忘却の空

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広くてがらんとした部屋で、ゾロは目を閉じて座っていた。
ゾロの使命はワイパーを仕留めることだ。
今までの仕事はゾロが自由にできた。
だが、この仕事には制約があった。

エースの選んだワイパー用の刺客であるギンと協力すること。
情報はギンが持ってくる。
たが、ギンはただの情報屋だとは思えない。
おそらく相当の腕の持ち主だ。
こいつにワイパーを仕留めさせてもいいかもしれねえのに、
どうしてだ?

ただ、ワイパーの動向を待って日々が過ぎて行く。
ゾロは、いつ「その時」が来てもいいように、
この部屋で待機しているのだ。
言われた「時」に、
言われた「場所」に行く。
そして、標的を仕留める。
それには何の感慨もない。
 
 
 
 

ただ待ち続ける時が続く。
ずっと待っていると、
独特の靴音がして、
朝食が届く。
昼食が届く。
夕食が届く。

食事が届くたびに、ゾロの心は乱れた。
無表情のギンの顔には笑顔が浮かび、
恐ろしく低姿勢になる。
ああ、コイツも、「そう」なのか。
ゾロは目の前の金髪とギンを見比べて思った。
この男も、この金髪につかまっちまったのか。
サンジだけを見つめ、
片時も目を離そうとしないギンの姿に、ゾロは戦慄さえ覚えた。
 
サンジを見てはいけない。
虜になったものの末路にオレは気づいている。
破壊と崩壊と、理性と平常心の欠如。
 
 
 

「オラ、食え」
そう言って、サンジは食器をゾロに押し付けた。
それから、すこし離れたところに座り、
タバコをくゆらせた。
 
 
 
 

ゾロはサンジの視線を感じながら、
メシを食った。
どうしてエースはこいつをここに来させる?
 
訳は分かっている。
オレが「ワイパー」を討つからだ。
分かっているのに、
サンジは料理を作っているのか?
オレも分かっている。
こいつを見てはいけねえ。
こいつに深入りしてはいけねえ。

こいつにはまっちまったら、身の破滅だ。
あのドフラミンゴが、理性を失う?
だが、見れば分かる。
サンジのサングラスの奥の瞳が濡れているときは、
ドフラミンゴの理性の箍が外れたときだ。
サンジを求めて、プラスになることは何一つない。
なのに、なぜ止められないのか?

毎日、接していると、だんだんその理由が分かってくる。
自分に向かって笑った瞬間、
自分に向かってすねた瞬間、
自分に向かって怒った瞬間。
それぞれの時が、脳裏に焼き付いて離れない。

ぼんやりとうつむく元気のない時には、
あきらかに疲労と陵辱の影を漂わせている。

サンジは色々な顔を持っている。
視線は定まらず、
表情は万華鏡のように変わる。
凛として真直ぐで汚れのない視線。
陵辱したくなるような不安な視線。
  
時も忘れて見入ってしまうのは、何故だ?
 
 
 
 

ゾロが感じたことのない想いが、身体中を駆け抜ける。
かわいい?
好き?
愛してる?
惚れてる?
安っぽい言葉などでは、これは表せない。

己の存在そのものをゆるがすほどの想い。

こいつは特別だ。
危険だ。
感情が制御できる範疇を越えてしまう。
全身全霊をかけて、守るか、滅ぼすかのどちらかだ。
 
 

どうしてだ?
ただ見ているだけなのに。
その存在を感じて、
こいつの作るメシを食って、
話をして・・・。

身体を重ねたこともねえ。
想いを伝えたこともねえ。

なのに、
目をそらせねえ。
こいつが目の前で笑うと、
どんな太陽より明るい。
眩しいんだ、このオレが。

とてつもなく遠い存在のようだが、
同じ部分で身体が共鳴する。
オレとこいつは似ている。

こいつを見ていると、
こいつもオレも真紅の空の下、走り続けていることを感じる。
止まったら、
生きていられねえ。
走り続けることでしか、
生きていられねえ。
何も考えず、
ただ走り続けるしかねえ。

こいつのうつむいた横顔を見ていると、
オレにはSOSの信号が聞こえて来る。
サンジはひでえ雰囲気の時でも何も言わねえけど、
「タスケテクレ」って言ってるように思う。

お前、ドフラミンゴなんかにヤられたくねえんだろ?
こんなとこで、メシ作っていたくねえんだろ?
オレにはてめえの声が聞こえる。
てめえの叫びが聞こえる。

全てを忘れられるわけなんてねえ。
泣きたければ、泣け。
叫びたければ、叫べ。
わめきたければ、わめけ。

なのに、てめえはなんで平気なふりをしてタバコに火をつける。
 
 
 
 

料理を誉めた時の、心から嬉しそうな顔。
それが、てめえの真実だろ?
オレはあの顔が見てえ。
あの顔が欲しい。
 

あの顔で笑ってくれたら、
オレの心は温かくなる。
不思議だ。
今まで、
醒めてることも、
冷えてることも考えたことがなかったのに。

オレは気づいてしまった。
サンジの笑顔が心の奥から離れない。
思い出すと感じる、
身体中に広がるような、
じんわりとした温かさ。
生き急いで、戦って戦って、戦い続けて、一度も感じたことのないような、安らかで温かい気持ち。
 
 
 
 

オレはソレが欲しい。
ソレを得るために、戦うのも悪くねえ。
オレは今まで、何一つ欲しいものがなかった。
目標はあった。
「世界一になること」。
名誉や肩書きは、消えることはねえ。
何かに惑わされることはねえ。
 
 
 
 
 

どうしてオレはサンジが欲しいのか?
オレが欲しいのは身体だけじゃねえことは分かる。

こいつのまとう空気、
こいつの周りの全てを壊してでも、
手に入れてえ。

ワイパーは方法を間違ったのでは?
会ったこともねえ、オレの標的。
だが、分かる。
きっと、「そうせずにはいられなかった」のだ。
サンジと同じ空気を吸い、
同じ世界に存在し、
その瞳を自分に向けさせるためには、
「邪魔」なものは排除するしかねえ。

ワイパーはその結果、
幻を手に入れた。
裏切り者の烙印と、
バラティエを破滅させた名声。
 
 
 
 

だが、そんなものが何になる。
本当に欲するものが手にいらなければ、
すべては無と同じ。
 
 
 
 

手に入るかどうか分からねえ、
不思議なもの。

コレが手に入るのなら、
全てを捨てても惜しくない。
 
 
 
 
 

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