多かれ少なかれそういう感じではないでしょうか。それでも表向き人を信じるのには、相手の立場を考慮して反論しないという面があると思います。日本人は相手に対する疑いを見え見えに出す国民性が無いため何度でも騙される傾向があるわけで、そこに文化人類学が入る余地があります。騙されてあげる文化と言えるかも知れません。海外旅行をしていて、何かの被害者になったという話はよく聞きますが、犯人だったという話は比較的少ないです。しかし嘘を見抜いていて、心の奥底で信じていない人はいるわけで、それでも騙される方を選ぶところには心理学の研究が入る余地があるかも知れません。

★ 文化人類学 vs 心理学

以前人類学を取り入れた論をちょっとだけかじったことがあるのですが、人類学 vs 心理学のように対立する図式は必ず数歩引いて見ることにしています。下手に片方を盲信すると、エスカレートする危険があるからです。「こういう顔つきをしている人はこれこれだ」という説が出た時代もあったのですが、人を決め付けるのに使われてしまいとんでもない暴走をしたこともあるからです。「人がこういう顔つきをしている時にはこれこれの可能性もある」ぐらいにしておいて、決め付けなければいいですが、それでは科学論文になりません。決め付けてしまうと、一般人には例外条項などに配慮する余裕はありませんから、思い込みがエスカレートし易くなります。

また、学者同士の論争は自分の学派、立場を護るための要素が多いです。ある時何か1つを正しいと思い込み、後でまずかったと分かることもあります。普通の人ですと、「後で違う話を聞いた、そちらの方が正しそうだ」とすぐ言えますが、学者となると一大決心が必要で、そう気さくに訂正するわけに行かない時もあります。なので門外漢は数歩下がって、両方の学者の話を聞き、ほどほどと思いながら参考意見程度に捉えるのが正解ではないかと思っているところです。

ライ・トゥー・ミー 嘘は真実を語るを初めて見た時、

ちょっと待て、テレビを真に受けるとあぶないぞ、字余り・・・

と思いました。

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