映画のページ
2010 UK 118 Min. 劇映画
出演者
Michael Gambon
(George V - 英国、アイルランド王、インド皇帝、英国在位 1910 - 1936年、エドワード、ジョージの父親)
Claire Bloom
(Mary - 英国王妃、エドワード、ジョージの母親)
Guy Pearce
(Edward VIII - 英国、アイルランド王、インド皇帝、英国在位 1936年、1年弱、後のウィンザー公爵)
Eve Best
(Wallis Simpson - エドワード8世の愛人、後のウィンザー公爵夫人)
Colin Firth
(George VI - 英国、アイルランド王、インド皇帝、英国在位 1936-1952年、エリザベス、マーガレットの父親)
Helena Bonham Carter
(Elizabeth - 英国王妃)
Freya Wilson
(Elizabeth - 王女、ジョージ6世の長女、後の英国連邦女王)
Ramona Marquez
(Margaret - 王女、ジョージ6世の次女)
Tim Downie
(Henry - グロスター公、ジョージ5世の3男)
Orlando Wells
(George - ケント公、ジョージ5世の4男)
Geoffrey Rush
(Lionel Logue - オーストラリア人の言語障害治療師)
Jennifer Ehle
(Myrtle Logue - ライオネルの妻)
Calum Gittins
(Laurie Logue)
Dominic Applewhite
(Valentine Logue - ライオネルの息子)
Ben Wimsett
(Anthony Logue - ライオネルの息子)
Anthony Andrews
(Stanley Baldwin - 英国首相(任期 1923-1929年、1935-1937年))
Roger Parrott
(Neville Chamberlain - 英国首相(任期 1937-1940年)、閣僚(任期 1923-1929年、1931-1937年)、枢密院議長(任期 1940))
Timothy Spall
(Winston Churchill - 英国首相(任期 1940-1945年、1951-1955年)、閣僚(任期 1910-1911年、1924-1929年))
Derek Jacobi
(Cosmo Lang - 大司教)
Andrew Havill
(Robert Wood - 学者)
Roger Hammond
(Blandine Bentham - 王室御用達医師)
Richard Dixon (秘書)
Dick Ward (執事)
見た時期:2011年9月
★ 予想外の広がり
名のある俳優がたくさん出ている、有名な王室のメンバーが顔を揃えるなど、タブロイド誌的な期待を持って見ました。ところが見終わってびっくり。自国の王室をこんな形で映画化していいのだろうかという疑問と、あの事件はとんでもない広がりを持っていて、世間に言われている大恋愛の話はとんでもない与太話だということが分かりました。
まず登場人物の実像をご紹介します。当初は主人公から重要度の順に並べていたのですが、話が複雑に絡んでいて、この順番で読むと頭がこんがらがると分かったので、時代の順に並べ替えました。なのでビクトリア女王から始まります。
私は歴史を学んだことは義務教育以外無いので、有体に言えば無知。ここで参考にした資料はインターネットの各種記事で、インタビュー入りの記録映画も含まれます。その部分は英国が英国の国益を考えて作っているので、スタンスは英国寄りです。出来事、証言、書類の部分はしかし実際にあった事や、「ある人がこう言った、こう書き残している」という意味で事実です。亡くなった人も多いので反論をチェックすることができていませんが、反論の余地の無い事実もあり、この先30年後までにはさらなる書類が公開されるので、いずれは分かると思います。あと30年生きていられるかな。
最初は映画の部分を先に書いていたのですが、それも混乱を呼ぶので後に回します。
★ ビクトリア女王 (1819年−1901年、在位1837年−1901年 63年半ほど)
ジョージ3世、ジョージ4世の死去に続きジョージ4世の弟ウィリアム4世が王に。その後をビクトリアが独身で継承。それまで王室は数々のスキャンダル、トラブルを抱えていた。
従姉が英国女王になる予定が、番狂わせの死去でビクトリアに回って来る。
母方はドイツ系。
夫はアルバート。妻と同い年。42歳で病死。夫婦仲良好。夫婦共に家庭を大切にした。
子供はビクトリア、アルバート (後のエドワード7世、問題児)、アリス、アルフレッド、ヘレナ、ルイーズ、アーサー、レオポルド、ベアトリス。
議会制民主主義、立憲君主制、大英帝国の植民地のシンボル的存在。
★ エドワード7世 (1841年−1910年、在位1901年−1910年、9年ちょっと)
ビクトリア女王の後継。
親から厳しい躾を受け、行き過ぎ気味。自分の子供には同じ事をやらなかった。
ビクトリア女王在任中から公務をこなす。
プレーボーイ、問題児で、世界的に有名な公妾(英国王室にはロイヤル妾という地位がある)は現チャールズ王子の妻カミラの3代前の女性。
妻アレクサンドラはデンマーク王室の女性で、夫婦仲は最悪。
子供は
アルバート、ジョージ(後のジョージ5世)、ルイーズ、ヴィクトリア、モード、アレクサンダー(生後間もなく死亡)。
ニックネームはジョージ6世と同じバーティー。
★ ジョージ5世 (1865年−1936年、在位1910年−1936年、25年半ほど)
マイケル・ガンボンの役
エドワード7世の後継。
両親から厳しい躾は受けなかった。父エドワード7世のプレーボーイ生活は結婚後も続き、母親アレクサンドラは子育てに尽力。長男病死という番狂わせでジョージ5世が後継になる。
非常な癇癪もちで親をてこずらせた。
結婚相手は元々兄の妻にと考えられていた女性マリー。夫婦仲良好。
父エドワード7世が将来の国王になるべきジョージ5世に準備をさせており、妻マリーの協力も得られる。王になってからいくつかの政治問題に取り組み、解決に至ったこともある。
子供は エドワード8世、ジョージ6世、メアリー、ヘンリー、 ジョージ、ジョン(少年時代に死亡)
妻マリーは伝統に従い子供を自分の元で育てなかった。ジョージ5世の子供たちは家庭の味を知らずに育つ。
☆ 政治問題はきっぱり
学業、軍では成績不良。世界中を訪問したため世界の事情には明るい。
第1次世界大戦でドイツと事を構える。この時きっぱりと英国の国益に沿って行動。後に長男エドワード8世がドイツと関係が深めることを問題視。
血族のいる国と戦争をする反面、助け舟を出したこともあり、その都度難しい決断を下す。様々な決断を見ていると、政治家としての力量が見える。
エドワード8世が王になった時の英国の行く末を心配しながら亡くなる。
☆映画での描き方
英国王のスピーチだけを見ると、ジョージ5世はジョージ6世のトラウマの原因のように描かれていますが、1歩下がって見ると、国を背負って行くのが大変な仕事だと分かった上での行動ではないかと解釈できる面もあります。英国王室の家系には癇癪持ちやヒステリーを起こしやすい人物が多いですが、国家元首としての重責に耐えられる力はつけなければならず、そのための厳しさもあるようです。
その反面、現代、そして外国から見ると英国人の躾は極端に見えることがあります。日本ではあまり言われませんが、大陸側の欧州人の多くは英国人はエキセントリックだと信じています。ジョージ5世がやった息子の躾は私にもちょっと度が過ぎるように見えます。また、英国の苛めはいくつかの文学でも垣間見ることができますが、やはり他の国と趣が違い、私にはそれも度が過ぎるように思えます。と言うか、他の国々が大分前に止めたことがまだ行われているのかも知れません。
★ エドワード8世 (1894年−1972年、在位1936年、一年弱)
ガイ・ピアスの役
ジョージ5世の後継。ジョージ6世の兄。独身で即位。退位後ウィンザー公爵。
後の妻は大問題になったシンプソン夫人。子供無し。
長男として生まれ、父が王だったため、次の王に始めから決まっていた。伝統に従い乳母などに躾られていたので家庭の味は知らない。教育係に厳しく躾られる。学業、軍とも振るわず。将来の王の準備は行われる。
第1次世界大戦に直接参戦は許されず慰問を行ったため、大戦の状況はある程度直接把握。映画のシーンにあるように飛行機に乗れる。
メディア受けは良かった反面失言もある。
ファッション感覚に優れていた。
稀代のプレーボーイで、年上の女性、既婚女性を好んだ。シンプソン夫人もその1人。
☆ お妃問題
独身で即位。即位前からお妃問題が起きている。英国はヘンリー8王の離婚再婚問題でバチカンと張り合った後、自国でローマ法王に似た人物を立てており、それが英国国王。英国王は政治と宗教の両方のトップ。王は落ち着いた結婚をし、子供を作るのが望ましいと考えられていた。独身者が王になるのは全く問題無しだが、いずれお妃を娶り、家庭を築くことが期待されていた。
エドワード8世も独身時代のお遊びはそろそろ止めて身を固めろと周囲から言われていた。そこで彼が選ぼうとしたのがシンプソン夫人。当時は1度離婚し、2度目、シンプソン氏と結婚していた。夫妻の知人が夫妻とエドワード王子を引き合わせ、王子とシンプソン夫人の関係が始まる。シンプソン氏は黙認。(問題点1 既婚者である。問題点2 その前に離婚歴がある。)
3つ目の問題は彼女が英国人でなく、外国、元植民地の出身だったこと。
最初の2つは教会の長という立場に合わず、3つ目は外国でも王室が親戚ならいい、そこから外れるのはあまり好ましくない、元植民地では英国人のプライドに少し傷がつくという話。
4つ目の理由が真打。ドイツとの関係で、これは後述。
☆ 欧州の誤解
ドイツでは皇后陛下のことを《女帝》と呼ぶ人がいるのですが、日本人の目から見るとそれは誤訳。ドイツ語では天皇陛下が《カイザー》で皇后陛下はその女性形の《カイザリン(女帝)》です。この勘違いは欧州の王族の習慣から出たようです。
なぜか分かりませんが欧州では《王と結婚した女性》は時々《女王》と呼ばれるのです。その反対に女王と結婚した男性は《王》とは呼ばれません。どこで話が飛んでしまうのか分かりませんが、私も数年前まで時々ドイツ人の女性から「雅子妃殿下が女帝になるのはいつか」と聞かれることがありました。なぜかこの問は女性からしか出ませんでしたが、いつの日か雅子妃殿下が天皇になる日が来ると考え違いしている人がいるようなのです。
☆ 女王に相応しくないという英国事情
こういう話がありと考えると、エドワード8世と結婚する女性を英国人は《クイーン》と見なさなければならず、その女性に離婚歴があり、元植民地出身の外国人で(この種の話なると独立前の古い話も引っ張り出されます)、ヒットラーとなにやら怪しい噂があるとなると、第2次世界大戦開戦前の英国としては非常に都合が悪いわけです。
この出来事を何十年も経ってから政治史として分析した人によると、外国人であるという点は目をつぶっても良かったそうです。教会の長でもあるので都合が悪く何百歩か譲らなければなりませんが、それでも離婚歴でさえ目をつぶれないことはなかったそうです。植民地がどうのという話も大国になっているアメリカに対して今さらということで忘れている人もいました。唯一どうしても譲るわけに行かなかったのが、ヒットラー。そりゃそうでしょう。
☆ ドイツとの関係の両面
あまり大きく語られませんがエドワード8世がドイツと仲良くすること自体は全く問題にはなりません。何しろ母親がドイツの王女だった人。ビクトリア女王もドイツ系で子供の頃はドイツ語をしゃべっていた人。エドワード8世は休暇はドイツで過ごしており、ドイツ語もできたそうです。欧州の王室はお互いに親戚という例が非常に多く、《お母さんの故郷が好きな息子》で悪いはずはありません。
問題なのは間もなく国家元首になろうという人が、その時の政治の状況に疎いか、あるいは英国の政界が何を気にしているかに疎い、あるいは自国の政治家の立場になって物を考えなかった点にあるようです。ドイツはその頃ファシズムに向かっている最中で、大声でがなりたて国民を熱狂させる件の人物が政界を圧倒している最中でした。英国政界はこの点を非常に深刻に受け止めていました。そして件の人物はドイツのトップに来てしまいます。
エドワード自身がなぜかファシズムに傾倒していて、そこへドイツではヒットラーが台頭、エドワードの周辺にシンプソン夫人が現われ、急にこういった要素が結びついてしまいました。英国王室の一部にファシズム派がおり、エドワードはそちらに近かったそうです。この方向は英国王室全体では少数派、父親も不賛成、国会は反対。
結局エドワードは孤立してしまい退位を決意。短い王位でした。
たった1年弱であっさり退位ですが、非常に複雑な事情があり、後述。
★ ウィンザー公爵の夫人シンプソン (1896年−1986年)
イヴ・ベストの役
アメリカ人。初婚はアメリカ空軍士官、11年後夫の暴力と飲酒が原因で離婚。直後の再婚は同じくアメリカ人シンプソン氏。8年持って1936年離婚。2人の間はずっと良好。
この離婚に関してはあれこれ言われていますが、どの話を信じたらいいのかは分かりません。シンプソン夫妻は知人で即位前のエドワードの愛人からエドワードに紹介されます。これが1931年。1933年に夫人は王子の愛人に。夫シンプソン氏は黙認。王子がシンプソン夫人と結婚したいのでシンプソン氏に離婚を催促し圧力をかけたという話が伝わっていますが真偽不明。
エドワードの退位が1936年1月、シンプソン夫妻の離婚成立が1936年10月、エドワードとシンプソン夫人の結婚が翌年6月です。しかしシンプソン元夫妻はその後もずっと仲が良かったとも伝えられています。
エドワードと結婚してからも彼女が多くの他の男性と性的関係を持っていたという情報が諜報関係でキャッチされており、部分的には発表もされています。彼女に対するメディアのバッシングの一部は計画的に行われているので、どこまでが真実なのかは分かりません。しかしエドワードとの結婚後も怪しげな人物との関係が見られ、加えて彼女が関わらなければ伝わるはずの無い情報が英独の間で行き交ったりしているので、問題は離婚歴がどうのという話ではなくなります。
☆ 結婚は望まれていなかった − 周囲の巻
彼女の登場で英国王室は混乱を来たします。当時既婚者だった夫人は《王子の愛人路線》で行くつもりだったようです。ところが周囲はこのまま行くことを許さず、エドワードに身を固めることを迫ります。
周囲が望んでいたのは、《エドワードがシンプソン夫人と別れ、政府も良しとするような女性と結婚し、子供を作る路線》でした。シンプソン夫人が離婚し独身になり、エドワードと結婚するのは、それなりに筋が通りますが、教会の長でもある王としては相応しくないという考え方が支配的。そのため政府は《シンプソン夫人と結婚するなら退位》と迫ります。
・ 英国政府は既婚者で、望むらくは既に子供のいる人物を国王にしたい
(エドワードに政府の望む形で身を固めてもらいたい)
・ 英国教会は離婚した人物を王室に入れることはまかりならんと考える
・ エドワードはシンプソン夫人と正式に結婚し、王になりたい
・ シンプソン夫人は愛人のままエドワードと関係を続けたい
・ ドイツ政府はエドワードに王位を継いでもらいたい、シンプソン夫人にはエドワードの近くにいてもらいたい
ということで、最初はエドワードの退位はテーマに上がっていません。英国政府、教会はシンプソン夫人の退場のみを願っており、その後エドワードが未婚の女性と結婚して子供を作ってくれればめでたしという考え方でした。結婚はどうでもいいけれど退場は困ると考えたのが、シンプソン夫人とドイツ政府。エドワードはあれもこれも望んではいますが、1番手放せないのがシンプソン夫人で、王位は(取り合えず)無しでも良かったようです。この話には2回戦があります。後述。
ここでドイツ政府が話に飛び込んで来ます。実は非常に規模の大きい問題が絡んでいるのですが、それは後で。
☆ コースを外れる
かなりの紆余曲折の結果、エドワードはまず父ジョージ5世の跡を継いで即位、1年後話がエドワードの望む方向に行かず、退位してシンプソン夫人と結婚。退位と共に新婚の2人は英国を去ります。長い間各国を転々としていましたが、戦争が終わり、ヒットラーもいなくなり、将来政治の世界に戻る見込みが無いと分かってからはフランスに定住しました。そこでエドワードが70年代に死に、夫人は80年代中頃に死にます。
☆ ロマンチックな話ではなかった
この話は《王冠をかけた恋》などとロマンチックに語り伝えられていますが、当時公になっていない話があり、現実にはかなりシビアな、そしてとんでもなく大きな話だったようです。エドワード8世とシンプソン夫人はある程度そつなく立ち回ったようですが、後ろにはこの2人が動かせるような相手ではない知恵者がいて、その人たちがおそらくは3手か4手に分かれて激しく争っていたようです。
彼女の性格は片側を贔屓すると自動的に反対側からけちょんけちょんに言われるようで、どの話が本当なのか分かりにくいです。見栄っ張り、モラルを知らない、贅沢好き、上昇志向が強いなどと言われることが多いです。反対に元夫と長い間友好的な関係にあったとも言われており、客観的に証言のできる人が年齢の関係でほぼ死に絶えた現在でははっきりしません。加えて政府お抱えのバッシング・キャンペーンも計画されていたので、彼女に関するタブロイド誌に載るような逸話は適度に値引きして聞いておく方がいいです。
☆ 人を所有する人
きちんとした証言が撮影されて残っている話を参考にすると、シンプソン夫人は《エドワードを支配した人》ではなく、《所有した人》だとのことです。かかあ天下、彼女の言う事を何でも聞いたという生易しい関係ではなく、サドマゾのドミナが彼女だったというのでもなく、それを通り越して、彼女がエドワードを所有していたそうです。
これは映画のエドワードがワインを自ら地下室に取りに行くシーンでチラッと見られます。現代では高い地位にいる人でも女中さんを使ったりせず庶民的に自分で物を取りに行くことはいくらでもありますが、当時の時代、地位を考えると、自分の妻や愛人が何かを望む → 彼女より地位の高い夫や愛人が部下や召使に用をいいつける → 部下がそれを持って来る → 彼が受け取る → それを彼が彼女に渡す という手順を踏まなければなりません。彼女の言う通りにエドワードが自分で用を足すと、非常に王/王子の威信が傷つき、大きな問題になります。
側近や部下に取っては自分が尊敬する王が外国の離婚歴のある女性にいいように使われていて、そんな王の用を足さなければならないことになり、側近や部下のプライドが非常に傷つきます。王室には《ロイヤル正妻》という称号の他に《ロイヤル妾》という称号があり、王の愛人にはそれなりの敬意が払われます。その代わりその女性にもきっちりした規則があり、規則を守る限りはそれなりの待遇を受けられます。ところがシンプソン夫人はその規則から外れていた様子です。
☆ スパイ行為・・・あった?
騒ぎの当時から問題視されていたシンプソン夫人のスパイ行為の疑いについては FBI 他の調査機関が調べたそうで、噂を裏付ける話がいくつか出ています。複数の要職にある男性との性関係も噂されていますが、そこも調査があったようで、いくつかは確実のようです。
首相が内閣の話を午前中に王に伝えたら、同じ日の午後ドイツの要人が既にその話を知っていたという有名な話があります。朝内閣が何かを話し合った → 首相が午前中に内容を王に伝えた → 王がシンプソン夫人に伝えたと思われる → シンプソン夫人がドイツ大使館に走った → ドイツ大使が夕方のレセプションで英国人と話した時すっかり話の内容を知っていた・・・これでは英国はかないません。
☆ ドイツは2つのルートを持っていた
エドワードは元々ドイツの王家と近い親戚関係にあったため、シンプソン夫人がいなくてもヒットラーに近いドイツの親戚が近づいており、当時の政権はこの関係をフルに活用しています。そこへエドワードにぴったり寄り添っているシンプソン夫人がいるというのはドイツ側にしてみれば非常に都合が良かったわけです。裏を返せば英国に取ってはだだ漏れ状態。その上国会と相談無く外国のトップと話をされては困るということで、英国の政界は普段考えられないほど大きな問題を抱えます。
私は歴史を勉強したことが無く、アーカイヴのビデオやインターネットの聞きかじりですが、ヒットラーは英国との戦争を望まず、エドワードを通して英国を懐柔しようと試みたようです。平和を望んだと言っても鳩だったというのではなく、経費のかさむ戦争無しで英国を掠め取れるものならその方がいいと判断したのではないかと思います。植民地を除いた英国は当時それほど強い力を持っておらず、戦争になれば1国ではどうにもならず、崖っ淵に追い込まれつつありました。外交がこんな状態の時に、自分の国の王が手続きをすっ飛ばしてよその国と話をつけてしまっては国会も国民もいい迷惑。
☆ 結婚は望んでいなかった − 本人の巻
シンプソン夫人は王子との結婚を望んでいたわけではなかったようで、それなら、こういう女性がいた、付き合った男性の1人が英国の王子だった、この女性は情報をあちらこちらに回している可能性があるから要注意程度の話で済んだでしょう。問題が深刻になるのは、王子が彼女との結婚を望んだからです。怪しげな人物が首相を始め VIP に近づいてくるのは当たり前の話ですが、結婚して王家に入るとなると話は全然違って来ます。
長い間英国内ではシンプソン夫人の存在は報道されず、外国では大ニュースでした。シンプソン氏との離婚が成立してからは政府の頭痛はますますひどくなります。そこである作戦が練られました。彼女の事を国内でも報道し、王の妃として相応しくないとしてバッシングを計画。取り合えず彼女の評判を落とす作戦は動き出します。
その間に首相、野党、教会などがエドワードに退位を迫り、エドワードは有名なメッセージを残して王位を去ります。シンプソン夫人の思惑はどんどん外れ、これでフィナーレとなります。エドワードが公務全てから手を引いたため、彼女も政界に影響を及ぼす術がなくなります。
☆ 退位、結婚後も続いた問題
結婚式に英国の王室の身内は出席せず、エドワードにはウィンザー公爵の位を与え世間体を保ちますが、シンプソン夫人の称号は公爵夫人で、公爵妃殿下にはなりませんでした。《ウィンザー公爵夫人》と《ウィンザー公爵妃殿下》では大きな違いがあります。ダイアナ妃が離婚した時、どういう称号にするかで色々揉めていました。あの時何をごちゃごちゃやっているのだろうと思ったのですが、英国は過去にこういう問題を経験していたため、王室の伝統に法って正式な妻になった人と、シンプソン夫人にはっきり区別をつけたかったようです。
ドイツとの近過ぎる関係が英国政府に取っては大きな問題でしたが、頷かされる出来事がいくつか伝わっています。1つは上にも書いたようにヒットラー政権のドイツ人外交官とシンプソン夫人が関係を持っていたこと。この話は根が深く、1回戦で敗れたドイツとウィンザー公爵夫妻は2回戦の作戦を練っていました。退位後夫婦でせっせとドイツを訪問。ドイツ側は2人の心理をしっかり把握していて、政府丸ごと2人を王のように待遇し、ウィンザー公爵夫人となった彼女を女王のように扱います。彼女に何もかも買い与えるエドワードにもできない事、国をもって女王として歓迎することをドイツ政府が行い、2人の自尊心をくすぐります。
ドイツが考えていて、本人たちもまんざらでなかったのか、英独戦でドイツが勝ったあかつきに夫妻が改めて新国王になるという話。英国政府は表向き歯牙にもかけない様子ではありましたが、内心非常に気にしていたようです。エドワードの後を継いだジョージ6世は特別に王位にこだわる人でなく、これは内閣を中心とした国家的な悩みだったようです。当時ウィンザー公爵夫妻があまりにも親独的な行動をするので英国政府はリスクを考え、2人にドイツと距離を保たせるために西インド諸島へ送ったそうです。
話が前後しますが、新婚旅行でもドイツを選んでいます。ヒットラー、ゲーリンクに歓迎を受けています。これはいくらなんでもちょっと行き過ぎではないかという時代の話です。
ただでさえ問題を起こし続けていたウィンザー公爵夫妻ですが、2人の周囲にはドイツと関係の深い外国の商人がうろつきます。エドワードの退位騒ぎより前からの知り合いも退位しても諦めることなく夫妻に張り付いていました。せっかく島流しにした西インド諸島にはドイツ人や政商が訪れ、夫妻はヒットラーの計画に欠かすことのできない人物になっています。
その間に兄国王に「影響力のある地位、公務を与えよ」乞いますが、そちらはきっぱり却下されています。
ヒットラーと言ってもエドワードは1人の人間を相手にするわけではなく、ドイツは上層部全体で《平和》という耳触りのいい言葉を使い英国から孤立しているエドワードを釣っていたようです。ヒットラー流の平和というのは戦争こそしませんが、相手国の政権を篭絡して自分の言う事を聞かせるという形で、その先にはファシズムが待っています。エドワードはファシズムが嫌いではない・・・。この作戦でドイツは周辺国を次々に手中に収めて行きます。
☆ 世界規模のストーカー?
プレイボーイ王子、国王、その後普通の貴族になった男性と結婚したシンプソン夫人ですが、本人は独身のままプレイガールを続けていた方が幸せだったらしく、エドワード8世との結婚の前も後も男性との噂が絶えませんでした。彼女がなぜ結婚を承諾したのかは謎です。平凡な私は彼女がロイヤル・ファミリーにあこがれて当時の王子、後の王を追い掛け回したのだろうかと思いましたが、実はむしろ逆で、王子/王が彼女を世界中追い掛け回した可能性が浮かんで来ました。
結婚前も後もエドワードは彼女に非常に高価な宝石など様々なプレゼントをしています。もしかすると彼女の性格はココ・シャネルと似て、ある程度の贅沢は望み、しかし自身の自由も望んでいたのかも知れないと思われます。誰かに影響を及ぼすことは好むけれど、身を固めて何々夫人と納まってしまうことは好まなかったのかも知れません。
ところが相手は世界中に使いを送ることのできる人物。外国にいてもしっかり密使がやって来ます。なので周囲の忠告を聞いて彼女が身を引いても、エドワードが追いかけて来るのを止めることは難しかったので、彼女は年貢を納めたのかも知れません。運命は彼女をもてあそび、彼女は国の運命をもてあそび、その彼女はエドワードに追い掛け回されていたとも考えられます。
現在までに良く分からなかったのは、アメリカ人の彼女がいつ、どこで、なぜドイツ政府と近くなり、深入りしていったのかと言う点。エドワードとドイツの関係ほど多くの資料は見つかりませんでした。彼女の場合王冠をかけた恋とか、スキャンダラスな話が先行し、歴史的な面、事実関係がそれほど多く出て来ていません。当時のアメリカにはドイツから学術関係者の間でシンパを探す人物が入り込んでおり、英国からはその動きも踏まえた上で調査が入っており、アメリカ自身も調査をしている時代でした。戦争は開戦前の方が複雑です。
★ ジョージ6世 (1895年−1952年、在位1936年−1952年、15年ちょっと)
コリン・ファースの役
ジョージ5世の次男、エドワード8世の弟
妻エリザベス・バウエス・ライオン
娘エリザベス2世、マーガレット
前の称号はヨーク公(= 存命中の王/女王の2番目の王位継承権を持つ子供が持つ公爵位)。
父ジョージ5世の6人の子供うちの次男、王位継承権では長兄エドワードが次の王になる予定で、実際に即位。
予定が狂って王になってしまった父ジョージ5世の次男ヨーク公は兄エドワードが王になってくれたので、取り合えず《王の弟》で落ち着きます。本人も家族共々それで満足していました。しかしエドワードの私生活が、ローマ法王と並ぶ宗教のトップとして相応しくないことを心配したジョージ5世は生前からエドワードでなく、ヨーク公が王になるべきと考え、声をかけていました。
当時独身だったエドワードが付き合っていた女性の問題はヒットラーと近い人物であることも判明し、単なる私生活の問題ではなくなってしまいます。国会や首相なども反対を表明し、エドワードはその女性を諦めて王にとどまるか、彼女のために王位を捨てるかを迫られます。(実はもう1つ、結婚し、かつ王に留まるという選択肢もあったようなのですが、その事はあまり話題になりません。)
父ジョージ5世の死後、1度王になったエドワードは1年弱で王位を弟に譲る決心をして引退。そのため次男がジョージ6世として即位。
英国王のスピーチにはジョージ6世があまり王になりたくなかった事情、妻のサポートの様子が描かれています。
★ ヨーク公夫人エリザベス、ジョージ6世の王妃、王太后 (1900年 − 2002年)
ヘレナ・ボナム・カーターの役
男爵の娘。ヨーク公に結婚を申し込まれた時、却下。ヨーク公が母親(王妃)に泣きつく。母親がエリザベスが結婚しそうな男性を外国へ追っ払い、あれこれ画策の結果3度目の正直でエリザベスがイエスと言う。
夫婦仲良好。娘エリザベス(後の女王)、マーガレットが生まれる。
1936年始め、王の弟の夫人、年末に王妃。グレートブリテン初のイギリス人王妃。
戦時中疎開を勧められても家族揃ってロンドンの王の元に留まり、国民の人気が高まる。
1952年、ジョージ6世の死後は王太后。後継の女王の長女の名前もエリザベスなのでクイーン・マムと呼ばれるようになる。(欧州の慣わしでは王の妻エリザベスも《女王》と呼ばれるため、母娘2人女王ができてしまう。)
公務に積極的でありながら、趣味も持つ。
政治を考慮した上での人物の好き嫌いがはっきりしていて、反ヒットラー、娘婿とも折り合いが悪い。
機転が利き、頭が良く、性格は大らかで、色々問題を抱えていたジョージ6世を良くサポートした人です。ジョージ6世が王になったのは彼女も予想外。夫の即位と同時にまだ幼い娘エリザベスが次の女王に決まります。
映画の中では街中に1人で出て初めてエレベーターに乗る様子で、彼女がのみ込みの早い女性という面が表現されています。また、エドワード8世が退位したとたん、まだ幼いエリザベス(後の女王)と妹マーガレットがすぐ父親に向かって正式なお辞儀をするところで、子供の躾がきちんとできていることが描写されています。
エリザベスは王妃ではなく、《王の弟の妻》という立場に満足。娘が2人生まれて幸せな家庭生活。そこへ降って沸いたように夫が王になる話が飛び込みます。地味な性格な上、公で話をする事が苦手だったヨーク公は兄が王であり続ければいいと思っていましたが、ジョージ6世も生前ヨーク公に「お前が王にならないか」という話をしており、エドワード8世は表向き王として居座ることに執着しておらず、退位。そのためエリザベスは王妃に。
エドワード7世はビクトリア女王の在位が長かったため、自分の在位は短かったです。次のジョージ5世は約四半世紀。エドワード8世は特別な理由で1年弱。ジョージ6世は15年ちょっと。夫が60歳にもならずに死んだのはエドワード8世が放り出した仕事が激務だったからとエリザベスは考えています。
エリザベスは夫を支え続け、2人の人気は高まりますが、1952年夫は他界。娘エリザベスの即位後も人気が高く、2002年の大往生まで周囲の人を支えていました。唯一彼女が受け入れ難いと思っていた女性はシンプソン夫人。
★ 事の次第を分かっていたのか
学校であまり成績のよくなかったエドワード。特に大学で政治学を勉強した形跡の無いシンプソン夫人。2人は歴史の激動の中でもみくちゃにされたわけですが、私は特に同情はしていません。《王冠をかけた恋》という見出しも無視。
アホか故意か、ミーハーか故意か、恋か故意か、未経験か分かっていたのか、利口な女性にナイーブな王子が引っかかったのか、こういった判断が非常に難しいです。2人とも特別に高い教育を受けた人ではありませんが、一連の行動を見ていると頭は悪くないように思われます。
☆ 反発
エドワードは父親の気に入らない事を選んでやっていたような形跡があります。身を固めろと言われれば固めず、きちんとした関係にしろ言われれば既婚女性を選ぶ、映画では弟ジョージが父親のトラウマを抱えていることが語られますが、同じ家庭で兄弟一緒だったため、エドワードにも何かしらの影響はあったと考えられます。それを積極的に外に出した結果プレーボーイ誕生、内向きに出した結果言葉の障害と、兄弟で形を変えて出て来たようにも思われます。
☆ 2回戦を予定していた?
国王という役目が重い責任を伴うという事を理解していたのは2人のジョージ王。エドワード8世はある程度イージーに考えていたのではないかと思います。メディアに受け、庶民の人気を得る術は心得ていましたが、自国を守るために外国との力関係に心血を注いだ形跡は見られません。また、一見あっさり退位したように見えますが、実は影響力のある地位に戻りたいという気持ちは強かったようです。その動機が何だったのかにはいささか疑問も。妻の関心を引き続けたいという理由も混ざっていたのではないかと思います。王子の頃比較的国民に人気があったので喝采を浴びることは好きなようです。
☆ 国か親戚関係か
英国をヒットラー政権下のドイツに渡してしまうことについては父親や弟に比べエドワードは安易に考えていたのかも知れません。親戚の半分がドイツ人で、ドイツ・アレルギーは無かったのでしょう。父親や弟、当時の内閣は血筋を見ておらず、ドイツ政府のやる事を見ていました。エドワードの目は曇っていたと私には思えます。
「英国政府とドイツ政府の熾烈な戦いがこの2人を通して行われていたのですが、本人たちにどこまでそれが分かっていたのかはよく分からない」と書きかけていたのですが、その後続々とこの説に合わない話が出て来ました。
☆ スパイ映画よりずっと凄い現実
スパイ映画よりずっと緊張する出来事がいくつか伝わっており、ドイツはせっせと手を変え品を変えやっていたようですし、英国も事前に情報を得てこれまたスパイ映画以上の厳しい状況を何とか収めたと言われています。
退位後英国を去ったエドワードは海外を転々とします。国外に出ていたシンプソン夫人とはフランスで退位の翌年に結婚。直前にウィンザー公爵の称号を与えられています。英国からの扱いは悪く、シンプソン夫人の地位はウィンザー公爵夫人に留まり、帰国は英国国王が許可しないとダメとなります。2人の当面のもくろみは、一定の冷却期間を置いて帰国し、王以外の影響力のある地位につくというものでしたが、外れます。
この後の2人の行動を見ると、ミーハーの王室ファンとナイーブな元王とは思えない出来事が並びます。ヒットラー直々の招待でドイツを何度も訪問(大歓迎を受ける)、英国から呼び戻された後、フランスへ移住。次はスペイン。スペインはちょうどナチの台頭と重なる時期に政権についたフランコの時代。ヒットラー寄りの中立政権です。その後はポルトガル。
ヒットラー流の平和をエドワードも支持していて、エドワードは公に「英国はドイツと平和交渉に応じるべきだ」と英国の国会の承認も王の同意も得ずに言い出します。この揺さぶりはヒットラーの発言内容も含めて英国に取っては脅しであり、到底受け入れられるものではないだけでなく、元王が勝手な事を言い出したという意味でも困ります。その結果2人はイギリス領バハマに島流し。総督の地位を得ます。
エドワードはスペインにいた時重大なラジオ放送をする予定で(親独的な内容と考えられる)、英国はそれを阻止するために映画以上のドラマチックな行動を取ります。具体的に何で断念させたのかは分からないのですが、放送の準備が整った中英国からの使者がエドワードを訪れ、何かしらの説得をした結果エドワードは急遽取り止めています。
エドワード、英国本国双方が火花を散らしながらここまで思い切った行動に出た裏には、エドワードとドイツの間で、ドイツが武力か交渉で英国を取ったあかつきにはジョージ6世をエドワード8世と差し替える計画があったからのようです。ヒットラーは平和、平和と言いながら、欧州大陸と同じように国を手中に収め、傀儡政権を作る計画を英国にもと考えていたようで、そのシャッポがエドワードになる予定でした。
この餌に釣られたエドワードは情報をドイツ側に流しています。この部分は証言をする人物も含めたビデオ録画を見て知ったのですが、ちょっとしたショックを感じます。米国、英国は最終的には戦勝国になったので、エドワードもシンプソン夫人もニュルンベルクや東京のような裁判にはかけられていませんが、行った活動の影響は《王冠をかけた恋》と思い込んでいた頃と違い、英国の側から見ると裁判に値する内容でした。
★ アメリカから見ると
ここまでは主として英国の視点にヒットラー政権下のドイツの立場を交えて書きましたが、アメリカはややスタンスが違います。有体に言えば、シンプソン夫人は友好国の反対側とやり取りして重要な情報を流していたため、FBI などの調査対象になっていました。一般のアメリカ人はタブロイド誌に出る《王冠をかけた恋》、彼女のために退位する国王などの話、セレブぶりなどを報じていました。英国では報道禁止になっていたテーマもアメリカでは多く報道されていました。
色々な意味で要注意人物になっていましたが、アメリカ政府としては欧州の揉め事に首を突っ込みたくないという方針で、戦争参加は避けるつもりでした。ところが当時英国だけでなく、他にもアメリカの威を借りて戦争と思っていた国がありました。アメリカは慎重になっており、簡単に首を縦に振りませんでした。軍事的に見て英国はアメリカの後援無しに欧州でドイツと戦うと負けるか、ひどい苦戦になると考えていたようで、是非ともアメリカを巻き込みたかったようです。
結局アメリカを動かすことになった1番大きな理由はお金ではないかと思います。1つにはニューディール政策での改善が限定的だったこと、もう1つはこれまで欧州に貸していたお金を維持または取り戻す場合アメリカとしてはどこを援助すると1番損害が少ないかという計算があったのではと想像しています。しかしアメリカは当初直接参戦はせず、物資の援助に集中するつもりだったようです。
ヒットラーを中心としたドイツは世界の地図を書き換えようと試み、英国はアメリカの力を借りてこの場を乗り切り、植民地を維持しようと思っていました。そんな時にエドワードが親ヒットラーの国王として王位につくと英国にどういう影響が出るかははっきりしています。帝国主義の英国、ファシズムのドイツ、欧州の事に関わりたくないアメリカという図式でした。退位後人目をはばかることなくドイツを訪問する夫妻。英国は困り続けたことでしょう。
粗っぽく考えてもアメリカには情報だだ漏れ状態はその後もあったのですが、エドワードには国家機密、セキュリティーという自覚が無かったらしく、政商に自分が使ったお金の請求書を肩代わりしてもらったりもしています。
★ あ、やっちゃった
日本ならこんな描き方の映画は作らないだろうと思います。皇室への親しみがあり、皇室のメンバー1人1人について野次馬的な視点の映画を作ろうという人が出ないのだろうと思います。野次馬根性が全く無いわけではありませんが、雅子妃殿下が珍しくタブロイド誌に長期間集中的に取り上げられたぐらいで、ほかは当時独身だった皇太子殿下に何人もの御妃候補がいた程度の話でしょう。
外国の王室には時々驚くような激しい反対者もいます。日本でそういうこと無く皇室が親しまれているのは、皇室が権力でなく権威、国のシンボルであり、世界でも珍しく1系統で2600年以上来ているので、わざわざ壊す理由が見つからないこともあります。もう1つよそと違うのは、日本の皇室は遡ると神話にたどり着き、血みどろの戦争で家同士が争ったり、国民がそのためにお互いに戦い血を流す歴史とは一線を画しているためかも知れません。砦のような城を建て、防衛を常に頭に置いているのは日本では武家の方で、皇室は事あるごとに敵対するスタンスではありません。
欧州の王族はそうは行きません。現代では王族が巻き込まれる直接の戦いは無いでしょうが、ちょっと前までは壁の厚い城に住んでいないと外から攻撃を受ける可能性もありましたし、家同士の争いは時には戦争でのオトシマイに発展したり、策略の末死刑になる人も出るという有様。国民もそういう歴史を承知していますし、争いの度に王族派、反王族派に分かれて戦うわけです。
加えて英国は世界中に植民地を持っていた時期があり、そこの出身の人は現在の英国に対して必ずしも好意的な意見を持っているとは限りません。アメリカ人ですら、英国を単なる外国の1つと見る人、過去の歴史に基づき英国を敬う人、逆に植民地だったことを忘れない人がおり、政治の世界では現代でもそこにこだわる人がいます。カナダしかり、オーストラリアしかり、アイルランドしかり、インドしかり、香港しかり。日本にいるとあまり考えない事が外国にいると目にとまる時があります。
そういう事が頭の片隅にあるので、英国王のスピーチを見終わっての感想は、「あっちゃー」、「あ、やっちゃった」、「ここまでやるか」でした。日本でも最近は個人情報、個人の権利、権利の侵害の扱いに神経質になっていますが、そういう事を言い始めた欧州がここまで1つの家の事情を外にさらした映画を作ってしまいました。
王室には政治的役割があるので公人ですが、個人の肉体的、精神的特性はやはりプライベートな事として一定の保護が必要とも思います。しかし寛容の精神に薄い英国のタブロイド誌はその時急性健忘症にかかり、人権問題の事はきれいに忘れて、書きまくります。その勢いはヒステリーと言えるほどで、大陸側の欧州でも時には驚かされます。英国王のスピーチは演出が静かなので、ヒステリー的とは言いませんが、見終わってよく考えてみると、この話を外に出して国益になるのか、国益を損なっているのか、その点はさっぱり分かりませんでした。
★ 作り
丹精、丹念などという言葉が合う仕上がりです。カメラは非常にいいですし、脚本は丹念に書かれおり、演じる俳優も良く考えて選んであり、選ばれた俳優は期待通りの仕事をしています。
監督はずっとテレビ畑を歩いて来た英国人。劇場用長編映画は珍しいのですが、手堅い作品です。賞にあちらこちらでノミネートされ、重要な賞も受賞しています。特に良かったのは、カメラ、衣装、そして本当の時代とはややずれているかもしれませんが調度品や部屋のデザインがきれいでした。
主演はコリン・ファース。英国では非常に有名な人で、世界的にはブリジット・ジョーンズの夫として知られています。彼はブリジット・ジョーンズの日記、ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月でも、英国王のスピーチでもいかにも英国紳士然としていますが、実は堅物の紳士とは違うタイプの人です。
俳優のバランスが良く、演技の手堅さで知られる人がずらずら並んでいます。皆誰が主演で、誰を引き立てるべきか非常に的確に判断しており、オスカーを貰ったり、貴族の称号を持つ人でも、しゃしゃり出ることなく演じています。
そこがいかにも英国俳優・・・と言いたいところですが、重要な役のうち2人はオーストラリア人、1人はアイルランド人。また、英国の脇を固める多くの俳優の中にクレア・ブルームの顔が見えます。
★ 元ネタ
日本で皇室の逸話をこんな形で映画化するなど考えられないことですが、それは国情の違いのためでしょう。現在でも欧州には親王室派もいれば反王室派もいます。中には王室のメンバーの私的な話を映画化することにためらいを感じない人もいます。芸能人で長年の功績を称える意味で貴族の称号を貰っても大喜びしない人もいます。中には勲章を返す人や、貰うのを1年近く逃げ回った人もいます。そういうお国柄なので、こういう作品も作られるのでしょう。この作品は登場する主人公の妻に当たるクイーン・マムの希望で、2002年以前の映画化は難しかったようです。ジョージ6世に関する部分は実在した言語障害治療師ローグ(ジェフリー・ラッシュの役)のメモを参考にしているそうです。
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