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フィルハーモニーでクラシックを聞いた

Festabend der populären Konzerte
(ポピュラーなコンサートの夕べ)

das sinfonie orchester berlin

約2時間 クラシック

出演者

Renchang Fu
(指揮 - 上海の教授)

Yukako Morikawa
(ピアノ - 東京)

Andrej Sur
(バイオリン - ベルリン)

Marc Mödig
(ドラム - Komische Oper Berlin 所属)

das sinfonie orchester berlin (オーケストラ)

演目

(偽かも知れない)バッハ: トッカータとフーガ ニ短調

ベートーベン: 交響曲第5番(じゃじゃじゃじゃーんの運命第1楽章)

チャイコフスキー: ロメオとジュリエット 序曲

リスト: ピアノ協奏曲第2番 イ長調

チャイコフスキー: 瞑想曲 - ワルツ・スケルツォ

リムスキー=コルサコフ: スペイン奇想曲

ラヴェル: ボレロ

見た、聞いた時期:2011年12月

★ 長い前置き

順調に回復していると思っていた井上さん、突然血栓症に襲われ、癌以外に命の危険が出てしまいました。

私も1度似たような経験をしています。3度の火傷をして、救急病棟で緊急手術が終わり、ショック症状が起きる可能性のある、監視の必要な数日も過ぎ、無事退院。「これで大丈夫」と思ったら、紹介されて行った町の医者がなぜか大病院の救急病棟の指示に従わず、逆の治療を始めました。2時間もしないうちに激痛が走り、直接の事故の時よりずっとひどい痛みの中救急病院に逆戻り。

ところがドイツでは1度病院から解放され、別な医師に回されると、その医師に法的な権限があり、長い手続きをしないと医者を変えられないのです。苦肉の策として大病院はその日応急処置をし、本来ライバルに当たる別な大病院の専門の科に行くように、声も上げず、音も出さず、ひたすらジェスチャーで紹介してくれました。

そこに電話すると、話を聞いただけで「こりゃまずい、すぐいらっしゃい」と言う。普通ドイツではなかなか「すぐ飛んで来い」とは言わないので、尋常ではないと感じ始めました。しかしその日応急処置を受けたばかりで、この種の傷は1日に2度同じ場所を処置しては行けないと知っていたので、それを話すと「次の日いらっしゃい」。これはやはり尋常ではありません。

行って見ると研究所の所長が出て来て、(後で分かった)ベテラン看護婦と一緒に診て、「家に荷物を取りに帰りなさい、すぐ移殖手術」と即決。そこまで行っているとは思っていなかったので驚いたの何の。要約して言うと、傷口から毒素が出始めていて命が危ないらしく、確かに退院後血など出ていなかったはずなのに取ったガーゼは変な色。町の医者は救急病棟が指定した透明なクリームを使わず、別のべっとりした白いクリームを使用。その上わざわざ「包帯は緩く巻くように」と言われていたのにきつく巻いてしまったのです。そのどこが悪かったのかは分かりませんが、傷口にたくさん膿が出ていた様子。そして地獄の痛み。退院するまでの数日間は痛みは1度の火傷(1番軽い)所だけ。4日間非常に平和に過ごし、退院となったので喜んでいたのですが・・・。

結局前の大病院の言った事をそのままやっていればそのまま回復したはずが、元々は大した出血も無く、膿の《う》の字も無かった所がひどい有様。なので移殖と言われて驚いたものの受け入れるしかありませんでした。その結果1週間強再入院。手術は翌日で、その後はホッチキスで貼り付けた皮膚がくっつくのを待つばかり。

2つ目の大病院はこういう怪我を専門に扱っている所で、アフター・ケアーのシステムが確立されていました。約2年かかると言われ、その通り2年ほど定期的に通っていました。医師に言われた通り馬鹿正直に全部やる患者はあまりいないらしいのですが、私はそんな事は知らず馬鹿正直に毎日水を2リッター飲んだり、圧力のかかる上着を着たりして過ごしました。その結果皮膚は拒否反応も無く無事張り付き、確かに目で見れば傷跡があることは分かりますが、体に穴が空いたような状態になって、中の肉が蝋のように見えていた事故直後の状態を考えると、修理ができたという感じになっています。

《1度入院して手術し、退院したり、退院できそうな状態になったところでまたやり直し》という経験は身近でも例があります。その時の患者の心理状態は《失望》という一言で内容は言い表せますが、試験に落ちたり、欲しい物が手に入らなかった失望とは違った変な複雑さが伴います。苦々しいというのでもなく、忌々しいというのでもなく、悲しいというのでもなく、文学に造詣の全く無い私にはいい言葉が浮かびませんが、何となくほろ苦い感じです。

井上さんの話がこの方向に発展したので、私はハラハラしながら見ています。癌だと言われただけで十分ひどいショック。そこへ追い討ちをかけるように血栓症。人生は時としてシビアな方向に向かう時があります。お友達が一生懸命周囲でサポートをしている様子が伝わり、私もいくらか慰められますが、本人の不安はそれとは別な所でしっかり存在しているので、井上さんがその間で上手くバランスを取れることを祈る毎日です。

★ ようやく本題

さて昨日は何と生まれて初めてあのベルリンのフィルハーモニーで2時間ほどクラシックの音楽を聞くことになりました。「なりました」と言うのは突然ティケットが降ってわいたからです。近所の知り合いが体調を崩し行けなくなってしまったため、ティケットを譲ってくれたのです。

大枚2桁の金額(日本円にする時はゼロを2つ追加)ですし、場所があの有名なフィルハーモニーだと言うので、ありがたくティケットを譲り受け、次の問題は「はて、何を着ていこうか」。世界的に有名なコンサートホール、しかもクリスマスの夜の公演。ドイツのクリスマスは12月26日までで、26日も会社は休みです。演目を見ると《ポピュラーなクラシックの曲》とあり、大抵の人が1度ぐらいは聞いたことのある曲が並んでいます。という事はTシャツ、ジーンズでも大丈夫と踏んで、私は普通のズボンとシャツにまがい物の宝石のネックレス(ガラス製で宝石らしく見える)をつけて行く事にしました。

幸いな事にこの日は暖かく、普通のオーバーで大丈夫。大きなホールだろうということで中で道に迷うことを想定して早めに行きました。到着は開演の50分前。既に大勢の人が来ていました。こういうコンサートは知り合いと早めに行き、ロビーでシャンペンやコーヒーを飲みながら30分以上おしゃべりをするのが習わしになっています。

私はフィルハーモニーの向かいの国立図書館の常連で、フィルハーモニーには行ったことがなかったのですが、中は似たように複雑な作りになっているだろうと踏んでいました。この2つの建物は外から見ると2卵生双生児のように似ています。通りを挟んで両側に立っていて、ファンタやベルリン映画祭が開かれるポツダム広場の近くにあります。

私の席は古い劇場で言えば天井桟敷のような上の方。そこまで行くのにかなりの階段を上ります。恐らくはフィルハーモニーの中では安い席なのでしょうが、オーケストラの真後ろで、意外といい場所でした。1番上というハンディーはありますが、演奏の様子は背中側からよく見えます。そして指揮者の顔は直接見えます。ピアニストも反対側からではありますが、よく見えます。

早めに着席し、楽団員の席を見渡すと左の向こう側がコントラバス7本。そのまま手前の最後列に目を移すとティンパニー、など打楽器の席。そしてハープが1つ。その前の列は左の方から右に向けて管楽器だろうと思われます。その前が左からチェロ軍団、ビオラ軍団、バイオリン軍団・・・てな具合だろうと思っていたらその通りでした。クラシック音楽はソウルやポップスと違いあまり慣わしを破りません。

普段クラシックのコンサートを見慣れている人はこの配列を左右ひっくり返して考えてください。私は背面から見ているので。

定刻になると指揮者登場。日本人かと見間違えるような中国人。中国人だと分かったのは終わってからです。体の動かし方から表情まで一般の中国人とかなり違います。

おもむろにタクトを振り始め聞こえて来た音は軽快で、ピシッと決まっています。《ポピュラーなクラシック音楽》と言うだけあって、あまり深みや重みが無く、代わりに軽快さで親しみやすくなっています。指揮者がそういうスタイルを選択したのでしょう。クリスマス・コンサートなので皆が楽しく乗り、終わってから楽しく家路につくことを期待しての演奏。

私の席は仮にマイクを使ったとしても生の音が直接聞こえる場所。最初の曲で感じられたのは、弦楽器のうち、バイオリンとビオラはなかなか良く揃っている、腕も確かという点。チェロとコントラバスはややリズムに遅れる感じでした。管楽器もバイオリン系と良く合って軽快なリズムを刻んでいます。カラヤンのような緊張するバンド、失礼、オーケストラではなく、皆がリラックスしていながら、リズムはピシッと決まります。

何となく不足気味に思えたのは音がデジタル風で、言わば 3D でなく 2D のような印象の音になっている点。音響のいいはずのフィルハーモニーで目の前の演奏を聞いているのに変だなあと感じました。

★ 因縁のカラヤン

私は20年以上前、1度野外でカラヤン指揮のフィルハーモニーのコンサートに出かけて行ったことがありました。ところがなぜかその日カラヤンはオーケストラの団員とクラリネット奏者を採用するかしないかで大揉め。挙句の果てにオーケストラからは総すかんを食い、カラヤンはつむじを曲げ、双方折り合わないまま欠席。副指揮者が代わって出て来ました。

これは私に取っては後にも先にも人生でたった1度カラヤンの生を聞くチャンスだったのですが、よりによってその日彼は出て来ない。しかも天候不順で大雨。一時演奏中断。客席は大洪水。それでも観客はじっと座ったまま。観客の殆どはカラヤン・クラリネット騒動を知っていたので、この日カラヤンが来ないことは知っていました。なのでこのまま帰ってもおかしくないのですが、誰1人家に帰ることはしません。雨が小ぶりになって演奏再開。

その時私は一生に1度でも聞ければ幸運というすばらしい音を聞いたのです。雨の後空気が澄んでいたからでしょうか、とにかくあんな純粋な音は聞いたことがありません。その上滝のような雨が降っても1人も帰らず、カラヤンのいないフィルハーモニーでも聞こうと忍耐強く待つ観客を前に、オーケストラは大々的に張り切り、凄い演奏になりました。中にはこの日を最後に引退する演奏家もおり、わざわざその人を引き立ててソロまでありました。楽団員はどこかリラックスしつつ、それでいて一生に1度と言えるような音を出していました。私はその場に居合わせたので、カラヤンが見られなくても物凄く儲かったような気分で帰宅。何十年も経った今でもその事を覚えています。カラヤンは厳しさ、気難しさで有名。演奏の時はぴりぴりしているという話が伝わっていました。そのカラヤンに認められ採用された超一流の優れた楽団員が、この日はカラヤン抜きで、本来ならどうなるか分からない演奏会のはずだったのですが、私はカラヤンというネームバリューをとっぱずした、素人には名も知られていない演奏家のすばらしいティームワークに遭遇したのです。

★ 2011年の現実

そんな音を聞いたこともあった私にはこの日のコンサートがデジタル録音の CD に近く聞こえ失望。途中で登場した日本人のピアニストにもちょっと失望。中国人の指揮者は日本人のような体の動かし方をし、日本人のピアニストは韓国人かと思いましたが、出身国予想は全然外れていました。そのピアニストに私はちょっと感心した面もあります。のだめちゃんと違い、彼女は指揮者の指示に忠実に従い、自分の解釈は殆ど入れていませんでした。なので自分色の無い演奏と言えます。そこはマイナス要素ですが、驚いたのは彼女の腕力。緩く波打ったように腕を動かしながら演奏するので、さぞかし滑らかな柔らかい演奏になるだろうと目だけで見ると思えますが、音を聞くと物凄いパワーで鍵盤を叩いています。あんな音を出しているのに手や腕は滑らかに波打つだけだったた、最初これはアテレコかと思ったほど。マッズ・ミケルセンが演奏したように音の出ないピアノを用意し、彼女は手をドラマチックに動かしているだけなのかと思ったほどです。しかし間もなく本当に演奏していることが分かりました(ごめんね、疑って)。

まあ、とにかく凄いパワーです。

のだめちゃんのように自分の解釈を前面に出さないので、指揮者と揉めることは無さそう。ま、自分の解釈はソロの時にやればいいし。

何となく聞いていて一流だなあという感じのしないオーケストラですが、何曲演奏しても最初の印象が崩れず、バイオリン、ビオラと管楽器のまとまりが良く、他はちょっと遅れを取っている印象でした。

次に登場したのはバイオリンのソリスト。この人はピアニストよりは自分流を少し入れて、かつ指揮者と揉めない程度オーケストラに合わせて、可も無く不可も無く無難な演奏。

休憩の直前にピアノの演奏があったのですが、休憩に入ってちょっと余所見をしている間に大きなグランド・ピアノが消えていました。特に横に押したような気配は無かったので、リフトでもついていて、地下に潜ったのかの想像していますが、おもしろい場面を見過ごしたと悔しがる私でありました。

後半も可も無く不可も無くの演奏が続き、最後指揮者の手前にドラムを持って来る人がいました。何だろうと思っていたら、さっきまで最後列でドラムを叩いていた人が最前列へ。「あ、ボレロだ」と思いましたが、ボレロの演奏でドラムを最前列に連れて来るのを見たのは後にも先にもこれが初めて。この人はボレロの間一瞬もリズムを狂わせることなく正確に撥をたたいていました。

この人とティンパニーは演奏家として最低限の技術を持っているだけでなく、絶えず練習を怠らないのだと思いました。打楽器の人は曲の大部分じっと座っていて、時たまどーんと鳴らすなどという事も多いのですが、それでも毎日浅田真央に負けないぐらい練習している人もいるようです。

★ 驚きのフィナーレ

ラヴェルのボレロをフィナーレに持って来ていました。その1つ前の曲が終わった時観客が大声で「ブラボー!」と叫んだので私はびっくりしてしまいました。後半やや実力が落ちているような印象だったので、そこでなぜ「ブラボー!」なのかと。その後おもむろにドラムから始まったボレロ。

ボレロはアイス・スケートでも優秀な選手だけが踊れることになっているほど欧州では有名な曲で、とても好かれています。演奏する方に取っては所々で普段あまりソロを取れない楽器がソロ演奏できるので、実力の見せ所。普段大勢の中に埋もれている優秀な音楽家が腕を見せる場所です。なので張り切っているでしょうし、逆に責任も重大。何しろとちると目立ちます。

ここからとちりの雪崩が始まりました。発端はテノール・サクソフォン。これまでも曲が変わり、必要の無い楽器は一時退場し、また後で出て来るなどという事を繰り返していたのですが、ボレロになって現われたのはサクソフォン。私も最初の曲が始まった時サクソフォニストがいなかったので変だなと思っていたのですが、最後の曲以外はサクソフォンは必要なかったので、舞台裏で待機していたようなのです。

ボレロになり数人追加があり、女性サクソフォニストも2人登場。中の1人がテノールで、この人がまさかのミスをやらかしました。ソプラノ・サクソフォンは何とか無事やり終えたのですが、その後怒涛のような管楽器の失敗の連続。何じゃ、これは。最後の曲、しかも1番観客に好まれている曲、そして演奏家の見せ場のこの曲でこんな失敗の連続ってあるだろうか。ドラムとティンパニーは全く失敗せず、弦楽器は非常に勤勉に枠を固めているのに・・・。まあ惨めとしか言いようの無い終わり方で、まさかこれには「ブラボー!」と言う人はいないだろうと思っていたらなんと「ブラボー!」の大合唱。何ですか、これは。

帰宅の途中バスの中で、これはもしかして管楽器の反乱ではないだろうかとすら思ったほど。それまでは指揮者とオーケストラにこれといった対立の様相は見られず、それなりに和気藹々とやっているように見えたので、最後の1曲はちょっとした驚きでした。ボレロを生で聞くなどというチャンスは殆ど無く、私も恐らく一生で2度目ぐらいと思います。それもあの世界的に有名なフィルハーモニーの中で聞ける!なのでこの結果は理解できませんでした。

★ オーケストラの氾濫

ドイツは文化に一定の額のお金を払います。壁があった時代には才能の無い画家まで手厚く保護していたので呆れたほどです。当然絵や彫刻ばかりではなく音楽にも大枚はたいていて、コンサート・ホールもいくつもあり、ラジオ局がお抱えのオーケストラを持っていました。毎年音大を卒業する学生がいるわけで、受け入れる先が無ければなりません。中にはソリストとして成功するほどの才能を持った人もいますが、大抵はそこまで抜きん出ているわけではなく、かといって音楽は趣味よと言うほど才能が乏しいわけではない。ドイツ人は本職が別にあって趣味でかなり本格的なクラシック、ジャズの音楽をこなす人もおり、音楽人口は多いです。

そんな中で音大を出ると行く先は学校の音楽教師とオーケストラ。そこまで行かない人は時間給の教師。オーケストラに入れない人は確かに私の目から見てもあまり才能が無く、理論だけ頭に叩き込んである人が多いですが、オーケストラに入れる人は専任でも、フリーでも一応の腕は持っています。

冷戦が終わるまでベルリンなどは人工的に養われていたため、予算の使い方に偏りがあり、過剰なほどオーケストラがありました。ベルリン・フィル、ベルリンのラジオ局が少なくとも2つ、そして当時首都だった東ベルリンにもれっきとしたオーケストラがあり、その他にオペラ座にも楽団がいたはずです。西ドイツにも放送局でオーケストラを持っているところがあり、それはそれは丁重な扱いを受け保護されていました。

冷戦が終わるとそうも行かず、ラジオ局ごと合併も起こり、オーケストラも似たようなことになっています。東の音楽家も国を挙げて立派な音楽教育を受けており、ポップスやカントリーの歌手でも音大を出ているようなレベルでした。ですから冷戦後は音楽家のデフレ状態が続いています。

★ 主な放送局のオーケストラ

 ・ hr 交響楽団(旧姓: フランクフルト放送交響楽団、西)
 ・ MDR 交響楽団(旧姓: ライプツィヒ放送交響楽団、東、
   ライプツィヒ放送フィルハーモニー管弦楽団とライプツィヒ放送交響楽団の合併)
 ・ 北ドイツ放送交響楽団(戦後結成、西)
 ・ ケルン WDR 交響楽団(ケルン放送交響楽団のこと、戦後放送局の開局と同時に結成、西)
 ・ ケルン放送管弦楽団(WDR 所属でケルン放送交響楽団とは違う、西)
 ・ ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団
   (ザールラント放送協会と南西ドイツ放送協会に所属、西、
   ザールブリュッケン放送交響楽団とカイザースラウテルンSWR放送管弦楽団の合併)
 ・ シュトゥットガルト放送交響楽団(旧姓: 南ドイツ放送交響楽団、戦後結成、西)
 ・ 南西ドイツ放送交響楽団(戦後結成、西)
 ・ バイエルン放送交響楽団(西)
 ・ ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(西)
 ・ ベルリン・ドイツ交響楽団(別名: アメリカ軍地区交響楽団、改名: ベルリン放送交響楽団、
   戦後 RIAS という放送局のために結成、西)
 ・ ベルリン放送交響楽団(東)
 ・ ミュンヘン放送管弦楽団(西)
 ・ ライプツィヒ放送吹奏楽団(東)

現在生き残っている放送局のオーケストラは圧倒的に西側が多いです。

★ ベルリンのオーケストラ

 ・ カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ室内管弦楽団
 ・ ベルリン交響楽団(西)
 ・ ベルリン古楽アカデミー(東)
 ・ シュターツカペレ・ベルリン(直訳: ベルリン国立音楽隊)
 ・ ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(東、東西に分かれる前からあった楽団)
 ・ ベルリン室内管弦楽団(東)
 ・ ベルリン・ドイツ交響楽団(上に挙げた米軍系放送局RIASの楽団、西)  ・ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(所謂ベルリン・フィルのこと、カラヤンも所属、西、この日私が訪ねた建物が根拠地)  ・ ベルリン放送交響楽団(上に上げた放送局の楽団、東)  ・ マーラー室内管弦楽団(冷戦後に結成)

とまあ、数百万都市としてはかなりの数のオーケストラがあります。クラシックは全然追いかけていなかったので、この夜私が見たのがどれだったのかはよく分かりませんでした。プログラムには小文字で書いてあり、ドイツでは固有名詞が大文字か小文字かというのは全然違う物を指すことがあるので重要。ベルリンのオーケストラをインターネットで探した時には、小文字で書く楽団は見つかりませんでした。勝手に合わないだろうという選択肢を外すと、残るのは

 ・ ベルリン交響楽団(西)
 ・ ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(東)
 ・ ベルリン・ドイツ交響楽団(米軍系放送局RIASの楽団、西)
 ・ ベルリン放送交響楽団(放送局の楽団、東)

演奏者ののんびりぶりから見て、所謂ベルリン・フィルは外してよかろうと思います。逆にフル・メンバーの規模から言うとここに挙げた以外の小さな楽団は外していいと思います。楽団は何度も名前を変えることもあるので、これ以上選択肢を狭めることができませんでした。

ま、人に貰ったティケットでここまで楽しめたのだから、素直に喜んでいます。私が音にピーチクパーチク文句を言っていても額面どおりに受け取らないでください。とりあえず生演奏が聞けたというだけで大喜びしており、ピーチクパーチク言えたことも喜んでいるのですから。

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