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エクス・マキナ /
Ex Machina /
Ex Machina: God from the Machine /
Ex-Machina: Instinto Artificial

Alex Garland

UK 2015 108 Min. 劇映画

出演者

Domhnall Gleeson
(Caleb Smith - IT 企業で検索エンジンの仕事をするプログラマー、抽選に当たり、1週間自社の社長の家を訪ねる)

Oscar Isaac
(Nathan Bateman - 検索エンジンの会社経営者、人工知能を持った精巧なロボットの開発をやっている)

Alicia Vikander
(Ava - ナサンが作った高性能ロボット)

Sonoya Mizuno
(Kyoko - 英語が分からないナサンの家の家事手伝い)

見た時期:2015年9月

要注意: ネタばれあり!

見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ 監督のデビュー作

ファンタにもよくデビュー作から完成品を持ち込む人がいますが、この作品も完成品と言えます。監督と、主人公の1人のタイプが似ています。脚本を書いたのも同じ人なので、自分の要素を主人公に混ぜたのかも知れません。

監督は28日後…サンシャイン2057 で脚本を書いた人物で、他にも SF 作品に関わっています。エクス・マキナはこの2作と似ていないので、いくつもの異なるスタイルをこなせる人物と思われます。

外の撮影はノールウェーで行われていますが、非常に日本に似た自然を選んでおり、出演者にも日本人を使っており、家屋も非常に日本的に作られています。ただ、日本の持つ柔らかさ、温かさは極力避けており、全体に無機質で非常に冷たいイメージを作ろうと努力しています。

家屋の中に大きな自然の岩を取り入れているところは私の身内の日本家屋の家に似ており、このセットを考え付いた人は色々日本を研究したのではないかと思われます。

★ 主演の3人

主人公のケイレブを演じているのはブレンダン・グリーソンの4人の息子の1人。親父さん、本人、他の兄弟は皆180センチを越える長身。共演のナサンを演じるオスカー・アイザークは小男に見えるのですが、彼は174センチ。小柄と言うほど小さくありません。痩せてひょろっと長いグリーソンと、今年南アフリカ、サモア、米国を下したラグビー選手かという体型のアイザークは対照的な体型なので、アイザークが小男に見えてしまうだけです。

グリーソンが主演に選ばれたのは監督と以前の作品で知り合ったからかも知れません。

ドーナル・グリーソンはアンジェリーナ・ジョリー監督のへんてこりんなプロパガンダ映画に出演しています。この作品には若い兵士役でたくさんの俳優が出演しており、グリーソンはかなり上の方にクレジットされています。撮影の環境は役をリアルにするためにかなり劣悪だったようです。そういうタイプの映画に出た俳優は今後ずっと「ジョリー映画に出た」というキャリアが付きまとうので、将来有利に働くか不利に働くが微妙なところです。例えばプラーベート・ライアンに出演した人はその後かなり長い間得をしたように見えます。

ロボットのアヴァを演じるのはスウェーデン人女優アリシア・ヴィキャンデル。バレリーナかファッション・モデルのような細身の体です。夢はバレリーナになることだったようで、バレーをきちんと習ったようですが、職業としては女優を選んでいます。0011 ナポレオン・ソロの劇場映画化版に出演しており、将来が開けそうな気配です。

★ 人形とロボット

日本人はかなり昔から人形と親しんだ国民です。そしてかなり昔から本当は人形は単なる物体と分かっていて、それでも可愛がっていました。人形に自分の感情を反射させているのだと片方で分かりつつ、他方物体とは見なさず、まるで自分の子供や友達のように大切にしていました。なので日本人には欧米のような大議論は必要ないのかも知れません。根底で本当の事を分かっているからです。

欧米ではこの作品が作られるより60年以上前から大議論が始まっていました。まだ実現していない頃からいずれ人間はコンピューターを開発して人工知能を作り出すだろう、それを人間の形をしたロボットに組み込む事もいずれやるだろうと予想しての議論です。

2015年の現在では一部当時の予想通り実現してしまいましたが、随分前からいずれ人間の形をした精巧なロボットが作られ、人間と区別がつかなくなるだろうと言われ始めていました。私の個人的な定義ではロボットには全自動洗濯機、冷蔵庫、全自動食器洗い機など四角い形の物、その辺を勝手にうろつき回る丸い自動掃除機も含まれると思うのですが、この議論では主として人間の形をしている物体を指しています。情緒面ではそれほど精巧でなくても形は既に人間タイプのロボットができており、人間と一緒に盆踊りをしたりもできます。

犬の形をした物体はすでに大成功しています。物体に違いないですが、買った人は自分の友達と思って長年付き合っていたようです。会社が修理を打ち切ったため、困った人が続出し、遂にその会社の元社員が私的に修理を買って出、どうにも治せなく(物体だから「直せなく」が正しい?)なった場合は他の犬のためのドナーとして部品提供に回るそうです。日本人はそこまで物体に愛着を持ち、世話をする国民です。

かく言う私もちょっと前に買い換えた冷蔵庫がえらく気に入り、名前こそ付けていませんが、よく機能してくれるので友達のように感謝しています。「冷蔵庫は私の友達」と思うのですが、この言い方は日本で起きたある事件から発したようで、そちらは悲しい物語です。うちの冷蔵庫は最近のカラー・ファッションを無視し、クラシックな白。台所にどーんと聳え立っていて、とても信頼が置けます。

エクスマシナでテーマになっているのは外見は全く人間と変わらず、その上細かい感情を表現できるようなタイプのロボットです。そういうロボットを生身の人間と会わせ、ロボットがどこまで人間の感情と同じ物を持ちうるかテストをさせます。もし人間がロボットに対し本当の愛情や同情心などの感情を持ち、そのために行動を起こせばこのテストではロボットの勝ちです。

日本人の私には、ロボットは十分データーが蓄積されていればとことん巧妙に人間の感情のイミテーションすることが可能で、そういうロボットにころっと参ってしまう人間はたくさんいるだろうけれど、それは人間の行動を計算という形でとことん分析をして判断をするだけで、本当の感情とは違うように思えました。なのでややこしい議論は必要なく、結論は「あれは物体だ」です。

しかしエクスマシナでは2時間持たせるために、この部分を謎にしてあり、とことん引っ張ります。

★ 人選があれでは結論は見えている

IT 企業の持ち主で、人工知能の開発をやっているナサン・ベイトマンは懸賞に当たったという口実を使って、社内の有能な検索マシンのプログラマーのケイレブ・スミスを自宅に招待しますが、実は上に書いたテストのための候補者を身辺調査し、ケイレブが適していると判断して連れて来ています。

選考理由はケイレブは15歳で両親を突然失い、特定の付き合っている人がいるわけでもなく、非常に孤独だという点です。孤独な人に親切そうで美人の女性ロボットを近づけ、優しい言葉をかけてやれば、ケイレブがころっと参ってしまうのは目に見えています。なので映画の中であれこれ言い合っているのはナンセンス。

このようなプロットの甘さはありますが、それでもエクスマシナは色々考えさせてくれる作品です。

★ あらすじ

ナサンは大手で市場の大部分を制している検索エンジンの会社を営んでいます。ある日上に書いたようにケイレブを自宅に招待します。人里離れた場所にあり、そこは居住空間と研究所が一緒になっており、社長はケイレブに実験の被験者になることを依頼します。

ナサンはこれまでに何台か人間型高性能ロボットを作り、非常に精度の高い人工知能を組み込んでいますが、人間の感情にどの程度迫れるか実験を繰り返していました。ケイレブが最新ロボットのアヴァの機能を試すことになりますが、アヴァの出来があまりにいいので、どちらがどちらを試しているのかだんだん分かりにくくなって来ます。

ナサンの家はガラスで仕切られていて、ロボットは決められたエリアにおり、そこから出られない構造になっています。ガラスの壁ではあってもロボットは檻に入った形です。そしてアヴァは顔と手を除いてはロボットだとはっきり分かるように金属や透明プラスティックの素材のままになっていて、メッシュのカバーがかぶされています。

ナサンは飲んだくれのアル中で、時々意識不明になるまで飲んで寝込んでしまいます。その間にケイレブは少しずつ研究所の秘密を知り始めます。ケイレブは探るというほど諜報に長けておらず、見ていると情報が彼の所に来るように誰かに仕掛けられているような印象を受けます。アヴァは時々停電を起こし、その間にこっそりケイレブに「社長の言う事を信じるな」と警告をしたり、「自分と一緒に外に逃げてくれないか」と持ちかけたりします。

映画を見過ぎた私はこの持ちかけ自体がナサンの仕掛けたトリックかと思い始めたところです。

何をどこまで見抜いているのか分かりにくい社長と、非常に魅力的な高性能ロボットを相手にしながらケイレブは翻弄され、何が真実なのか分からなくなって行きます。

★ 日本女性も実はロボット

ある夜飲んだくれて意識不明になったナサンをケイレブが部屋に運んで行くと、裸に近い格好の英語の分からない日本人の家政婦キョーコがおり、彼女(それ)は自分で自分の皮を剥がします。すると下はアヴァと同じ構造。彼女もロボットでした。

せっかくナサンの部屋に入ったのでその辺を見回すと、隣がナサンの仕事部屋。コンピューターに、自殺した過去の女性ロボットのビデオが残っていました。自殺の理由は研究所から外に出してもらえないため。

ロボット三原則の第3条違反。ロボットは第1条、第2条に反しない限り、自殺はダメよ、ダメダメ。

このあたりからケイレブはロボットに対して人間で監禁されている人に対するのと同じ同情心を抱き始めます。アヴァやキョーコは自動掃除機や、首振り扇風機と同じなんだけれど・・・。という事はケイレブはテストでは落第。しかしロボットが巧みだから勝って、ケイレブが負けたのか、ケイレブが少年時代に孤児になり、孤独だから相手が人間でもロボットでも同じ行動を取ったのかという問が残ります。作品ではそういう追求の仕方はせず、ケイレブの思考の線だけを追います。

アヴァ救出計画をケイレブとアヴァで考え出し、ナサンを酔いつぶしてしまおうという事になります。アヴァがその後も時々建物全体の停電を起こし、その間に2人(1人と1台)は密談をすることができます。

ところがナサンは1歩先を読んでいて、ケイレブとアヴァが酔いつぶしたい日に「俺は今日から酒は止めた」と言い出します。その上、ケイレブとアヴァの話を電池式のカメラで撮影しており、救出計画はばれていました。テストの目的はアヴァがケイレブを誘導できるかを知ることで、もしアヴァがケイレブのおかげで外に出られればアヴァの勝ち。この時点ではアヴァはまだ建物の中にいますが、ほぼ勝った形です。

★ 予定が狂う

1週間のテストが終わり、最後の日、上のようなテストの結果をナサンから聞かされている最中にまた停電。停電が直るとアヴァがロボットがうろついてはいけないエリアを歩いています。その原因を作ったのはケイレブ。ナサンが酔いつぶれた隙にドア・ロックが停電後開くようにプログラミングしていたのです。

ケイレブはナサンに殴られ、ナサンはアヴァと対決。アヴァは片腕を失い負け。ところがナサンはキョーコに後ろから料理包丁で刺されてしまいます。

ロボット三原則の第1条違反。ロボットは殺人はダメよ、ダメダメ。傷害もダメよ、ダメダメ。

ロボット三原則は人間が勝手に夢見て作ったもので、作られたロボットがそんな物は無視するかも知れないといういい例です。アヴァも完全に機能停止をしたわけではなく、キョーコが倒れると、今度はアヴァがナイフを持って対抗。

実際に作られたロボットはこんな与太原則は守らなくてもいいですが、アシモフは小説などフィクションの世界で守るべき三原則を作っています。映画はフィクションの部類に入るので、アシモフはガーランド監督もこの原則を守るべきだと期待するでしょうね、もし生きていたら・・・。95年前に生まれたアシモフは1992年に他界しています。手術の際受けた輸血の血液がエイズ血液だったそうで、不運です。死ぬまで9年ほどエイズに苦しんだ様子。

さて、ドタバタの結果生き残ったのはアヴァとケイレブ。ところがアヴァには人間の感情は無いので、ケイレブの事などすっかり忘れ、自分の体が人間に見えるように他のロボットの皮膚を貼り付け、破壊された腕を他のロボットの腕と交換します。そしてケイレブを町に送り返すためのヘリコプターが待つ野原へ向かいます。

ケイレブは家の中に閉じ込められた状態。間もなく水分が無くなり死ぬでしょう。ケイレブがアヴァに抱いたような同情心はアヴァにはありませんでした。ご愁傷様。

ロボット三原則の第2条は、「ロボットは人間の命令に従わなくてはならない」・・・しかしケイレブがアヴァに何を言っても、アヴァは知らん顔。

人間と区別のつかないロボットが人間社会に紛れ込むというラストですが、ここでちょっと思い出したのが、スカーレット・ヨハンソン主演の Under the Skin。彼女はエイリアンという設定になっていますが、地球の人類の生活習慣を理解しておらず、人間とは違う反応をします。このロボットもプログラミングされたデーターしか持っておらず、そこから演繹してある程度の発展はするでしょうが、人間の矛盾した感情などはまだプログラミングされておらず、この後どうなるのかがまた別な映画のテーマになりそうです。

ロボット三原則は人間が勝手に自分の気休めのために作り出したもので、どこかのロボット製作者が気まぐれにそれをプログラミングしなければロボットはどんどん人を殺します。アシモフが SF 小説の原則として考え出した「人間を襲わない、命令に服従する、自己防衛する(自壊しない)」というルールは見事にこの作品では無視されてます。アシモフが亡くなってもう20年以上過ぎているので、脚本を書いたガーランド監督は三原則は時効と見なしたのでしょう。

★ 色々議論はあるけれど

この作品で最初に出て来るのがチューリング・テストと呼ばれるテストで、アラン・チューリングが1950年に人工知能の知能の精度を測る方法を提案しました。それ以前にもこの方向の議論はあり、哲学まで交えて現在に至るまで喧々諤々やっています。

1960年代からはイライザというプログラム言語も出現し、さらにややこしくなっています。私の頭ではとてもついて行けないので議論は省略しますが、私は原則としては「全自動洗濯機や冷蔵庫に感情移入するか」というところから出発するようにしています。私は「うちの冷蔵庫は私の友達」という風に考えてはいますが、冷蔵庫はその冷蔵の性能でしか応えてくれず、朝「おはよう」と言っても答は返って来ません。

科学者は飽くなき探求力で人間に近い反応をするロボットと作ろうと思うのでしょうが、所詮はこういうものだという所に常に回帰しないと、ある日とんでもない物ができてしまって人類では制御不能などという事が起きてしまいます。最近私があまり好きでないビル・ゲイツやスティーヴン・ホーキングが、珍しく私と同じ意見を発表。マジで心配しているようです。やっちゃってから後で心配するといういつものパターンではありますが、名のある学者や開発者が警告しているという点は注目に値します。

そういう意味で色々考えさせてくれる作品でした。

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