忘却の空

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ギンは、ドフラミンゴが酒蔵から出ていくのを見た。
だが、入ったはずのサンジが出て来る気配はいっこうにない。
サンジさんは、あの男、ロロノア・ゾロに酒を持って行ってやるつもりだったに違いねえ。
だが、ドフラミンゴが来た。
人目を忍んでの密会。
そうそう目的があるとは思えねえ。

入るべきか、入らざるべきか・・・。
ギンが躊躇していると、
扉が開いて、サンジがのろのろと出て来た。
しわだらけになって、
ボタンのとんだ衣服。
はっきりと泣いたあとの残った顔。
黄色いサングラスをかけても、目が赤いのが分かる。
何があったかは誰が見ても一目で分かった。

ドフラミンゴの好きにされたのだ。
ギンは懐のトンファーを握りしめた。
はらわたの煮えくりかえるような怒りとともに、
沸き起こる嵐のような欲望。
汚されなれた身体だと分かっているし、
そのためにドフラミンゴはサンジを飼っていた。

この人を汚さねえでくれ。
こんな姿を見たら、
オレは何をするか分からねえ。

笑って、メシを作ってくれる優しい人。
こんな人は始めてなんだ。
だから、この人を傷つけるな。
もう、この人は傷ついているのに。

サンジさん、そんな姿でどこへ行く気だ?
あんた、ぼろぼろじゃねえかよ。
見ていられねえ。

ギンはふらふらしながら、
歩いていくサンジから姿を隠した。

もし、ここでサンジさんに会ってしまったら、
自分は何をするか分からない。
ドフラミンゴに戦いを挑むか、
サンジさんを無茶苦茶にしてしまうか。
見るな。
サンジさんを見るな。
見たら、欲望と怒りと狂気に支配される。
サンジさんのまとう独特な空気。
それは、周りにいる男たちを闇にひきずりこみ、
知りたく無い醜い感情や欲望に気づかせる。
あんたは何も悪くねえ。
だけど、犠牲者はあんたなのか、
あんたにかかわる男たちなのか、
もうオレには分からねえ。
毎日毎日、サンジさんだけを見て来た。
今なら、あんたに狂った男達の気持ちが分かる。

きっと、あんたに狂わされたんだ。
あんたは鏡だ。
欲望をはねかえし、
あんたが傷ついた分だけ、
相手にも傷を負わす。
サンジさん、あんたは誰の声も聞いてねえ。
誰の声も届かねえ。
だって、あんた、誰にも声を出してねえだろ。

ああ、あんたが今から会おうとしている男だけは別か。
ロロノア・ゾロ。
どんな時でも、
強靱な精神で敵を討つ男。
あの男はあんたを真直ぐ見ている。
なんの先入観も持たず、ただ一人の男として、あんたを見ている。

オレは駄目だ。
あんたは、見張るべき存在で、
陵辱すべき対象だと認識している。

この空の下で、
あんたのことを真直ぐに見る男は、ロロノア・ゾロしかいないなんて。
サンジさん、あんたはなんて不幸なんだ。
ロロノア・ゾロに見せるサンジさんの笑顔。
それは、やわらかくやさしい。
オレには決して見せない、
幸せそうな笑顔。

サンジさんがオレを見てくれたら、
命をかけてあんたを守ってみせる。
けど、サンジさんは決してオレを見ない。
ドフラミンゴも見ていない。
おそらくワイパーも同じだったのだろう。
全てが欲しいゆえの陵辱。
満たされぬゆえの凶行。

あんたに惚れた瞬間に、
満たされない苦しみを背負う。
どんなに愛しても、決して愛し返さない相手。

あんたは、苦しみさえ共有させない。
すべてを受け入れるようでありながら、
すべてを拒絶している。
だれも信用できず、だれにも声をかけることができない。
そんなあんたが、どうしてだか心を許した相手。
なんでそんな見ず知らずの男に、そんなによくしてやるんだ。
誰にも見せたことのないような顔を見せ、
誰にも食わせてやらなかった料理を食わせる。

あんたの料理を食ったものなら、きっと気づく。
サンジさんは本当はすごく心優しい人だってことを。

きっと、あんたのことを何も知らない野良犬みたいなやつだったから、
心を許したのだ。
どこの組織に属しているでもない、風来坊のような剣士。
 
 
 
 
 

ロロノア・ゾロは修業も終え、
メシも食いつくし、
イビキをたてて寝ていた。

サンジを待っていたが、
いっこうに戻らない。
待ちくたびれていつの間にか眠っていた。
 
建物のすきまで泥だらけになりながら、
眠りつづけていた。

満月の夜だった。
建物の中で重く流れる空気とは違い、
空はすみ、ゆるやかであたたかい風が吹いていた。

ゾロは聞き慣れない足音が近づいてくるのを感じた。
誰かが、足をひきずるようにしてゾロに近づいてくる。

誰だ?
ゾロは寝ているふりをしながら、
刀の柄に手をかけた。

いつでも斬れる心意気で待ち構えた。

その人影は、
のろのろとゾロのそばに近づいて来る。
足取りは遅いが、
ゾロのいる位置が分かるかのように正確にまっすぐに近づいて来る。

ゾロからしばらく離れたところで、
その足音は止まった。

それから、何かごそごそする音が聞こえて来る。
いけねえ。
あそこには、あいつの弁当箱が置いてある。
 
ゾロはゆっくりと目をあけ、
足音の主に気づかれないように起き上がろうとした。
起き上がろうとしたが、
それが誰だか気づくと、動けなくなった。

サンジ?

のろのろと弁当箱を手にしているサンジは明らかに普通の状態ではなかった。
声をかけるのもはばかられる、傷ついた雰囲気。
何があった?
何が?

くしゃくしゃになった服と、
ちぎれとんだボタン。
ゾロは月明かりに照らされてるサンジの横顔を見た。
夜なのに、サングラス。
きっと、何も見えねえ。

まさか・・・。
急に、心拍数があがった。
こういう女は娼館の用心棒をしていた時にくさるほど見た。
人身売買や、犯罪にかかわる闇のルートでの商売。
だまされる女がバカなのだと思っていた。
ゾロには無関係だったし、
なんの感情も湧かなかった。
そういえば、男娼もいた。
そいつらについても、どうでもいい存在だった。
特にひどい状態のやつはこんな顔をしていなかったか?
そいつらは、そのうち狂い、自我を壊した。

自分に笑顔で食い物をくれるサンジ。
何も聞かず、きちんとメシを食わせてくれる。
こんなやつは初めてだった。
なんの見返りも求めず、
ただ飢えたものに命を与える。
 
 
 

サンジがゾロのほうを振りかえると、
ゾロはあわてて眠り続けるふりをした。

閉じた瞼を開けてはいけない。
サンジは知られたくないのだ。
ゾロは眠り続けているように見えたけれど、
精神ははっきりと覚醒していた。
神経をはりつめて、
サンジの動向をうかがう。
 
 
 
 

サンジはしばらくゾロの眠る様子をながめていた。
はは、よく寝てやがる。
遠いな。
オレはこいつがいるところからは遠い。
こいつとオレは同じ場所にいるようで、
まったく違う。
生きる場所が違うんだ。
そんなこと、分かってんじゃねえか。
今だけだって、分かってんじゃねえか。

オレのことを普通に見てくれんのは、
こいつだけだけど、
こいつだって、
オレのことを知れば、
他のやつらと同じになる。
みんな、そうだった。
だけど、オレにはどうしていいのか分からねえ。

こいつがハラをすかしてるって思うと、
オレはいてもたってもいられねえ。
メシつくっている時はすべてを忘れられる。
忘れるんだ。
考えねえんだ。
もう、何も考えねえんだ。
そしたら、苦しくねえ。
身体の痛みなんてすぐに消える。
こんなのは慣れてるから。
 
 
 
 
 
 
 

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